17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
もともと歌舞伎が好きなせいか
市川海老蔵さんが新之助の頃から
気づけばずっと見てきたかも。
顔も舞台映えするし、声も良いのに
歌舞伎役者になることに抵抗する
やんちゃな遊び人だった新之助時代。
それで身を滅ぼさないかと心配で。
でも、父である團十郎さんが逝去後、
一気に歌舞伎役者として成長した印象。
市川宗家や歌舞伎の伝統を背負っていく
覚悟のようなものが見え始めて。
そして人間としての成熟を感じたのは
可愛らしい真央さんと結婚して、
二人の子どもの父親になった頃から。
私なんかが言うのもなんだけど、
記者会見を見ても、本当に立派。
歌舞伎役者としても、男性としても
ひとりの人間としても。
海老蔵さんをここまで成長させたのは
真央さんの影響が大きいことは、
彼女のブログを見ていればよく分かる。
ずっとフォローしていただけに
彼女の死は、私にとってもかなりの衝撃。
ただ悲しいだけではなく、
ただ可哀想なだけでもない。
この気持がなんなのか、
うまく言葉にできなくて。
もちろん幼い子どもたちを残すことも
支えたかった大切な人を残すことも、
心残りはいっぱいあったでしょう。
でも病の陰に隠れずに前に出たことで
見せてくれたのは、奇跡のようなこと。
末期がんでも、動けなくなっても
どれだけ重い病でも、短い人生でも
人には出来ることがある。
誰かを励まし、支えになり、
愛し、愛し続けることもできる。
自分も幸せになることができるし、
誰かを幸せにすることだってできる。
誰にでもできることだけど
誰もがやるとは限らないこと。
ずっとずっと忘れないよう、
心に留めておこうと思います。
「ほぼ日」でおなじみの糸井重里さんの
「ぼくの好きなコロッケ」という本の中に
こんなステキな「詩」があります。
「無敵の人」
三度三度のめしを、よく噛んで、おいしく食べて。
決まった時間に気分よくうんこして、
たのしみのひとつとしてお風呂にゆっくりつかって、
よく寝て、すっきり起きて、
いつもおだやかに笑顔でいるような人に、
だれも勝てると思わないほうがいい。
(『ぼくの好きなコロッケ』P.293)
(完全無敵の存在がここにも)
うん、たしかにこれは無敵。
特に本人が無敵であることを
自覚している場合には。
幸せも、きっとそういうもの。
どこかから降ってくるものではなく
自分の日常にあることを
ちゃんと分かっていれば
その幸せは決して揺らがない。
そんなバカな、と思うなら、
子どもや猫の姿を見るといいかも。
猫はお風呂には入らないけど、
きっと「無敵」の意味が分かるはず。
私は元々他人との間の壁が低い方で
他人に比較的気楽に話しかけるし
話しかけられるタイプだけど
最近その壁をもう少しだけ
さらに下げるよう意識しています。
人とのふれあいの楽しさを思い出して。
いつもなら会釈するだけのところで
「おはようございます」と言ってみる。
「おはようございます」だけのところで
「いいお天気ですね」と添えてみる。
「いやもう良すぎるくらい」なんて返ってくると
ちょっぴり嬉しいし、楽しくなるから。
会えば言葉を交わしていたものの
名前は聞いてなかった人には、
サラリとお名前を聞いてみる。
名前を知っているのと知らないのでは
馬鹿にならないほど違いがあるから。
名前で話しかけるようにすると
劇的に親近感が増すものだから。
日々のプチハッピー、さらにアップ。
会社勤めをしている社会人の
最大のストレスの1つは人間関係。
でもその人間関係は同時に
人生の最大のよろこびの1つ。
人間関係を面倒くさがって
家族や数少ない友人との付き合いで
完結してしまいがちだったけれど、
それだとなんだか自分の人生が
無難に縮こまってしまうのではと。
