ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

福島-幻想的な夏の夜

2011年08月31日 21時13分00秒 | 花・自然
去り行く8月の夏の夜に
こんな美しい映像はいかがでしょう。
あまりに幻想的で、心奪われる風景。



福島のこんな美しい風景が
原発禍におびえていると思うと、切ない。
原発事故が奪いつつあるのは
人々の日常だけでなく、
未来の子どもたちに託すべき、
こんな美しい自然もだったんだなあ。

アメリカインディアンに伝わる
こんな言葉を思い出す。
「大地は、先祖から受け継いだものではなく
未来の子孫から、借り受けたものである。」

原発の恩恵を受けてきた一人として
子孫から借り受けた恵みを返す責任を感じつつ、
原発の行方を見守ってゆかなければ。
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過ぎ行く夏に

2011年08月27日 22時25分00秒 | 仕事・職場
この夏も元同僚(OB)の懐かしい人々が
次から次へと、遊びに来てくれました。
駅からも遠く、不便なところにあるにも関わらず
暑い中、元気な笑顔を見せに来てくれて。

今日もフランス語のレッスンの後、
東京から帰省中のOBの一人と一年ぶりのランチ。
迷いながらも、地に足をつけて歩いている様子に
安心すると同時に、頼もしさも感じられて。
若いOBさんたちは、ひまわりのよう。
会うたびにまぶしいばかりに成長して、
嬉しい反面、ちょっぴり寂しい。



以前紹介した「たとへば君」の永田和宏さんは
歌人であると同時に細胞生物学者でもあって、
大学院で学生を指導し、世に送り出しながら、
「私だけが一本の杭のようにその流れの中に立っていた。
(中略)杭だけがそこに取り残されて老いてゆく。
さびしいことである。」と書いていらした。
深い共感を感じながら先を読むと、こんな言葉が。

「(学生たちが)それぞれの環境での自分の位置を測るのに
その座標の一部としてわたしという杭があり、
その杭と共にあった彼ら自身の日々があるのかも知れない。
それならば、寂しくとも杭は動いてはならない。」

私はみんなが帰りたい時、帰ってこられるように
灯台であり続けたいと願ってきたけれど
そういう座標の一部にも、なれたらいいな。
私たちと共に過ごした日々を一つの定点として、
各々、自らの成長を実感してもらえたらいいな。
そんな役目のための寂しさなら、よろこんで。
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続・幸福の感度

2011年08月24日 22時11分00秒 | 社会
以前「幸福の感度」について書いたけど
美輪明宏さんの「花言葉」という本の中には
こんな明快な言葉がありました。

「苦しみを経験するから、
幸せが来た時、そのありがたみが分かる。
苦しむことは、
幸福感の感度を鍛えるための注射なのです。」

(苦労しているようには見えないけど、幸せそう)

なるほど、日本人の幸福の感度が低いのは
つまりは、苦労知らずということか。
確かに、ひもじさを知らなければ
食べ物のありがたさは分からないだろうし、
砂をかむような孤独を知らなければ、
人のありがたみも分からないだろうな。

とすれば、苦しみを知ることは
本当の幸福を知る、一番の近道なのかも。
苦しみや苦労にも、こんな大切な意味があるのだから
やっぱり人生には、無駄なものなんて
たぶん、ひとつもないんだなあ。
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小さな船の寓話

2011年08月21日 22時50分00秒 | 友人・仲間
去年の春の終わり頃だったでしょうか、
わたしが乗っていた小さな船は
沈められることになりました。
いつか来る日を覚悟していたものの
小さくても楽園のような船だったから
やはり、悲しい知らせでした。
やがて、船長は安全な大きな船に去り、
私たち乗組員だけが残りました。
沈む日を待つだけの日々でした。

沈む前に何とか乗り移れる船はないかと
あわてて探してみたりもしたものの
そんな簡単なことではありませんでした。
そうこうするうちに、沈む時期が延期され、
そんな状態でも、仲間との日々は楽しく、
次第に、どうせなら最後まで見届けよう、
そう思うようになりました。

タイタニックで最後まで音楽を奏でながら
船と共に、沈んでいった楽団員のように、
最後の瞬間まで楽しんで沈むのも、悪くない。

でも船と一緒に沈むのは、わたし一人でいい。
だから、出来ることなら仲間たちは
一人でも助けたいと思っていました。
多少安全そうな別の船に乗りかえてもらったり
少しでも身が立てられるよう、売り込んだりと
出来る限りのことは続けてきました。

そんな中、大震災が起こりました。
これまで以上に、自分一人のことなど、
大きな問題ではないと思うようになりました。
どんな時でも、自分の人生を信じてきたので
わたしのことなら、必ずどうにかなる、
不安はあったけれど、そう思っていました。

(私にはこの雲が、翼を広げた大きな白い鳥に見えました)

そうしたら、別の船からまさに助け舟の申し出が。
今の船ごと、その船の乗組員にならないかと。
どうにかなる、と信じてはいたものの
こんな願ってもない形で、どうにかなるとは。
人生は信じるに値する、心からそう思いました。

その船がどんな船かは、まだ良くわかりませんが、
人生がもたらすものは、全て自分に必要なもの。
それがたとえ、ボロ船であったとしても
自分の居場所なら、自分が作ればいいし、
ボロ船の中に、また1から楽園を作っていけばいい。
感謝しながら、すべてを受け入れるつもりです。

でも自分だけが助かるわけにはいかないので、
何とかして一人でも、次の船を確保したい。
同じ船に、一緒に乗せてあげられればいいのですが
残念ながら、わたしが決められることではなくて。
一人はその実力が買われ、大きな船への誘いを受けたのに
どういうわけか、その船には行きたくないと言う。
説得はしているけれど、無理強いは出来ないし、
幸い、先方も本人の意向を検討してくれているらしい。

他の人たちも、なんとか一人でも多く
希望に沿った形での行き先を探っているものの、
不確定要素が多すぎて、判断に困っていて。
そういうわたしも、不確定要素だらけだけれど。

毎日のように、みんなで話をした結果、
心配しようと思ったら、いくらでも出来るけれど
期待しすぎず、かといって絶望もせず、
とにかく今の毎日を楽しもう、という結論に。

こんな状況で、こんな結論で笑い合える仲間がいることを
神さまに感謝せずにはおられません。
こんな楽園の日々は、たとえ失われた後でも
決して色あせることなく、わたしの今後の人生を
ずっと照らしてくれるに違いないと思うのです。
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Love in Peace

2011年08月20日 21時34分00秒 | 趣味
日本人のイラストレーターがデザインし、
カンボジアの職人が手作りしたこのペンダントは
実は、地雷や不発弾を溶かして作ったもの。
フェリシモのフェアトレードで買いました。



人を殺すための兵器だったものが、
こんなにぬくもりある、可愛いものになるなんて。
このペンダントにつけられた名前は「平穏な愛」。
この材料だった地雷があった村の人々にも、
このペンダントを手作業で作ってくれた人々にも、
このペンダントを見て、笑顔になってくれた人にも、
みんなに訪れますように、LOVE IN PEACE。

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