ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

秋恋し

2017年08月27日 16時17分00秒 | ねこ
朝晩のインシュリン注射を続けながら
やっとみいみの血糖値が安定し、
コントロール出来るようになりました。
おかげで、寝不足の朝も6時半起き、
夜出かける時は一度帰宅してから。
みいみの注射と注射のあいまに、
仕事や家事をこなしてる感じ。

それは大変でしょうと言われるけど
大変なだけじゃなくて、幸せでもある。
一日またみいみの健康を守ってやれた、
一日またみいみが元気でいてくれた、
それを幸せと呼ばずして何としよう。
神さまから預かった、小さないのち。
多くのよろこびをくれる、愛しい存在。



この夏はとてつもなく暑い日が続くから
エアコンをつけっぱなしで寝る夜も。
ウォークスルーのドアをすかしておくと
いつの間にかベッドの足元に、みいみ。
一晩に出たり入ったりを繰り返すから、
冷気を少しでも逃さないために、
ビニールシートを細長いのれんにして
みいみが通れるだけの高さで切りそろえ
ドアの隙間を覆ったりしながら。

今年の夏もどうやら峠を超えそうで、
みいみの液状化も、あと少し。
朝晩はしのぎやすくなったとはいえ
暑さが苦手なみいみのためにも
秋が恋しい今日このごろです。
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父の不在

2017年08月20日 17時53分00秒 | 家族

昼間はまだまだ暑いとはいえ、
朝のセミの大合唱も鳴りをひそめ
夜には秋を思わせる涼やかな虫の音。
お盆を過ぎるとそろそろ夏も後ろ姿。

38度も熱を出した絶不調のさなかに
実家のお墓の草むしりに行ったせいか
とにかくしんどい一週間だったなあ。
一年で最大のイベントが昨日だったから
仕事の忙しさもストレスもマックスで。
それも終わって、今日は全身脱力中。

父が他界してもう3週間とはいえ、
正直なところ、実感がわかない。
9年以上も入院生活を送って
もともと実家にいなかったから
今でもどこかの病院に居そうで。
またそのうち、顔を見に行けそうで。
父は今どこで羽を伸ばしてるのかな。



死後の世界があると思うかと問われれば
わたしは迷うことなく、イエース。
そう信じるしかない経験のせいもあるけど
その思ったほうが損がないとも思うから。
なんのこっちゃと思われるだろうなあ。

例えば、明日世界が終わると言われて
自分さえよければそれでいいというような
好き放題した挙句に、世界が終わらなければ
それこそ大惨事になるでしょう?

だから、死後も魂は存続すると仮定して
少しでも人のためになることに努めれば
もし仮定通り、魂が続いても大丈夫だし
もし仮定に反して、無に帰したとしても
なーんだ、と思う間もなく無に帰すから損はない。
それにそもそも誰かのためになることをすれば
自分も気持ちがいいから、損どころかプラス。
そんなヘンテコな理由だけど、私は大まじめ。

だから父は見えなくなっただけで、
今もどこかにいると思うの。
これまでもよく夢に出てきて色んな話をしたり
一人で家にいる時に、ふと父の匂いがして、
あ、父が来てるな、と思ったこともあった。
だからまたいろんな形で会えるって思ってる。
アブナイ人に思われるかもしれないけれど
これからも、ずっとずっとそう思ってる。

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神頼み

2017年08月15日 20時58分00秒 | 健康・癒し
わたしは子どもの頃からずっと
どういうわけか股関節が硬くて
座禅どころか、あぐらも苦手。
ペターっと開脚など夢のまた夢。

少しでも改善できないかと、
股関節のストレッチに励んでいたら
やりすぎて、痛めてしまった。
ガクッとなったと思ったら、
以来、お尻の奥から右足の裏に
痺れとダル痛さが出てしまって。