やっぱりいろんな人と出会ってこそ、
人とふれあってこその人生かも。
たとえ「腹六分目」の付き合いでも
心を明るくするプチハッピーの宝庫。
人生の幸せって、そんなプチハッピーを
1つ1つ増やして、拾い集める
そんなプチハッピーを増やしていければ
人生もまた少し豊かに出来そうで。
十代の頃からずっと頭痛持ちで
常に鎮痛剤を持ち歩いているけど
このところあまりに頻繁なので
久しぶりに頭痛外来に行きました。
CTも撮った結果は、筋金入りの片頭痛と
肩コリからくる緊張型頭痛の複合型。
最強タッグで、もはや敵なし状態。
長年鎮痛剤でごまかしてきたから
鎮痛剤以外に予防薬も服用することに。
眩しい光やうるさい音楽、暑さや匂い、
あらゆることに過敏になってしまった脳を
鎮静化させる必要があるのだとか。
ストレッチと鍼灸で、コリもほぐしつつ。
(みいみには多分アンテナも頭痛もなさそう)
つらいことばかりの頭痛持ちだけど
その「過敏さ」ゆえに不思議な現象も。
東日本大震災の前日の3月10日には
「頭痛」という言葉が普段の数倍も
SNS上でつぶやかれていたんですって。
どうやら、頭痛持ちの中には
地震の前兆を感じ取るアンテナが
あるのかもしれないのだとか。
耳鳴りになることもあるらしい。
鳥やねずみなど、野生動物たちは
大地震の前兆を感じ取るわけだから
人間にもかつてはそのアンテナがあったはず。
それが退化せずに残っている人が
多少はいてもおかしくないかも。
私は3月10日に頭痛があったかどうか
残念ながら思い出せないから、
アンテナがあるかどうかは分からない。
でも、こう毎日のように頭痛があるんじゃ
前兆だとしても分からないから
地震から身を守るためにも(?)
まずはきちんと治療をしなくては。
アメリカにいる高校時代の友達が帰国し
京都の迎賓館に行きたいと言うから
急きょ、みんなで京都へ行きました。
一番遠い子は千葉在住というのに
またしても京都駅8時50分に全員集合。
一番近い私でも必死の早起きなのに
みんな気合の入れ方がすごすぎる。
(佳久で頂いた感涙ものの絶品ランチ)
事前予約は間に合わなかったので、
迎賓館も仙洞御所も当日券をゲット。
9時過ぎから二手に分かれて並んだら
予定通りの時間帯を入手できました。
一番最初の回でも余裕で入れたけど、
いろいろ計算して、どちらも午後に。
(緑ゆたかな仙洞御所のお庭)
仙洞御所は天皇皇后両陛下がお越しの際には
今も滞在される現役の御所だけに、
建物内部は拝観できないけれど
豊かな緑に包まれた広大なお庭が美しい。
(藤棚の下の石橋を渡ります)
国賓をもてなすために建てられた京都迎賓館は
館内にあるすべてのものが、床板から釘かくし、
ソファーの布地から壁紙に至るまで
贅を尽くし、粋を極めた一級工芸品。
以前
BSプレミアムの番組で紹介された実物を
この目で見られるなんて、至福のひととき。
(ためいきが出るような漆塗りの机や座椅子)
言われなかったら絶対気が付かないような
細かいディテールにも徹底的にこだわり抜き、
一切の妥協なく整えられた調度品や内装は
現時点での最高の職人たちの誇りと意地、
磨き上げられた技と美意識の結晶そのもの。
(板戸に施された繊細な截金細工)
鑑賞されるだけの美術品と違って
絨毯や椅子、扉の取っ手や机のような
使われ、摩耗してゆくものに
ここまで魂を込め、美を追求する心意気には
ただただ敬服するばかり。
(中庭の池には山古志村の鯉が泳いでいました)
いっぱい歩いて、いっぱい食べて、
いっぱいしゃべって、いっぱい笑って。
仕事も、住む場所も、趣味も、興味も
みんなそれぞれに全然ちがうのに
不思議なもので、学生時代の友だちとは
そんなことはお構いなく友だちでいられる。
そんな友だちを今も失わずにいることが
何よりも幸せに思えたプチ旅行でした。