17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
退職してからというもの、
暇を見つけては旅行ばかりしてきたのは
これまで出来なかったから、そして
みいみがいない寂しさを埋めるため。
みいみと暮らした約17年の間、
出張以外は殆ど旅行出来なかったから。
たまに長期の海外出張が入ると
みいみは血尿や尿結石になったりしてた。
みいみは私がいないとダメな子だったから。
特に糖尿病になってからの4年間は
12時間毎の注射が欠かせなかったし。
それはとても不自由なことだったけど
全然不幸なことなんかじゃなかった。
不自由さを遥かにしのぐほど
みいみのことが心から愛おしかったし、
みいみといることが幸せだったから。
今だって、もし選べるなら
不自由でいいから、みいみにいてほしい。
旅行に行けなくてもいいから
みいみの温もりを感じて暮らしたい。
でもどうしたってそれが叶わないから、
旅行で紛らわせているのかも。
次の子猫を飼うのは年齢的に無理だし
飼うとしたら、きっとある程度の年齢の成猫。
それでも責任を持って最期まで看取れるか、
自分の年齢的にも、自信もなくて。
みいみの看取りまでの最後の数か月間が
心身ともに本当に大変だったことを
まだ胸が痛むほどに覚えているだけに。
テレビで猫を見ると胸がきゅんとなる。
みいみの穴はきっと何をもってしても
決して埋まることはないだろうけど
また猫と暮らせる日が来ることを
心の片隅で夢見ているのでした。
これまでみいみのお骨は
ずっと手元供養してきたけれど
今日やっと地元のペット供養のお寺に
納骨し、法要をしてもらってきました。
胸に抱いたお骨壺を託すときは
ちょっと寂しさがこみあげたけれど
お位牌も作って頂いたから
これからいつでもお参りにいける。
ああ、これでやっと、みいみの魂だけでなく、
お骨も天にお返しすることができたなあ。
犬や猫に法要が必要かどうかは分からないけど
今のようなマンション暮らしでは
土に還してやることも出来ないから。
みいみの面影を抱きしめるようにして
改めて16年8ヶ月の幸せに感謝しながら、
静かに手を合わせて祈っていると、
みいみがまとわりついてくるような感覚。
悲しいよりも、幸せな満たされた時間でした。
犬猫の保護活動をしている
塩田妙玄さんという尼さんが
ブログにこう書いてらっしゃいました。
(写真:©UNICEF)
「ウクライナの防空壕にいた、
猫を大事に抱きしめていた小さな女の子は
いつまで猫といられるのだろう。
銃声が響く中、避難している人の背後から、
ずーっと聞こえていた犬の吠え声。
あの子は鎖くらいは、放してもらえただろうか。
大きな犬と車に乗っていた男性は、
犬とどこまで車で行けたのだろう
私たちは、知らなければならない。
家族もいて、家も、空調も、ふとんもあり、
食べ物は町にあふれている中で、
うちの子と暮らしている奇跡を。
うちの子を大事にできる奇跡を。
1頭の犬が死んだことを
1匹の猫が死んだことを
安全な場所で十分に泣けて、
悲しみに沈める空間があるという豊満を。」
本当にその通りだなあ。
みいみと最後まで暮らせた幸せ、
みいみを安全な家で看取れた幸せ、
みいみの死を心ゆくまで
悲しむことが出来た幸せ。
今、ウクライナの人々には
失われてしまったことばかり。
ウクライナに一日も早く、
平和が訪れますように。
このところ急に寒くなったから
冬物をひっぱり出したせいか、
ふと気が付くと、そこここに
どこからともなく飛んでくる
ふわふわした、みいみの毛。
少し前までは見つけるたびに
悲しみで胸が締め付けられ
涙があふれていたけれど
最近は少し変わってきたかも。
涙がこみあげるのは同じだけど
今は喪失感だけが原因じゃない。
みいみの毛を見つけるたび、
わたしの妄想なのだろうけれど
こんな言葉が聞こえるようになった。
「ミイミハ、イツモソバニイルヨ」
私はうれしくて、切なくて、
ふわふわした一本の毛を
撫でたり、胸に抱きしめたり。
そして、これまた都合のいい、
勝手な妄想なのだろうけれど、
こんな言葉も心に響いてきたり。
「オカアサン、ダイスキ」
これが私の妄想じゃなくて
本当にそう思ってくれてるといいな。
みいみは、私にとって天使で
何よりも愛おしい「いのち」で
永遠に奪われることのない宝もの。
これからもずっとずっと
わたしの傍にいてくれると信じて。
このところのわたしの日々に
決定的に「ねこ」が足りない。
みいみがいなくなってから、
日々嫌と言うほど思い知るのが
猫のいない人生の味気なさ。
だからといって、すぐに次の子、
という気にはまだなれないから
その穴をこんなモノで
埋めようと虚しい努力をしています。
これは猫の形の紅茶ティーバッグ。
パッケージがかわいいから
取っておいた頂き物だけど、
中身はもっとかわいかった。
ティーバッグになった胴体は
マグカップの熱湯に浸し、
前足が取っ手を抱え込む形。
後ろから見ると、こんなふう。
ちゃんと後ろ足もしっぽもあって
かわいすぎる演出がたまらない。
思わずネットで探してみたら、
ちゃんと
ここにありました。
他の種類のも見つけたよ。
かわいいティーバッグと
美味しい紅茶にしばし和みつつ、
私を励まそうと送ってくれた人に
改めて感謝しながら頂きました。