ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

許せばいい

2011年05月28日 22時37分00秒 | 出会い
引き出しを整理していたら見つかった、
朝日新聞の、いつのか分からない切抜き。
子どもの何気ない名言を、募集したものらしく
山口県の河内友恵さんという方のもの。

息子さんが5歳の頃、何度怒ってもいたずらを止めず
ついにお父さん、堪忍袋の緒が切れて
「口で何べん言っても、たたいてもわからんのなら、
お父さんは一体どうすればいいんか!?」
そう怒鳴りつけたら、息子さんは
涙をぽろぽろ流しながら、こう言ったのだとか。

「許せばいい。」



かわいいとか、ほほえましいというのを超えて、
神さまみたいなことを言うなあ、と感心してしまって。
どうにもならないくらい頭にきても
そっか、さらっと許しちゃえばいいんだ。
黛まどか賞を受賞したのも、すごく納得。
これは、名言通り越して、金言かも。

今後「ああもう、どうしてくれよう」というような
怒りやイライラが募った時には、思い出さなくちゃ。
どうもしなくていい、ただ「許せばいい。」のだと。
脱力系超越派の、この言葉を胸でつぶやくだけでも
かなり、気が楽になりそうな気がして。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発に思う

2011年05月23日 22時57分00秒 | 社会
先日発表された、原発の今後についてのアンケートの
「現状維持」「増やすべき」が5割以上という結果。
「嫌でも原発に頼らないと生活が不便」などが主な理由とか。
それがわたしには、少なからずびっくりで。

「現状維持」或いは「増やすべき」と答えた場合、
もう一つ追加の質問をすべきではなかったかしら。
「それなら、あなたの街に原発を作っていいですか?」
「はい」と答えられる人だけが、本来なら
「現状維持」「増やすべき」と答える権利があるのでは。
「維持すべきだけど自分の街は嫌」なんて、無責任すぎ。

(今日は一日雨模様)

わたしが総理大臣なら、それを国民に問いたいな。
原発の街に住むのを条件に、生活スタイルを変えないか、
生活スタイルを変えるのを受け入れて、脱原発の道を選ぶか。
その後それに応じて、国民の居住地を総とっかえ。
原発は「維持・増加」派のエリアに、全部移転を条件として。

同時に代替エネルギーと、暮らしのあり方を見直して
あらゆる可能性を検討し、試してみたいな。
コストの、安定性のと、ごちゃごちゃ言ってないで
まずは思いつく限り、次々とやってみたら、
案外原発なしでもいけそう、ってことにならないかしら。
歴代総理史上、最悪の独裁者になるのは間違いなしだけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛と虐待の連鎖

2011年05月21日 20時46分00秒 | 家族
作家の柳美里さんが、親から虐待された過去があり
自分も小学生の息子への虐待に悩んでいることを
先日観たドキュメンタリーで知りました。

何より衝撃だったのは、虐待カウンセラーの
「お母さんは優しかったですか?」の問いに対し
「優しいって何ですか?」と答えたこと。

さらに「お母さんとの楽しい思い出や
お母さん大好き、と感じたことは?」との問いに
長い沈黙の後、「親に好きとか嫌いとか、
そういう感情を抱いたことがない」と答えたこと。
親が自分を殴るのは、自分が悪いせいだと思い続け
どうしたら許してもらえるのか、そればかりだったと。

愛は教えられるもの、という言葉を思い出す。
人は、愛されたことがないまま育つと、
愛するということが、分からないのだとか。
それが、親子間の虐待の連鎖に繋がる、と。
柳さんのご両親も、子供時代に虐待経験がありました。

(頑張って、柳美里さん)

乳児と2歳、4歳の3人の男の子を抱え、
異国で奮闘中の友人は、とてもおっとりと優しい子だけど
先日会った時に、おっとりした口調でポツリと言ってました。
うぎゃーと爆発しそうな時は、虐待と紙一重ですよ、って。
でも、その紙一重には多分大きな違いがあるんだろうな。
根本に愛があるのと、愛を知らずに愛だと思い込むのと。
愛をおそわらなかったなら、ゼロから学び直すしかない。

私は楽しい思い出なら、とめどなく浮かんでくる。
思い出しながら、自分がどれほど愛されて育ってきたか、
今更のように気付いて、何だか涙がこぼれてしまって。
それなりの確執もあり、反抗もしてきたけれど、
「優しい」の意味が分かる人間に、育ててもらった。

おりしも長期入院中の父に加えて、
先々週から母も倒れ、別の病院に入院しているところ。
そんなことに今更気付いた、馬鹿な娘を許してくれます様に。
ありがとうを伝えるのに、まだ間に合いますように。
そして、わたしには子どもはいないけれど、
教えてもらった愛を、連鎖させていけますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出そう

2011年05月18日 21時17分00秒 | 生活
先日、映画の「天使と悪魔」を観て以来
また原作が読みたくなってしまって
古本屋で手に入れて、読み直しました。
そうしたら、面白い発見があって。
中でも面白かったのは、窮地に陥った主人公が
胸の中で思い巡らすシーンのこんなフレーズ。

「思い出して!ヴィットリアは自分に言い聞かせた。
この試練を乗り越える方法を思い出して!」

「思い出す--それは仏教の哲人が用いる手法だ。
ヴィットリアはとうてい答などなさそうな難問を前にして
その解決策を探すのではなく、ただ思い出すよう心に命じた。
自分がすでに答を知っていると決め込めば、
答がかならず存在すると信じる境地に達し、
それゆえ失望という、よけいな想念を捨て去れる。」

(満開の藤の下は甘い香り)

以前読んだ時には、まったく気付かなかったけれど
こんなフレーズが、さらりと紛れていたなんて。
これって、直感を信じることにも通じるかも。
わたしは典型的な「直感型」だから
なんだか抵抗もなく、するりと納得してしまって。

人はよく、パッとしたひらめきや直感を、
何かと突然つながった、とか、
何かが降りてきた、とか表現するけど、
その「何か」が自分の奥底にあるものだとすれば、
それは確かに「知っていた」ことなのかも。

わたしも万一の時には、この手法を試してみよう。
フランス語の試験の時には、さすがに無理だろうけど。
(というか、思い出せ!と言っている時間がないかも)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いを送る

2011年05月11日 22時32分00秒 | 自分自身
今日は早いもので、震災から2ヶ月目。
街頭募金こそあまり目にしなくなったけれど
今でも、どこへ行っても目にするのは募金箱。
もっと何かしたいけれど出来ずにいるもどかしさと
気持ちの折り合いをつけるようにして
あっちこっちで、小銭を入れてはきたけれど。

でも寄付するたび、心のどこかで、
ちゃんと必要な方々のために使われるのかしら、
いっそあちこちでばらまくより
日赤などに直接送金した方がいいのでは、と
迷いや葛藤がどこかにあったのも、また事実。
そんな時にたまたま、このような言葉に出会って。

(今夜はブリテンのレクイエムを聴きながら)

「寄付したお金の、先のことを考えるのは
それにいつまでも執着している証拠。
寄付した時の、その思いこそが大切なのだから
その先を思い煩うことなく、思いを送ればいい。
もし不正な使い方をされたとしても、
不正をした人が、その業を負うだけのこと。」

勿論、お金の使われ方を見届けることは大切だけど
それに心煩わせすぎて、二の足を踏むくらいなら
こういう考え方をした方が、楽でいられる。
祈りや願い、励ましの気持を送る行為だと思えば
小銭をあちこちで、一貫性なく寄付することにも
それなりの意味があるように思えて。
これからは迷うことなく、思いを送っていこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする