17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
わたしの通勤路の途中にある美容院には
今月の初め頃から、ハロウィーンの飾り付けが。
この写真じゃ分からないけれど、
左の大きなのは、首がくるくる回って、
右の小さなのは、パンプキンの中から出たり入ったり、
夜には内側からライトが灯って、何とも楽しい。
そういえば、前の職場では毎年のように、
ハロウィーンに、全員が仮装したことがあったっけ。
わたしも頭まですっぽり、おさるの着ぐるみを着て、
長いおしっぽ、ゆらゆらさせながら応対に出て、
お客さまに、目を丸くされたりしたことも。
同僚も、カルメンやら、カッパやら、神父さまの姿で
一日、大真面目に仕事をするのがおかしくて。
何に仮装するかで毎年悩み、万策尽きて妹に、
高校時代のセーラー服を貸してほしい、と頼んだら、
「わたしの目の黒いうちは、そんなこと絶対させへん」と
えらくきっぱり、断られてしまったことも。
なんだか、誤解されたような気がしないでもないけれど。
・・・そんなこんなを思い出す、ハロウィーン。
四ツ折との決戦はともかく、
これから年末にかけて、待ち構える2つの決戦。
そう、仏検準1級と、一万人の第九。
仏検は、去年の間抜けな敗北のリベンジとしたいものの
逆に返り討ちに遭うかもしれず、気の抜けないところ。
でもこの期に及んでジタバタしても仕方がないので、
淡々と細々と、一歩でも前へ進んでいくしかなく。
第九は決戦というより、歓喜の晴れ舞台。
いつの間にかレッスンも3分の2を終え、
本番の舞台が近づいていると思うと、ただ嬉しくて。
余裕のなかった去年は、他のパートにつられまいと
耳を塞ぐようにして、必死に歌っていたけれど、
今年は他のパートの音を聞きながら歌う、多少の余裕も出て
全体のハーモニーを、体全体で感じながら歌うのは
下手は下手なりに、とても幸せなひととき。
ベートーヴェンって、やっぱり天才だなあと思うのは
何度歌っても、歌うたびに感動してしまう旋律の美しさ。
一人で、掃除機かけながら歌っている時でさえ、
感極まって、うるうるしてしまうのに
それがハーモニーになって深みを増しちゃうんだから、
レッスンのたびに、心も魂も洗われる思い。
もっともっと、歌いたい。
もっともっともっと、美しい音色で歌いたい。
リベンジを賭けた決戦と、歯が欠けるリスクを賭けた決戦、
そして、最高の喜びを味わうための決戦。
これからは大変だけど楽しい、連戦の日々。
先日実家に帰った際、父の病院に続く脇道を通っていったら
藪や畑の中に、小さな手焼きのお煎餅屋さんを発見したので
みそ入りせんべいの厚焼とそれが二ツ折になったもの2種類を、
職場へのお土産に持って行きました。
(こうして一枚ずつ手焼きされたお煎餅)
ランチの時に、さあどうぞと広げて食べてみたら、
小麦粉とお砂糖と麹味噌とゴマだけのシンプルなもので
思いの他、香ばしくておいしいと評判は上々。
ただその半端じゃない硬さに、みんな大騒ぎ。
厚焼はともかく、二ツ折を食べようとすると
前歯だと歯が欠けそうで、文字通り歯が立たず、
手で割ろうにも、割ることも出来ず、
みんなあっちを噛んだりこっちをかじったり、必死。
噛むたびに、脳髄にまで衝撃が伝わるほどの食感。
頭痛の時には、とてもじゃないけど食べられない。
しかもバリボリ噛む音がうるさくて、話が聞こえない。
「おいしい~」だの「噛めない~」だの「うるさい~」だの
お煎餅だけで1時間、大盛り上がり。
能書によると、厚焼は「お子様からお年寄りまで食べやすく」、
二ツ折は「少し固めで歯ごたえがあり」なのだそう。
噛む度に頭の芯まで響くこれが「少し」固めと言うのだったら、
「昔懐かしい、硬いせんべい」と明言している四ツ折は
いったいどこまでやってくれる気なのやら。
普段お菓子を食べない上司も、ランチと夕方に2度も食べ、
「今度は絶対四ツ折食べたい!」とリクエスト。
そこまで言って頂いたら、今度はぜひ買ってこなくっちゃ。
わたしも確かに子供の頃食べたことがある味なのだけど
久しぶりに食べると、インパクト大きくて。
もう少し顎と歯を鍛えて、四ツ折との決戦に臨まねば。
今週OECDが発表した相対的貧困率についての報告書では
日本では6.7人に一人が、貧困状態なのだとか。
OECD加盟国の中でも、ワースト4。
しかも貧困層の83%を働く人が占めているとのこと。
街には物や贅沢があふれ、豊かに見えるこの国が、
まともに働いても、まともに食べられない国だったとは。
雨宮処凛がビッグ・イシューに書いていました。
「生きていることそのものは無条件に肯定されてもいいはず」で
「今の社会はちょっとダメだったり少し不器用だったりする人が
本気で生きられなくなってしまうような残酷なことになっている」
「ちょっとくらいダメでも不器用でもあたりまえに生きさせろ」と。
無茶苦茶なようで、実は筋が通っているのでは。
ビッグ・イシューは、雑誌は買わない私が唯一購読している雑誌。
本屋さんでは買えず、ホームレスさんが街角で売っているもの。
300円の代金のうち、160円が販売者の収入になるため、
ホームレスさんの自立支援としてイギリスで始まり、
日本でも、大都市を中心に広がりつつあるみたい。
わたしも最初は、ホームレスさんの力になれればとの思いで
雑誌そのものには大した興味がないままに買っていたものの
いつの頃からか、内容がそのものが面白くて買うように。
仏語の授業でも、毎週1ページ位の作文を提出するのだけど、
そのネタとしても、結構使わせてもらっていて。
購入するのは、大体いつも梅田のWさんから。
暑い日も、寒い日も、大勢が行き来する通路の隅っこで、
歯は殆どないけれど、ちゃんとヒゲを剃り、髪を切り
首からきちんと名札を下げて、日に焼けた笑顔で立っていて。
「がんばって下さいね」「ありがとうごじゃいます」
そんな会話も、今では楽しみのひとつ。
頑張る人が、ちゃんと食べられる社会になるように
路上生活から脱出出来る人が、一人でも増えるように
どうか街角で販売者の方を見つけたら、買ってみて下さいな。
なにより内容のある、面白い雑誌ですから。
来月はフランス語の試験と第九のレッスンで多忙になり
行けないかもしれないから、今日は再び実家へ。
抜けるような青空は、吸い込まれそうに青く、
長らく腰を痛めていて、不自由していた母も、
お布団を干せるまでに、ようやく回復したみたい。
父はお風呂に入れてもらったばかりで
ちょっと疲れて眠そうだったけど、
ひげが伸びていたので、ひげを剃り、
顔も手足も、粉を吹くくらい乾燥していたので
足の指先までたっぷりクリームを塗って、つやつやに。
ひげだらけのシェイバーも、きれいに洗っておきました。
どれだけ寝たきりでも、話すことも出来なくても、
出来る限り、父らしい姿に整えてあげたくて。
父の尊厳を守るために出来るのは、それくらいのことだから。
父の菊が姿を消した、がらんと広い庭には、
母が植えた白菜や水菜が小さな葉を広げ、
母のささやかな食卓に彩りを添えていました。
春が来たら、もっと色々な苗を植えよう。
母の食卓に、楽しみが少しでも増えるように。