ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

ミッフィーも泣く

2011年03月28日 23時13分00秒 | 社会
ミッフィーの目にも涙。
多くの人から寄せられる思いが
被災地の方々の支えになりますように。

(本日付の朝日新聞より-(C) copyright Mercis bv.)


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頑張らないで

2011年03月26日 17時03分00秒 | 花・自然
よく晴れたけれど、最高気温8度の冷え込み。
午前中には一時、雪もちらちら。
そんな中、マイ桜が一輪花を咲かせ始めていて。
被災地にも、桜が残っていることを願いつつ。



阪神大震災をわたしは大阪で経験したものの
部屋の中がぐちゃぐちゃになり電話が止まった位。
ただ、震災後しばらくしてボランティアとして
カナダから来たメンタルヘルスの専門家チームに
神戸で4日間、随行したことがありました。
被害の甚大さから、直接個々のケアをするより
市民カウンセラーを大勢養成しようということになって。

通訳しながら学んだのは、震災直後は誰しも
正義感や連帯感で、気分も高揚するけれど
時が経つにつれ、各々が各々の現実と向き合い始め、
深い悲しみや、絶望に沈む時期がくるということ。
その時に、周囲の人が出来る一番のことは、
ただ傍にいて、うんうんと話を聞くこと、
そして共に痛みを感じ、共に涙を流すことなのだとか。

これ以上頑張れないほど辛い思いを耐えているのだから
「頑張って」等の無邪気な励ましの言葉は、
むしろ「もっと頑張らないといけないのか」という
心理的負担を与えてしまうこともあるのだとか。

被災地から遠く離れた場所にいるわたしには
うんうん、と話を聞いてあげることも出来ず、
ニュースや新聞記事に、涙することしか出来ないけれど。
頑張らなくていいから、弱音をいっぱい吐いていいから
ただ、生きて下さい、生き続けて下さいと祈っています。
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日常のありがたみ

2011年03月24日 21時14分00秒 | 花・自然
仕事がようやくひと息つけるようになって
18日ぶりに頂いた、休日。
疲れ果てて、何も出来なかったけれど
こうして戻れる日常があることが
どんなにどんなに、ありがたいことか。
今回、被災された方の多くから、
戻るべき日常が、奪われたことを思えば。

風の冷たい、肌寒い一日だったけれど
それでも外に出てみれば
白木蓮が咲き、雪やなぎが風になびき、
いつの間にか街を満たしていた、春の気配。



ああ、あんなことがあったのに
世界はそれでも、こんなにも美しいんだなあ。
むしろ、あんなことがあったからこそ、
ありふれた日常が、尚のこと美しく、
かけがえのないものに感じられるに違いない。

いつもと同じ部屋で目覚められることの、幸せ。
いつもと同じ人々に会えることの、幸せ。
いつもと同じように食事や仕事出来ることの、幸せ。
いつもと同じように柔らかなぬくもりを
胸に抱いていつくしむことの出来る、幸せ。
明日がまた、今日の続きであることを
当たり前に信じていられることの、幸せ。

本当はガラス細工のように、はかない「日常」。
本当は当たり前じゃない、「当たり前」。
そのことを胸に、明日からまたもうひと頑張り。
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疲れながらも

2011年03月19日 20時13分00秒 | 仕事・職場
あの夜以来、2週連続休日返上で仕事中。
一人しかいないし、こんな状況なのだからと
自分を鼓舞してはいるものの、さすがに疲れが。

精神的にも、今回はきついなあ。
被害の言葉を失うほどの、大きさ。
これまでにやったことのない仕事を
懸命に手探りでやらなきゃいけない、しんどさ。
日に2度ある締切時間に追い立てられて
体も神経も、すり減るような思い。

(被災地にも、早く春が来ますように)

昨日は、その疲れを倍増させるような出来事が。
現場を知りもしない、しかも「休暇中」の人から
また聞きと憶測の、事実無根の爆弾メールが。
毅然と反論して、ひとまず収束したようだけど
正直、昨夜は精神的にクラッシュしてしまった。

わたしが本当に言いたかったことは、
キリストがユダに最後に言った言葉と同じ。
「汝は、行って自分のすべきことをせよ。」
とにかく今は、雑音に心煩わせることなく
自分に恥じないだけのことをしよう。
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どれだけ微力でも

2011年03月14日 21時08分00秒 | 仕事・職場
金曜日は、起きた時から何かが変。
胸がざわざわして、どうしようもなく不安で
まるですごく苦手な人に会う前か、
大勢の前で話さなきゃいけない前のような感じで
お腹が痛くなるような、押し潰されそうな不安感。
でもそんな予定は全くないし、
自分でも、不思議に思っていたら。

その胸のざわざわは、お昼を過ぎても続き、
午後、その不安感がピークに達した頃、
職場の入ったビルが、ゆーらゆーら、
まるで眩暈のように揺れ始めたのでした。
最初は貧血かな、と思ったけれど
そのうち同僚も騒ぎ出して、これは地震だと。
ネットで情報を確認すると、あろうことか大地震。
胸のざわざわの原因は、これだったみたい。

(仰ぎ見る空、生命)

そこから後は、胸のざわざわは跡形もなく消えて、
代わりに、アドレナリン全開の臨戦態勢。
随所から電話はじゃんじゃんかかるし、
バンコクにある事務所からは、
深夜までの情報収集の協力を求められ。
なんたって、日本にいる正規スタッフは私だけだから、
覚悟を決めて、一人で情報収集開始したのが金曜の夕方。

その夜から、土・日も、夜・昼も関係なしの
長い長い週末に突入したのでした。
数時間の睡眠をはさんで、食事もそこそこに
つけっぱなしのテレビと、コンピュータ、
あまりの惨事に泣きながら、送り続けた最新情報。
体以上に、精神的な疲労が大きかったけれど
被災された方のことを思えば、何でもないこと。
心配して連絡してくれた海外の友人からの
メールやチャットにも、随分励まされて。

週があけて、組織全体での調整もついてきて
ようやく普通の生活リズムに戻れたけれど
しばらくは職場も、非常事態体制。
どれだけ微力でも、出来ることはしなければ。
言葉にならない、祈りとともに。
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