常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

夏至

2021年06月22日 | 日記
昨日、夏至を迎えた。夏至は特別の日である。冬至から夏至までが一年の前半、夏至から冬至までが後半である。太陽が最も高いところを廻り、昼が一番長く、夜が短い。この頃、鹿の角が落ちて新しい角が生えてくる。中国の歳時記にこの日粽(ちまき)を食べると記されている。金の詩人、張秉文の詩を読んでみる。

玉堂に睡起して苦に茶を思う
別院の銅輪露芽を挽く
紅日階に転じて簾影薄し
一双の胡蝶葵花に上る

玉堂は都で執務室、別院では銅の臼で茶葉を挽いている。執務室で、しきりに茶を飲みたくなるほど暑い日だ。真っ赤な太陽が中天に上り、地上では一対の蝶々が、タチアオイの花の辺りを飛んでいる。夏至の情景がそのまま描かれている。
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花を待つ

2021年06月21日 | 日記
ベランダで球根で植えたカサブランが花芽を四つつけ日ごとに大きくなる。2年ぶりに花芽をつけたクジャクサボテンも開こうとして、赤い部分が大きくなってきた。花は見るのはもちろん楽しいが、水やりをしながら花が咲くのを待つのも楽しみのひとつだ。散歩の途中、近所のお宅の花をそっと写真に撮らせてもらうが、何か悪いことをしているような気がしないでもない。人がいれば、「写真を撮らせてもらっていいですか」と聞くが、時によってパスしてしまうこともある。花を愛した詩人は人さまば植えた花ではなく、野の花に心をとめた。山の花を愛でるのは、そんなことから解放されて思うままに楽しむことができるからかも知れない。

ロセッティの詩、「花の教え」を読もう。花を愛でる心がより深まっていく。上田敏「海潮音」の名訳である。

心をとめて窺うえば花自ずから教あり。
朝露の野薔薇のいへる、
「艶なりや、われらの姿、
棘に生ふる色香とも知れ。」
麦生のひまに罌粟のいふ、
「せめては紅きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
験ある露の薬水を
盛りささげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草、
「人はあだなる香をきけど
われらの示す教暁らじ。」

花は何も語らない。だがそれを見る人に、何かを語りかけている。水やりをしながら花と話を交わしている人がいる。咲くまでにしっかりと時間をかけ、その一瞬に命の輝きを放つ。生命のあり方を、花は教えてくれる
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アナベル

2021年06月20日 | 
春の桜前線は、はっきりと気温の高い南から北へと北上する。梅雨前線も前線の北上に伴って梅雨入りする筈だが、今年は関東と東北の梅雨入りがほぼ同じになった。それにつれて、梅雨の時期に咲くアジサイも、南の方と同じ時期に咲いているようだ。ブログを拝見していて、南の方に住む方が紹介しているはなが、ほぼ時期を同じくしてこの地方でも咲いている。温暖化の影響がこんなところにも現れている。

アナベルはアジサイの仲間だが、アメリカ原産で白い可憐な花を秋まで咲かせる。気品があって日本の本アジサイよりも好きな花である。エドガー・アラン・ポーの詩に「アナベル・りー」がある。一説にはこの花の名はこの詩がアナベルの花言葉の由来であるとされている。

昔々のお話です
海のほとりの王国に
一人の娘が住んでいた
その子の名前はアナベル・りー
いつも心に思うのは
僕への愛と僕の愛

僕もあの子もふたり子供
海のほとりの王国で
愛し愛して愛以上
僕と僕のアナベル・リー
翼あるあの天使さえ
僕らの愛をうらやんだ(翻訳;ウィキペディア編集部)

二人の愛は、やがて引き裂かれ、アナベルは墓に閉じ込められてしまう。しかしアナベルが死んでからも、二人の愛は強く、何ものにも二人のたましいを引き離すことはできなかったと詩は続く。「ひたむきな愛」「辛抱強い愛情」がこの花の花言葉になっている。
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恋しい青空

2021年06月19日 | 日記
朝からの雨。東北南部と北部に梅雨入りが発表された。始まったばかりの梅雨空、もう青空が恋しい。ピリカンで陽ざしが強いと、暑い、暑いと言っていたのに人間の気分はこうも空の状態に左右されるものなのか。しかし、空の状態に一喜一憂するのは、洋の東西を問わずに人の常である。イギリスのヘンリ・ライクロフトもその随想に書いている。

「私はもちろん天気のことをぶつくさいいながら、ただ人の同情を招くにすぎない弱虫の一人である。今年の7月は曇りがちで風も強く、デヴォンのこの地方でさえ、さっぱり楽しいものではない。私はいらだち、ふるえ、南の方の青空がどうのこうのとつぶやいてばかりいる。全くなんてことだ!私くらいの年輩の人間で普通の体力があれば、陰鬱な空をものともせず、太陽を仰げない埋め合わせを沢山みつけようとして、ホールドンの丘を闊歩しているはずではないのか。私には忍耐心がなくなったのだろうか。」

この人のこんな言葉に出会うと、自分の心がそのまま写しとられているような気になる。ライクロフトがこの文章を書いたのは1900年頃のことだ。それから百数十年、地球に降る雨は、その様相を異にしている。人の心を憂鬱に向かわせる力は、当時よりも強まっている。しかし、人の心の持ちようは、反対に脆弱になっているような気がする。
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2回目のワクチン

2021年06月18日 | 日記

本日午後4時、コロナワクチン(ファイザー)2回目の接種終了。接種会場となった医院でも馴れたと見えて、さほどの緊張感もなくスムーズに終了。アナフィラキシーの反応もなく15分後に帰宅。腕が多少痛いが、1回目よりも軽い印象。夕食の食欲問題なし。発熱なども全く見られない。痛みが出たときはカロナールを服用するように指示があったが、その必要もなさそうだ。1週間が経てばば、抗体ができ、コロナの感染のリスクは小さくなる。早く、かっての日常を取り戻したい。

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