1ヶ月経っても治らないから
行きつけのペインクリニックへ。
X線によると、私の股関節の右側は
もともと掛かりが浅いから
股関節が動かしにくいのだとか。
時々ギアがはずれたみたいに
ガクッとなる原因もこれだったか。

ストレッチで梨状筋を痛めたことによる
坐骨神経痛との診断を受け、
2度ほど硬膜外神経ブロック注射。
楽にはなったけど、痺れが残って。
かくなる上は、マイ氏神様に神頼み。

(夏祭りの時のマイ氏神さま)

驚いたことに、それが効いたのか、
だるさも痺れもすっかり軽快。
そのままでも治ったかもしれないけど
神頼みのおかげかもしれないから
お礼参りにうかがわなくちゃ。

一生この痺れは取れないかと
諦めたこともあったから
普通に戻ったことがありがたく、
誰かに感謝せずにはいられなくて。
とは言え、今は忌中だから
代理で日本酒届けてもらって
わたしは、境内の外からお参り。

今後はもっと色々あるだろうけど
自力も他力もフルに活用しながら
おだやかに老いを受けいれながら
そこそこ元気に過ごせますように。
今は夏風邪ひいてる最中だけど。
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父を送る

2017年08月06日 11時10分00秒 | 家族
先週の月曜日、父が他界。
その前から容態が悪化して
先週末に家族全員で見舞い、
月曜にいったん職場に戻って
朝、仕事を始めた途端に
母から電話が入って。

2度目の脳梗塞に見舞われ、
9年2か月に及ぶ入院生活の間、
幾度となく訪れた危篤状態。
何度も持ちこたえてきたけれど
痩せて小さくなった父には
今回はもう限界だったみたい。

何度も何度も覚悟してきたから
ショックというよりは、
父がやっと不自由な体から
解放されたという安堵感。
長い間、頑張ってくれたから。

一連の葬儀は、私には異次元の世界。
高校卒業時に実家を出て以来、
親戚やご近所とのつきあいの一切を
母や姉に任せっぱなしだった私は
葬儀の詳細も、仏教のしきたりも、
親戚やご近所の顔も名前もわからず
役に立たないことと言ったら。

地元で動物病院をやっている姉は
親戚やご近所の多くが顧客だから
喪主の母ともども挨拶してまわり、
一時葬儀会社で働いたことのある妹は
業者との事務作業をテキパキこなし、
私は「チューイン(中陰)」やら
「オトキ(お斎)」やら何やら
外国語のような言葉に呆然として、
完全アウェーの中、ただ、うろうろ。
いっそバンコクやニューヨークの方が
まだよほど勝手がわかったかも。



実家のあたりは今も葬儀となると
町内会が総出で仕切って下さるから
病院から父が実家に戻った際にも
すぐに町内会長さんが駆けつけ、
町内への連絡や、会場での受付を手配。
遠くにいる私のような娘より
20倍くらい頼りになるのは間違いない。

父とは実家で一晩一緒に過ごし、
お通夜を葬儀会場で一晩過ごし、
三日目の葬儀で送り出しました。
その間、泣いたり、笑ったり、
でも、ほとんど、眠れず。

お香典はすべてご辞退し、
ごく内輪の親戚とご近所さんだけの
簡素な葬儀とはいえ、何せ田舎。
父は花が好きだったからと
母の希望で祭壇は花でいっぱい。
これでも実家のあたりの感覚では
割とこじんまりしてるのだとか。

父は生まれ育ったコミュニティや
「ちゃん」付けで呼ぶ人々に囲まれ
賑やかなことが好きだった父らしく
賑やかに旅立っていきました。
私からは連絡していないのに、
幼馴染も何人か来てくれて
申し訳ない思いでいっぱい。

そして別世界から来たわたしも、
右も左も分からないなりに
父が身を置いてきたコミュニティや
父が大切にしてきた人づきあい、
そして地域のつながりを目にして、
あえて「絆」という言葉を声高に
叫ぶ必要のなかった時代の片鱗を
垣間見たような気もするのでした。
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