常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

年寄りの冷水

2021年05月26日 | 日記
夏になると冷たい水が恋しい。冷蔵庫には冷やした水やお茶が常備してある。その上汗をかいて帰宅した時のためにアイスクリームもある。ある人は、冷たい水は胃によくないと、一度沸かした水を冷まして飲んでいる。だが、水は冷たくないと何故か飲む気がしない。朝起きて、コップ一杯の冷たい水が、一日の元気を保証してくれような気がする。

心強いのは外国の医師のこんな言葉だ。「冷たい生水を多く飲むことを怠らななければ、肌を美しくし、血液の循環もよくなり、腎臓病や結石、胃腸病にかかる率も少なくなる」。また、日本の養生訓に、「冷水には酸素といえる自然の精気ありて人の血気を清涼にするの効あり。もし一度湯に混ずれば、この精気蒸発して清涼の効力を減損す。」という記述も見える。汗をかいて喉を潤すとき、氷を入れた冷水は、一気に身体を元気にしてくれる。ペットボトルの水を氷らせて山に持参し、溶けていく水を飲みながら飲むと、足の疲れもすぐに忘れる。

ところで、「年寄りの冷水」という諺がある。年寄りが自分の身体を考えずに無理をするのを、非難めいて言う言葉だ。その前提には、年寄りは冷たい水を飲むのはよくない、という考えがあるのであろう。若いときと同じように、冷水をがぶ飲みするを注意する言葉なのかもしれない。自分のように80歳を過ぎてもなお高い山を目指すなどというのは、まさしくこの言葉が戒めているのであろう。

しかしこの俚諺がみえる「ことわざ事典」には、全く反対の記述がある。「老人大いに冷水を飲むべし。前の晩に水道水を汲み置いて、冷蔵庫に収め、冷たくしてから起きぬけに飲むと効果てきめん」そしてその冷水の温度は8℃ほど、冷えたビールの飲みごろと同じ温度と書いてあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薔薇

2021年05月25日 | 
バラはやはり花の代表選手だ。洋バラはローズというが、もうほとんど花を意味する。プリムローズはサクラソウのことだが、プリムの花という意味に考えていい。ヨーロッパでは、ローズは花を意味している。バラを指すには別の呼び方が必要になっている。バラが好きな人は、その魅力にとことんのめり込んでいくような気がする。美しいバラを咲かせるために、施肥の方法や剪定など、かなり専門的な技術を必要とするために、開花の喜びが大きくなるせいかも知れない。家がそっくりバラで囲まれてしまっているバラ好きのお宅が近所にあり、散歩の途中の目を楽しませてくれる。6月に入って咲くバラが、今年はもう咲き始めた。

北原白秋に「薔薇二曲」という詩がある。咲いてから散って土にかえるまでのバラの美しさを謳いあげた詩である。

 一
薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク
ナニゴトノ不思議ナケレド

 二
薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレバ木ヨリコボルル
光リコボルル

先月訪れた東根のバラ公園のバラも咲き始めたことだろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクチン

2021年05月24日 | 読書
東京、大阪の大規模接種会場でコロナのワクチン接種が始まった。感染が収まりを見せない中、報道はこのニュース一色である。今日、日本のコロナ感染者はこの1年半で72万人、死者1万2千人。世界に目を向ければ、感染者1億6千7百万人、死者は345万人で、なお感染は拡大中である。減少傾向を見せているのは、イギリスやアメリカなどワクチン接種が進んでいる国だ。思えば、人類の歴史は、感染症との闘いであったとも言えそうだ。

幕末の蝦夷の地でロシアに捕らえられながら、種痘の知識を得て、北海道南部で種痘を行った人物がいる。中川五郎治、陸奥に生れ、エトロフ島で松前藩が設けた番小屋の小頭であった。北方開拓に夢を抱いた五郎治は、多少
ロシア語も齧り通詞の役もこなした。だが、この冒険とも言える五郎治のエトロフでの仕事は悲惨を極めた。日本へ通商を求めて、厳しい交渉を行うロシアは、幕府の煮え切らない返事に武力行使も選択肢に入れていた。まして、蝦夷の東海岸やクナシリ、エトロフなどは、少数の番人がアイヌ人を使役しながら島を支配しようという小勢力であった。武器を持つロシア船は、島の島民の家を襲い略奪をほしいままにしていた。そこの番小屋で守りに就こうとした五郎治だが、まともな抵抗もできず、囚われの身になる。

