ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

見えざる手

2017年05月28日 23時03分00秒 | 生活
最近私の生活に新たに加わったのが、
電動アシスト自転車PASと、
コードレスのスティック式掃除機。
実は必要だと思ってなかったんだけど
あると便利なんだな、これが。

大体わたしの住む界隈は段差がなく、
海から宝塚や伊丹までほとんどフラット。
だから電動自転車なんていらないって
私も長らく思っていたんだけど
乗ってみればびっくりするくらい楽ちん。
坂道など、ペダルをぐっと踏み込むたびに
誰かが背中をぐっと押してくれる。

(ベランダのレンゲローズが満開)

私はこれを「神の見えざる手」と呼んで
坂道になるたび「神さま降臨~♪」と
ひとりはしゃいでいるのだけれど
アダム・スミスの逆鱗に触れそうなら
守護霊が標準装備されてるというか、
親切なガーディアンエンジェルが
自動発動するシステム内蔵というか。

これなら伊丹のバラ園まで遠出しても
あまりクタクタにならずにすむかも。
登り坂があるとウキウキするし、
老後も長らく自転車のお世話になれそう。
筋トレにならないという問題はあるけど。

コードレス掃除機も買う予定はなくて
ほんの出来心で買ってしまったのだけど
買ってみると、コードのストレスがなく
いつでも気楽に掃除できる便利さが
思った以上に、快適で便利。
うちのように猫と猫アレルギー持ちが
同居している場合は、なおのこと。

(レンゲに良く似た可憐な小花)

この先、年齢を重ねて、足腰が弱って
コンセントの抜き差しのたびに
しゃがむことが億劫になっても
これなら、その心配もない。
自走式で軽いし、自立もするから
手を離しても立って待ってる優れもの。
これはさながら、ハウスエルフ。

しっかりお掃除する時は、轟音のダイソン、
毎朝のパパっとお掃除には、コードレス。
使い分ければ、さらに便利で快適。
ハウスエルフと「見えざる手」のおかげで
暮らしがまたちょっと楽しくなりました。
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幸せのコツ

2017年05月19日 23時49分00秒 | 生活
心理学者、ウィニコットによると
理想の母親は「good mother」ではなく
「good enough mother」なんですって。
理想の母親は「良い」母親じゃなくて
「必要十分程度に良い」母親だなんて、
どういうこと?と思ったけれど。

ウィニコットが言うには、
理想の母親というのは、
子どもを決して怒ったり
たたいたりしない母親ではなくて、
時々ヒステリーを起こしたり、
同じことを言っても、日によって
褒めたり、叱ったりするような
ちょっといい加減な母親だとか。



と言うのも、子どもを決して怒ったり
叩いたりしない母親というのは
一見「理想的」に思えるけど
人間は完全ではありえないので、
どこかで歪みが出るものなのだとか。

また、そもそも世の中というのは
理不尽で、不公平なものだから
good enoughな母親を持つ子の方が
goodな母親に育てられた子よりも
適応力や寛容性を育むのだとも。



なんか面白いけど、説得力ある。
これは母親像だけの問題じゃなくて
理想の妻、夫、娘、息子など
人間関係の基本には当てはまりそう。
「良い○○」になれないで苦しんでいる人は
「good enoughでいい」と思うだけで
ずいぶん楽になるのは間違いない。

常にベストを追求するプロと違って
人間関係や人生においては
この寛容さは大切なことだし、
それを「理想的」と認めるような
ふところの大きさを持つことが
幸せのコツなのかもしれません。

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5月の密かな愉しみ

2017年05月11日 21時49分00秒 | 趣味
ゴールデンウィークは終わったけど
5月はまだまだ楽しいこと続き。
わたしの好きな2大番組が
相次いで放送されるものだから。

1つは、再放送も逃さず見ている
ダウントン・アビー」シーズン6。
英国貴族な豪奢な館や暮らしだけでも、
見応えじゅうぶんなのに加えて、
エスプリの効いた会話がたまらない。
見れば見るほど、味わい深くて、
そういう返し方があったかーと
感心することもしばしばあって。



