17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
先日どこかで目にしたんだけど
「鳴かぬなら そういう種類のほととぎす」って
なんだかとてもいい言葉だなあ。
他のほととぎすのように鳴けなくても
それでいい、そういう種類なんだから、という
温かな寛容の気持ちがにじんでいて。
日本は同調圧力の高い社会で
それが社会の協調性も生み出すけど、
違いに対して不寛容になりがち。
でも違いに対して肯定的なこの句は
そんなプレッシャーを楽にしてくれる。
他人と比べて凹みがちになったり
生きづらさを覚えるときには
この句を口ずさんでみようと思います。
鳴かぬなら、鳴けぬなら、
そういう種類の ほととぎす。
週末に熊野を旅しました。
まずは十津川村の玉置神社。
山道を20分程歩いた先に
やっとお社にたどり着きました。
ちょっとした山登りでした。
そして熊野本宮大社。
こちらは街中にあるとはいえ、
またしても長い階段が・・・。
確かお参りするのは三度目だけど
ぜーはー言いながらの参拝でした。
すぐ隣の大斎原(おおゆのはら)は
パワースポットとして有名みたい。
豊かな自然に抱かれて
時間もゆっくり流れているよう。
そして那智の滝で有名な飛瀧神社。
ここも滝まで結構階段を上り下りするので、
この頃にはもう足がガクガクでした。
でも迫力ある滝は、さすがに圧巻。
そして熊野速玉大社。
白い漆喰と朱塗りの柱が
とても美しいお社でした。
帰りには串本町の橋杭岩の
面白い光景に出会いました。
本当に橋の杭が並んでいるよう。
日ごろの鍛え方が足りない私には
筋肉痛との戦いのような旅だったけど
ずっと行きたかったところばかり。
くたくたになりながらも
心は大満足で帰ってきました。
この夏、実は目の手術を受けました。
流涙症といって、涙管が閉鎖して
ひどい涙目になってしまったので、
6月末に左目、先日右目を手術。
上下のまぶたの針の先ほどの涙管に
針の先ほどの内視鏡を入れて、
針の先ほどのチューブを挿入するもの。
目頭のところにぶすっと麻酔されて
涙管の中に内視鏡突っ込まれるのは
痛くはないとはいえ、死ぬほど怖かった。
そのうえ手術後は目の周辺が内出血で
しばらくお岩になってしまったし、
数日は涙管が少し腫れてたみたいで、
目頭周辺の痛痒さや不快感が続くし。
おかげさまで、左目のチューブは
右目の手術の際に抜去済みなので、
あとは右目のチューブの抜去を待つのみ。
日帰りで受けられる医療の進歩には感謝しつつも
やはりもう二度とは受けたくないから
再発しないことを祈るばかりです。