去年の春の終わり頃だったでしょうか、
わたしが乗っていた小さな船は
沈められることになりました。
いつか来る日を覚悟していたものの
小さくても楽園のような船だったから
やはり、悲しい知らせでした。
やがて、船長は安全な大きな船に去り、
私たち乗組員だけが残りました。
沈む日を待つだけの日々でした。
沈む前に何とか乗り移れる船はないかと
あわてて探してみたりもしたものの
そんな簡単なことではありませんでした。
そうこうするうちに、沈む時期が延期され、
そんな状態でも、仲間との日々は楽しく、
次第に、どうせなら最後まで見届けよう、
そう思うようになりました。
タイタニックで最後まで音楽を奏でながら
船と共に、沈んでいった楽団員のように、
最後の瞬間まで楽しんで沈むのも、悪くない。
でも船と一緒に沈むのは、わたし一人でいい。
だから、出来ることなら仲間たちは
一人でも助けたいと思っていました。
多少安全そうな別の船に乗りかえてもらったり
少しでも身が立てられるよう、売り込んだりと
出来る限りのことは続けてきました。
そんな中、大震災が起こりました。
これまで以上に、自分一人のことなど、
大きな問題ではないと思うようになりました。
どんな時でも、自分の人生を信じてきたので
わたしのことなら、必ずどうにかなる、
不安はあったけれど、そう思っていました。
(私にはこの雲が、翼を広げた大きな白い鳥に見えました)
そうしたら、別の船からまさに助け舟の申し出が。
今の船ごと、その船の乗組員にならないかと。
どうにかなる、と信じてはいたものの
こんな願ってもない形で、どうにかなるとは。
人生は信じるに値する、心からそう思いました。
その船がどんな船かは、まだ良くわかりませんが、
人生がもたらすものは、全て自分に必要なもの。
それがたとえ、ボロ船であったとしても
自分の居場所なら、自分が作ればいいし、
ボロ船の中に、また1から楽園を作っていけばいい。
感謝しながら、すべてを受け入れるつもりです。
でも自分だけが助かるわけにはいかないので、
何とかして一人でも、次の船を確保したい。
同じ船に、一緒に乗せてあげられればいいのですが
残念ながら、わたしが決められることではなくて。
一人はその実力が買われ、大きな船への誘いを受けたのに
どういうわけか、その船には行きたくないと言う。
説得はしているけれど、無理強いは出来ないし、
幸い、先方も本人の意向を検討してくれているらしい。
他の人たちも、なんとか一人でも多く
希望に沿った形での行き先を探っているものの、
不確定要素が多すぎて、判断に困っていて。
そういうわたしも、不確定要素だらけだけれど。
毎日のように、みんなで話をした結果、
心配しようと思ったら、いくらでも出来るけれど
期待しすぎず、かといって絶望もせず、
とにかく今の毎日を楽しもう、という結論に。
こんな状況で、こんな結論で笑い合える仲間がいることを
神さまに感謝せずにはおられません。
こんな楽園の日々は、たとえ失われた後でも
決して色あせることなく、わたしの今後の人生を
ずっと照らしてくれるに違いないと思うのです。