17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
お天気に恵まれた土曜日、
市内の穴場スポットに
ひそかにお花見に行きました。
桜はいよいよ満開となり、
まさに今を盛りと、春爛漫。
コロナの第四波が迫り、
今は遠出は出来ないけれど
それでも桜は十分にきれい。
ああ今年も、桜が見られたなあ。
一瞬で人を幸福感で満たす、
桜の力は本当にすごい。
うちのマンションの北側の
小さな公園にある数本の桜も
今日、みなそろって満開。
今は街中どこを歩いても、
満開の桜が景色を染めている。
ありがとう、今年も咲いてくれて。
コロナの中でも、咲いてくれて。
いよいよ桜の季節が幕を開けて
うちのマンション裏の公園の桜も
間もなく五分咲きといったところ。
「桜が咲く」というだけで
心がざわついてしまうのは、
日本人のさがなのか、
日本の風土がそうさせるのか。
今年はコロナで遠出は出来ないから
近所でお花見することになりそう。
買い物も外食も今は徒歩圏が中心で
老後の生活を疑似体験している気分。
思いのほか、悪くないものだな。
もともと私は出不精なせいか、
外出できなくてもそんなにストレスも
閉塞感を感じることもないかも。
ここにみいみがいれば完璧なのに、と
ふと独り言を呟いては、しゅんとなる。
でも庵野秀明さんも番組で言っていたな。
「欠けているからこそ愛おしい。」
今の私の生活にはみいみが欠けていて
決して埋めることは出来ないけれど、
だからこそ愛おしいと思えるかしら。
桜を見ても少し悲しくなるこの日々を。
このところ、毎朝のように
ベランダにヒヨドリのつがいが
木瓜の花の蜜を吸いに訪れる。
みいみがいたら大騒ぎなのに、
そう思うとまた寂しくなるけれど
ヒヨドリの訪問はやっぱり楽しい。
それにしてもジョギングしてるのに
体脂肪が全然減らないのは、なぜ?
ジムでInBodyで全身くまなく計測したら
BMIは標準ど真ん中にもかかわらず
「同じ性別、年齢帯、体重の100名中、
体脂肪量は93番目に少ないです。」
という、打ちのめされるような結果。
つまり100人中7番目に多いってか。
持って回った言い方をせずに
いっそひと思いに言ってほしかった。
体質的に筋肉がつきにくいから、
甘いものを減らしてはいるけれど
まだ食べ過ぎてるのかなあ。
せめて同年代の女性の平均を目指して
細々と筋トレ頑張ってみよう。
志が低すぎるのは分かっているけど、
これでも私にはかなり野心的な目標。
心が折れそうだけど、頑張ってみます。
先日書いたウグイスはどうも
隣の神社が気に入ったみたいで
お参りに行くとホーホケキョと
かわいらしい声を聞かせてくれる。
山が近い実家のあたりでも
あまり聞いたことはなかったのに。
聞くたび心が癒される思い。
ベランダでは今年も鉢植えの
木瓜が花をつけ始めました。
あまり世話も出来てないのに
コロンと丸いつぼみや花が
本当にかわいらしくて。
小さな春のよろこびだなあ。
寒く厳しい冬の後に来る春は
それだけで喜びの季節だけど
春が来るたび、学生時代の
友人との別れや受験を思い出して
少し切ない気持ちもよみがえる。
何十年も前のことなのに。
喜びと切なさとないまぜにして
春はまた一歩近づいてきます。
このあたりでは日曜日以来、
うぐいすが鳴き始めました。
2羽くらいがホーホケキョと
鳴き交わすのを聞くのが
このところの朝の楽しみ。
いつの間にか3月だなあ。
先日はみいみの誕生日で、
17才になるはずだったのに。
なのに、みいみがいない。
そのことが事あるごとに
わたしの胸を締めつける。
かと思うと、何かの拍子に
ふとみいみのいた16年半は
全部夢だったんじゃないかという
不思議な感覚にとらわれたりする。
全て私の幻想じゃないかって。
亡くした父に関しては
そんな風に感じたことないのに。
どうしてそんな悲しい感覚に
なってしまうことがあるんだろう。
みいみとの幸せな16年半は
確かに、確かにあったのに。
そんな風に感じられた時は、
罪悪感と喪失感がごちゃまぜで
しばらくいたたまれなくなる。
みいみ、みいみ、みいみ、と
何度も、何度も呼びかけて
いろんな思いをぐっと飲みこむ。
みいみロスの闇はまだ深いな。