17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
ゆづ(羽生結弦)の記者会見後の騒動も
最近やっと落ち着いてきた感じ。
唯一無二の存在感のあるアスリートだけに
反響はやはり大きかったなあ。
「来るべきものが来た」として
私は冷静に受け止めたけど
プロになっても、ただ楽しませるだけの
ショーに留まることなく、
まだまだ道を極める気まんまんの姿勢には
驚いたというか、やっぱり、というか。
ゆづは「引退」するつもりではなくて、
単に競技からショーに場を変えるつもりなんだな。
得点やルールに囚われることなく、
自分のやりたいことに集中するために。
自分のやりたいことを極めるために。
やっぱり求道者なのだと思いました。
あまりにも「羽生結弦」が大きくなりすぎて
今はもう「熱烈なファン」は卒業したけれど
プロとして道を極めようとするゆづを
これからは静かに見守っていこうと思います。
母の供養になればと思い、
週末にお写経をしました。
子どもの頃の思い出や
母の声などを思い出しながら。
親を見送ってしまうと、
これから迎える老いの時期を
どう過ごすかを、つい考えます。
「あっという間だからね」と
写真の中の母は微笑む。
死を意識することは
確かに怖いことだけど
だからこそ今この瞬間を
大切に、丁寧に生きなきゃと思う。
前から思ってはいたことだけど
より切実にそう思うのです。
先日、母が他界しました。
ステージ4のガンが判明してから1年2か月、
年齢と心臓の持病から手術は諦め、
抗がん剤は1年程は驚くほど良く効いたものの、
やがて効かなくなり、最後は認知症状も出てきて、
緩和ケアを経て、閉じた86年の生涯。
最期を看取ってくれた姉によると、
眠ったまま、穏やかな旅立ちだったとのこと。
とりわけ、それを願っていた私にとっては
悲しみの中でも、大きな救い。
もう実家に電話をしても出てくれる人はなく、
お母さんと呼んでも答えてくれる人がいない。
そう思うとたまらなく心許ないけれど、
もう母が苦しむこともないと思えば、
ほっとした思いにも満たされるのも事実。
今は七十二候の「蓮始開(はすはじめてひらく)」。
母の戒名にも「蓮」の一文字がありました。
合掌。