ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

本当のあなた

2016年07月02日 21時12分00秒 | 自分自身
「親や上司や教師がそばにいず、
社会というものもないとしたら、
あなたはなにをするだろうか?
自分以外のすべてのものをはぎとったら、
なにが残るだろうか?
そこに残るもの、
それがほんとうのあなただ。」

エリザベス・キューブラー・ロス博士の
「ライフレッスン」という本で見つけた一文。
考えたら当たり前のことなんだけど
ものすごい説得力があって、衝撃的。

家族も、友人も、仕事も、家もはぎとり、
「XX会社の○○」でも「XXの奥さん」でも
「XXをしている○○」でもなくなった時、
どんな自分が残るのだろう。

(確かにみみにゃんは何も持たないけれど幸せそう)

またロス博士はこうも言う。
「たいがいの人は幸福というものを、
ある出来事に対する反応として考えているが、
実際の幸福とはこころの状態のことであり、
周囲で起こることとは殆ど関係がない。」

「あなたが幸福であれば、
苦しんでいる人たちに
より多くのものを与えることができる。
充足していれば、
欲求や欠如から生まれる行動はしなくなる。
自分の時間を、自分自身を、
自分のお金を、自分の幸福を
誰かと分かちあえるようになる。」

「じつは、幸福な人は自己中心主義から
いちばん遠いところにいる人である。
幸福な人は不幸な人より親切であり、
愛と許しの力をもち、
しばしばボランティアなどで他者に奉仕している。
不幸な人は利己的な行動に走りやすいが、
幸福な人は自然に
利他的な行動をとるようになる。」

何もかもをはぎとった後、残るものが
「幸福で満ち足りたわたし」となれるよう、
自分を見つめ直してみたくなる本でした。
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90秒の嵐の後

2013年12月17日 22時06分00秒 | 自分自身
こう見えても(見えないか)実はわたし、
意外に後で後悔したり、悩んだりするたち。
立ち直りも早いけど、落ち込むのも早い、
典型的な、B型気質というやつ。

それが「奇跡の脳」によれば
何かが起こった時に脳が反応して
怒りやよろこび、ショックなどを起こす
化学物質を無条件に放出するのは
わずか90秒間だけのことだとか。
その後の感情は、脳の反応ではなく
意図的に選んでいるものらしい。



つまりものすごく気分悪いことがあっても
脳が怒りの反応をみせるのは90秒だけで
その後は、好きで怒っているということ。
好きこのんで、怒ったり、ムカついたり、
精神衛生上悪いことをしていたなんて、
なんだか、バカバカしく思えてしまって。

とっさにムカッときたり、腹が立つのは
悟りとは程遠い人間だからしかたない。
でも最初の90秒の嵐が去ったら、
そのネガティブな感情がそれ以上
自分の中に留まらない選択をしたいな。
簡単ではないけれど、諦めずに努力すれば
いつか本当に感情を選べるようになるかも。
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荒野にたたずんでも

2013年12月02日 22時05分00秒 | 自分自身
先日、週末の2日間を利用して
心理カウンセラー養成講座を受講。
カウンセラーを目指す訳ではないけど
以前から何となく興味があったから。
9時から17時までの2日間の集中講座。
すごく面白くて勉強になりました。

中でも一番わたしの心に残ったのは、
答えは本人の中にしかないってこと。
そして、人は自分で気付かない限り
決して変わらないっていうこと。
だからカウンセラーがすることは、
相談者に答えを与えることのではなく
相談者、自らの気付きをうながして、
本人が持ってる答えを導きだす手助けだけ。

そう思うと、わたしはこれまで
いいカウンセラーじゃなかったなあ。
友人から相談された時にいつも
自分の意見を言うばかりで。



「大人とは、一人荒野にたたずんでも
生きていける人である」という
アルバート・エリスの言葉も心に響く。
あらゆるものに依存することなく
生きていけるのが、大人なのだとか。
それが愛するものや仕事、健康であっても。

私の心には失うことの恐れが常にあるから
これはひどく厳しい言葉なのだけれど
いつか、大切なものをなくした時に
わたしを支えてくれる言葉になる気がして。
大人であることは大変なことだけど
でも大人なら誰でもそうする力があると
励ましてくれている言葉のような気もして。
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自分に、お帰り

2013年11月07日 21時32分00秒 | 自分自身
この週末に実家に帰った際、
母に促されてアルバムを整理。
就職する前までのアルバムが
まだ全部実家に残されていて。

分厚いアルバムのままでは
持って帰るのも大変だから
必要なものだけ一枚ずつはがして
薄いプラスチックのアルバムに入れ替え。
大変だけど、楽しい作業でした。

(姉から届いた、大きな柿)

ほとんど忘れていた時間や景色、
出会った人々や、訪れた場所が
写真1枚1枚で、よみがえる。
忘れていた、しあわせな時間が
ページの間にひっそりと残っていて。

どれも大切でいとおしい時間を
まだ全部ではないけれど
こちらに連れて帰ってきました。
と同時に、その写真の中にいた、
無邪気で一生懸命なわたしも
少し私の中に戻ってきたみたい。
「お帰り」忘れていた、わたし。
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断捨離下手なわけ

2013年09月10日 22時44分00秒 | 自分自身
以前「脱・断捨離」なんて書いたけど
相変わらず捨てるのは下手なまま。
この夏も首がよれてきたTシャツを
いつ捨てようかと迷い続けて
今まで持ち越してしまったくらい。

(前から見るとこんな絵柄)

このTシャツは友人Oさんからかなり昔に
(十年?十二年?もっと前かも)
ハワイ土産か何かでもらったもの。
本人も覚えてないかもしれないけれど
気に入って大切に着ているうちに
こんなに年月が経ってしまって。

(背中の絵柄はこんな感じ)

夏の終わりにいよいよ別れを決意して
記念に写真に残すことにしました。
裏に猫の後ろ姿が並んでいるところが
わたしの何よりのお気に入りでした。
長い間ありがとう。お世話になりました。
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