極寒の地での脱走、飢えと寒さと死に向き合う凄まじい期間が2年余続く。だが逃げ込んだロシア人の家で僥倖が訪れる。ロシア政府は、捕虜の日本人を日本で囚われたロシア人と交換するため、五郎治もその一人に選ばれる。やっとのことで帰国の途につき、ある商家に泊まった。そこで目についたのが、種痘の記述あるロシア語の本である。かの解体新書にしてもそうだが、当時の日本人の知識欲の凄さは並はずれていた。おぼつかない読解力でそれを読むと、街に医者の頼み込んで種痘の実際を見せてもらった。牛痘苗、天然痘患者の膿を牛に植えて得られるものである。

解放された五郎治は松前藩の目立たぬ役人となって細々と暮らすことになった。文政7年、五郎治が暮す松前で天然痘の大流行が起こった。五郎治はこの状況を見て、自分が得た牛痘による種痘法で人の命を救う決意をする。患者たちは五郎治の方法が信ずることができずなかなか種痘を受けようとしない。11歳の少女が、命欲しさに種痘を受け、その効果が出ると次々と種痘を植えるものがでてきた。洋医学が導入されて日本で種痘が始まる25年も前のことであった。五郎治はこの牛痘苗の製法を人に教えることをしなかった。死をかけて得た知識は、自分の財産としたかったのだ。ワクチンの原型がここにある。吉村昭の『日本医家伝』に中川五郎治の一項がある。コロナワクチンの接種前にぜひ一読しておきたい本である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤグルマギク

2021年05月22日 | 
初めて出会った花を、ネットで検索して名やその花に関する知識を頭の整理棚に蓄える。今では、年に二つもあればいい方だ。それが生きていくのにどんな役に立つのか、怪しいものだが、そんな行為に喜びを覚えるのは高齢になっても変わらない。この先、あといくつ新しく覚える花が出てくるか心もとないが、新しい知識を得ることを喜ぶということは、生きていることそのものという気がする。いわば生あるのものの性とでもいうべきなのか。

昨日、見つけたヤグルマギクも初めてであったものだ。少し離れたとこから、ニゲラか、とも思ったが違う。固まって生育しているのところを見ると、野生ではなく、ここに住む人が種を蒔いたような気がする。花の辞典では、ヨーロッパ原産となっている。明治時代に日本に移入した。西洋名はセン-レア、神話のケンタウロスから来ている。この半人半馬の神話の生きものは、ある時傷を負い、セント―レアの葉で傷を治したいう神話があるという。またエジプトのツタンカーメン王の棺の上には、ヤグルマギク、蓮、オリーブで作られた花輪が載せられていた記述もあった。

こんな由緒のある花が、ウォーキングしている道の脇にひっそりと咲いているのは偶然としても、自分の人生にとっては大きな出来事ではないか。この生はどか分からないところで、ギリシャの神話やツタンカーメンの栄華の世界につながっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小満

2021年05月21日 | 日記
二十四節季の小満を迎えた。節季を現す言葉のなかで一番好きな言葉だ。この頃になると、山の緑が一段と濃くなり、野草の花の盛りになる。小満とは、麦の実が少し入ってふくらみ始めることを意味する。次の節季は種を蒔く、芒種であるから農家にとっては一年で一番の繁忙期である。そして梅雨が、日本列島に広がっていく。

緑は山原に遍く 白は川に満つ
子規声裏 雨煙の如し

ホトトギスが鳴く季節である。山行で緑に目を奪われながらも、鳥の声のなかに探しているのはホトトギスの声である。今年はまだその声を聞いていない。カタクリの花に来るギフチョウ、フジバカマに群れるアサギマダラ。そして蛍が飛ぶ頃、八丁トンボが姿を現す。いよいよ、自然の交響楽のような季節が始まった。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする