17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
以前テレビで紹介されていて
近くの図書館で予約待ちをしていた
西加奈子さんの「くもをさがす」を
やっと読むことが出来ました。
予約した時点では、確か50人待ちくらい。
コロナ禍、子連れでカナダのバンクーバー滞在中に
トリプルネガティブの浸潤性乳管癌が見つかり
両胸を切除したという体験談なんだけど
とにかくぶっ飛ぶような驚きの連続。
なのにユーモラスでパワフルで感動する。
だって、全身麻酔で両胸と
リンパも3つ切除したというのに
日帰り手術なんて、信じられる?
しかも手術当日の朝に別の病院で
リンパ節転移の有無を調べる
センチネルリンパ節生検を受けたのち、
自力で手術を受ける病院に移動し、
正午から手術して15時に退院予定だなんて。
しかも帰りに別の場所にある薬局に寄って
自力で薬を貰いに行かないとならないなんて。
そんな驚きの体験にもへこたれることなく
心の中で「無理に決まってるやろ」とか
「そんなん出来るかーい」などと
関西弁で絶えずツッコミを入れながらも
優しい友人たちに支えられながら
乗り越えていく作者の明るい力に
読んでいて大きく励まされました。
日本でも入院期間はどんどん短くなってるけど
それにしても両胸切除が日帰り手術とは。
術後麻酔から覚めたらすぐに歩かされて、
そのまま退院させられるなんて過酷すぎる。
でもそれを可能にしているのが、
数多くの友人たちの善意と愛だというのが
必ずしも「日本で良かった」と思えないところ。
日本だったら家族に病気が見つかったら
家族がすべて面倒をみなきゃいけないけれど
「他人様に迷惑をかけていけない」どころか
「困ったときはお互い様」とばかりに、
周囲の人々が当然のように支えてくれたという。
事実、手術に立ち会ったのも、送り迎えしたのも
作者の夫ではなく友人の一人だった。
「バンクーバーに数年いた私が感じたのは、
日本人には情があり、
カナダ人には愛がある、ということだった。」
そして作者は、この過酷な経験の中にも
たくさんの「美しい瞬間」があり、
それを「書くべきだ、皆に知ってもらうべきだ」と
思ったのがこの作品になったのだという。
「私は、私に起こった美しい瞬間を、
私だけのものにして、死にたい。」
もともとはそう思っていたにもかかわらず。
作者が彼女の「美しい瞬間」を
共有してくれたことに感謝しながら、
次に待っている人のために
図書館に返してこようと思います。
どうか彼女の「美しい瞬間」が
一人でも多くの人に届きますように。
この週末は知人に誘われて
梅田MBSホールで開催されていた
「キャンサーフォーラム」へ。
ホールには所狭しとブースが並んで
さまざまな患者会や支援団体が
活動紹介などをしていました。
来場者も多くて、大賑わい。
その知人自身も乳がんサバイバー。
6年前に乳がんを患い
抗がん剤や手術を受けながらも
手術の時以外は休まず仕事を続け
その前後13年もご両親の介護をし、
二人ともご自宅で看取られたのだとか。
どうしてそんなに頑張れたのと聞いても
抗がん剤治療は本当に辛かったけど
そんなものかなと思って、という返事。
仕事とがんと、親の介護との両立。
世の中がみんなこれが普通だったら、
私なんてその3分の1も頑張ってない。
同じことが自分の身に降りかかっても
絶対彼女と同じようにはできないなあ。
そういえば私のまわりにも彼女だけでなく
がんサバイバーが何人かいる。
みんな仕事をしていたり、子育てしてたり
親の介護をしてる人も実際いるなあ。
世の中にはしれっと普通の顔して
そんなに大変なことをやっている人が
知らないだけで大勢いるに違いない。
フォーラム会場で出会う人々に
そんなことを思いめぐらしながら、
心中そっと首を垂れる思いでした。
数十年ぶりの大寒波によって
このあたりでも遂に雪がちらちら。
昨夜凍えながら仕事から帰ると
駅前の花壇の花も雪化粧。
そして今朝は雪がちらつく中、
この2年間どうにか通い続けた、
上智大学グリーフケア研究所の
最後の講義に行ってきました。
仕事しながらの受講はやはり大変で
やり遂げたことにほっとしながらも
名残惜しくて、離れがたくて、
同期の方々と打上げに行ってきました。
様々な年代や背景の方々と出会い、
自分でも蓋をしてきたような、
向き合うことを避けてきたような、
自分の心の奥にあるものに向き合い、
涙や笑いと共に分かち合ってきた日々。
2年前までは赤の他人だった方々との
この不思議な縁に感謝しながら
これから自分に何が出来るかを
ゆっくり探していこうと思います。
もともと歌舞伎が好きなせいか
市川海老蔵さんが新之助の頃から
気づけばずっと見てきたかも。
顔も舞台映えするし、声も良いのに
歌舞伎役者になることに抵抗する
やんちゃな遊び人だった新之助時代。
それで身を滅ぼさないかと心配で。
でも、父である團十郎さんが逝去後、
一気に歌舞伎役者として成長した印象。
市川宗家や歌舞伎の伝統を背負っていく
覚悟のようなものが見え始めて。
そして人間としての成熟を感じたのは
可愛らしい真央さんと結婚して、
二人の子どもの父親になった頃から。
私なんかが言うのもなんだけど、
記者会見を見ても、本当に立派。
歌舞伎役者としても、男性としても
ひとりの人間としても。
海老蔵さんをここまで成長させたのは
真央さんの影響が大きいことは、
彼女のブログを見ていればよく分かる。
ずっとフォローしていただけに
彼女の死は、私にとってもかなりの衝撃。
ただ悲しいだけではなく、
ただ可哀想なだけでもない。
この気持がなんなのか、
うまく言葉にできなくて。
もちろん幼い子どもたちを残すことも
支えたかった大切な人を残すことも、
心残りはいっぱいあったでしょう。
でも病の陰に隠れずに前に出たことで
見せてくれたのは、奇跡のようなこと。
末期がんでも、動けなくなっても
どれだけ重い病でも、短い人生でも
人には出来ることがある。
誰かを励まし、支えになり、
愛し、愛し続けることもできる。
自分も幸せになることができるし、
誰かを幸せにすることだってできる。
誰にでもできることだけど
誰もがやるとは限らないこと。
ずっとずっと忘れないよう、
心に留めておこうと思います。
ぼやきながらも、タイに来てしまったので
週末には、あちこち観光してきました。
バンコクの主な観光地は一通り行ったので
土曜日は世界遺産、アユタヤへ。
最初に訪れたのは夏の離宮、パン・パイン。
様々な建築様式の建物が広大な敷地に点在。
その後、有名なワット・マハタートへ。
数多くの仏塔や拝殿を有した寺院だったのが
18世紀にビルマ軍との激しい戦闘で
破壊し尽くされて、廃寺となった遺跡。
仏像はすべて頭を切り落とされ、
一時はジャングルになっていたのだとか。
地面に打ち棄てられていた仏頭の一つを
抱え込んだ有名な菩提樹がこちら。
仏頭を抱いて、持ち上げているようなこの樹は、
それ自体の生命力の強さもさることながら、
愚かな人間共にこれ以上の破壊を許さぬため、
仏頭を護りながら「自らのしたことを見るがいい」と
訴えかけているような意思の強さを感じました。
きっと何かが宿っているご神木なのでしょう。
ワット・ナブラメンではタイのおみくじに挑戦。
すべてに恵まれ、どんな願いも叶うという、
超大盤振る舞いのお告げを頂きました。
うれしくて、ご本尊に丁寧にお参りしてたら
近くにいらした僧侶に手招きして呼ばれ、
聖水を振りかけながらご祈祷して頂いた上、
サーイシン(聖糸)を手首に結んでもらいました。
健康や幸福のお守りのようなものらしく、
ミサンガみたいに切れるまで付けておくみたい。
その後、巨大な屋外涅槃仏のある、
ワット・ロカヤスタで、タイ式の参拝も体験。
蓮の花と長いお線香をお供えし、
仏像に小さな金箔を張り付けてお参りします。
私は、旅と留守宅の無事を祈願しました。
アユタヤからの帰路は、チャオプラヤクルーズ。
多国籍のビュッフェランチをデザートまで満喫し、
夕暮れの風に吹かれて水辺の景色を楽しみながら、
日頃の慌ただしさとは違う時間を味わいました。
タイに来てから、お腹をこわすどころか
太る一方なのは、いいんだか、悪いんだか。
フルーツが豊富でおいしすぎるのが困りもの。
今回一人旅だったけど、同じく一人旅をしていた
ニューヨーク在住のイタリア女性と知り合い、
ずっと丸一日、旅を共にしました。
家族のことや、今まで訪れた国のことや
さんざん色々な話をした挙句、ひょんなことから
出張先の職場が同じビルだったことが判明。
お互いのメールアドレスも交換して、
思い出だけでなく、友人も増えた旅でした。