「龍馬伝」にどっぷりはまったわたしは
ミーハー全開で、龍馬のふるさと高知へ行ってきました。
お天気に恵まれ、きらきら輝く海を瀬戸大橋で渡ると
そこはもう、わたしが生まれて初めて足を踏み入れる四国。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/6d/4686db7dffb73b12c31f7eb51a2ea958.jpg)
高知に着いたら「土佐・龍馬・であい博」のメイン会場、
「高知・龍馬ろまん社中」へまっしぐら。
会場内には、龍馬伝の撮影に使われた撮影衣装や、
そこでしか見られない、ドラマのメイキング映像、
そして龍馬の生きた時代や、彼の生涯などが紹介されていて
どきどきわくわくしながら、結構勉強にもなって。
筆まめだった龍馬の、現存する数多くの手紙の中には
「エヘンエヘン」と得意気に書いているものもあったりして
何とも茶目っ気のある人柄だったと知り、更に身近な存在に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6a/67cfb5b2521135f6fe34d82dd2addd14.jpg)
一方、ドラマで近藤正臣演じる「怪物・容堂公」は
50代後半くらいの、いかにも老獪な人物を想像していたら
思いのほか目鼻立ちの整った、聡明な感じの人物で、
龍馬より9つ、武市半平太より2つ年上なだけで、
わずか46歳で、死去していたとは。
土佐勤王党に暗殺された吉田東洋も、
ドラマでは70近い古老の重鎮風だったけれど
実際には龍馬より20年上とはいえ、享年わずか47歳。
当然のことだけど、ドラマはあくまでもドラマで、
史実とのギャップが、驚きでもあり、面白くもあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/08/82b1b0f9739b554fc85cdc866adf819f.jpg)
そしてここが、龍馬伝のオープニングでも名高い、桂浜。
瀬戸内海の波とは全然違って、怖いくらいに迫力ある白波。
高台には、その大海原を眺めるようにして立つ有名な龍馬像。
この海を見ながら何を考えたのかと、感慨に耽ってみたりして。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d3/1d7ce188b2b20363a1f62b6225886af3.jpg)
ここは、山内容堂公の居城だった高知城。
山内容堂って、「功名が辻」の山内一豊とお千代の
15代目の子孫だったって、恥ずかしながら知らなかった。
山内容堂の頃は、それは立派なお城だったみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c0/402fa7812e27039730beae3b4fa61261.jpg)
すぐ近くの文学館では「土佐山内家宝物資料館」特別展が開催。
お酒と女性、水墨画や漢詩などの芸術を愛した人だったとか。
なかなかにユーモアもある人だったようで、
手紙には「コリャタマラン」とか「僕もシカラレル」なんて言葉も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/f3d0d8cb91137fc7dee95160742e6db2.jpg)
そして、ここが武市瑞山こと武市半平太、終焉の地。
前々回の、涙を誘った奥方との別れのあさげの後、
投獄されて1年半後、ここで切腹して果てたのだとか。
今は市場が目の前にある、賑やかな通りの一角でした。
尋ねて行った場所はどこも、つわものどもが夢のあと。
その夢のあとをほんの少しだけ辿る旅も、ここでおしまい。
この思い出を胸に、今後の「龍馬伝」の行く末を見届けよう。
ミーハー全開で、龍馬のふるさと高知へ行ってきました。
お天気に恵まれ、きらきら輝く海を瀬戸大橋で渡ると
そこはもう、わたしが生まれて初めて足を踏み入れる四国。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/6d/4686db7dffb73b12c31f7eb51a2ea958.jpg)
高知に着いたら「土佐・龍馬・であい博」のメイン会場、
「高知・龍馬ろまん社中」へまっしぐら。
会場内には、龍馬伝の撮影に使われた撮影衣装や、
そこでしか見られない、ドラマのメイキング映像、
そして龍馬の生きた時代や、彼の生涯などが紹介されていて
どきどきわくわくしながら、結構勉強にもなって。
筆まめだった龍馬の、現存する数多くの手紙の中には
「エヘンエヘン」と得意気に書いているものもあったりして
何とも茶目っ気のある人柄だったと知り、更に身近な存在に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6a/67cfb5b2521135f6fe34d82dd2addd14.jpg)
一方、ドラマで近藤正臣演じる「怪物・容堂公」は
50代後半くらいの、いかにも老獪な人物を想像していたら
思いのほか目鼻立ちの整った、聡明な感じの人物で、
龍馬より9つ、武市半平太より2つ年上なだけで、
わずか46歳で、死去していたとは。
土佐勤王党に暗殺された吉田東洋も、
ドラマでは70近い古老の重鎮風だったけれど
実際には龍馬より20年上とはいえ、享年わずか47歳。
当然のことだけど、ドラマはあくまでもドラマで、
史実とのギャップが、驚きでもあり、面白くもあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/08/82b1b0f9739b554fc85cdc866adf819f.jpg)
そしてここが、龍馬伝のオープニングでも名高い、桂浜。
瀬戸内海の波とは全然違って、怖いくらいに迫力ある白波。
高台には、その大海原を眺めるようにして立つ有名な龍馬像。
この海を見ながら何を考えたのかと、感慨に耽ってみたりして。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d3/1d7ce188b2b20363a1f62b6225886af3.jpg)
ここは、山内容堂公の居城だった高知城。
山内容堂って、「功名が辻」の山内一豊とお千代の
15代目の子孫だったって、恥ずかしながら知らなかった。
山内容堂の頃は、それは立派なお城だったみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c0/402fa7812e27039730beae3b4fa61261.jpg)
すぐ近くの文学館では「土佐山内家宝物資料館」特別展が開催。
お酒と女性、水墨画や漢詩などの芸術を愛した人だったとか。
なかなかにユーモアもある人だったようで、
手紙には「コリャタマラン」とか「僕もシカラレル」なんて言葉も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3a/f3d0d8cb91137fc7dee95160742e6db2.jpg)
そして、ここが武市瑞山こと武市半平太、終焉の地。
前々回の、涙を誘った奥方との別れのあさげの後、
投獄されて1年半後、ここで切腹して果てたのだとか。
今は市場が目の前にある、賑やかな通りの一角でした。
尋ねて行った場所はどこも、つわものどもが夢のあと。
その夢のあとをほんの少しだけ辿る旅も、ここでおしまい。
この思い出を胸に、今後の「龍馬伝」の行く末を見届けよう。