2つめは、過去の録画も残している
京都人の密かな愉しみ」の最新作。
常磐貴子演じる三八子の美しい佇まいに加え
京都の四季、風土や暮らしが
ユーモアや批判も織り込みながら
細やかに、情感豊かに描かれていて。
あんな風に暮らしている京都人は
たぶんもういないだろうから、
郷愁に過ぎないかもしれないけれど、
フィクションだとしても、美しい。



でも悲しいのは、どちらも今回で
完結してしまう予定だということ。
早く見たくてたまらないけれど、
見終わってしまうのが怖くって。
まだ終わってもいないうちから
スピンオフを期待しているという
複雑なワクワク感の日々です。
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結縁灌頂を受ける

2017年05月06日 13時22分00秒 | 寺社めぐり
3日は残念ながら仕事だったけど
4日からはお休みになったので、
新緑の美しい高野山を訪れました。
900mの山の頂にある高野山では
思いがけず、桜が満開。

(満開の桜と中門)

さわやかな五月晴れに恵まれて
壇上伽藍の大塔の朱色も
青い空を背景にいっそう鮮やか。



今回高野山に伺った目的は
5月の3日間だけ開催される、
胎蔵界の結縁灌頂(けちえんかんじょう)を
体験させていただきたくて。
到着後すぐに申し込み受付に行くと
今からすぐの回に間に合うというので
走って金堂に行って、最後尾に合流。

(金堂には多くのお坊さまがたが)

通された内部は、真っ暗闇の中に
ろうそくの灯だけの空間。
仕切りを隔てた奥からは
重低音のご真言が響いてきて
すでに真言密教の空気感でいっぱい。
そこでまず阿闍梨さまから授戒され
十戒についての説明を伺いました。

正座と無縁の生活がたたって、
足のしびれは早くもピーク。
十戒を説明されている頃には、
最後尾なのをいいことに
闇の中で一人悶絶していました。



別の場所に移動し、お焼香をし、
両手で教えられた印を結んだまま
授けられたご真言を繰り返し唱えると
目隠しをされて、完全な闇の中。

数人の僧侶がご真言を唱えながら
印を結んだ私の手や背中を支えながら
そっと導いて下さるのだけど
上も下もわからない闇の中で
四方八方から響くマントラに包まれると
自分がどこにいるのか、何をしてるのか、
果ては、自分がいるのかどうかすら
一瞬分からなくなるような感覚。

(お茶やお菓子を頂いた金剛峯寺)

指先にしきびの小枝(花)を挟まれ
言われた場所で足を止めて、投花得仏。
花を投じると「大日如来」と声がして
目隠しを外され、目の前には曼荼羅が。
本来は花が落ちた仏と結縁するのだけど
これは一般人向けの結縁灌頂のため、
投じた花は、おそらく僧侶の計らいで
すべて中心の大日如来の上に寄せられ、
大日如来とのご縁を頂きました。

その後、一人一人阿闍梨さまに
大日如来の知恵であるお水を頭に注ぐ、
「灌頂」の儀式とお言葉を頂き、
結縁灌頂を終えることが出来ました。
その間、約1時間あまり。
真言密教の世界を垣間見られて、
なんだかとても不思議な感覚で
でもありがたい体験でした。

(結縁灌頂で頂いた記念のお品と限定の御朱印)

同じ回には外国人の方々もいらしたけど
日本人の私でさえ、少し怖いくらいの、
ドキドキ・おどおどの体験だったのに、
彼らはどんな風に感じたのかしら。
恐るべし、真言密教の世界。
もともと女人禁制の聖地だったせいか
私は圧倒されるような感覚を覚えました。

秋には、金剛界の結縁灌頂も
同じく3日間限定で開催されるから
いつかそちらも受けてみたいな。
今回は行けなかった奥の院と合わせて
伺える日が楽しみになりました。
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