17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
このところよく雨が降るけれど
草花には、春を待つ芽吹きの雨。
そういえば、先日近所の庭先で
うぐいすを見かけました。
残念ながら鳴いてはくれなかったけれど
声が聞ける日も、きっと近いはず。
今日もお休みを頂いていたので、
整形外科で星状神経照射を受けてきました。
仕事柄、腱鞘炎には悩まされてきたものの
何とか日常生活に支障ない程度になったと思ったら、
このところ、指先の痺れや腕のだるさ、
首の付け根の強い痛みが時折出るようになり、
検査の結果、頚椎症と手根管症候群を発症していた模様。
この治療法は交感神経の緊張を緩和し、
血流が改善されることで、
自然治癒力や免疫力を高め、
自律神経を安定させるものなのだとか。
つまりは、お医者さんによるヒーリングみたいな感じ。
そんなものが効くのかしらと思っていたけれど
病状が比較的軽度だったせいか
照射3度目にして、かなり楽になりました。
でも「肩は2ヶ月、手は4ヶ月」と言うらしく
これからも気長に治療しながら
仕事や日常生活と折り合いをつけていかなくてはね。
その後、近くにある西宮ガーデンズの
「イン・ザ・ルーム」というマクロビカフェで
マクロビランチをしてきました。
玄米と黒米のごはんに、小豆と野菜のシチュー、
お惣菜2種類と、栗と小豆とレーズンのブラウニー付きで
これまた自分の体の中から、きれいで元気になれそう。
今年は、わたしの体が本来持っている、
「元気」や、「きれい」や、「バランス」を
もっと引き出し、もっと大切にすることを学ばなくては。
仕事はお休みを頂いていたので
今日は再び、両親の元へ。
山ふところに抱かれた田舎はまだ風が冷たいけれど
朝からの雨も止み、午後からは時折陽ざしも出て
そこかしこに、梅がほころび始めていて。
実家に着くとまずは確定申告へ。
今まで父に任せっきりでやったことがないと
不安がる母に代わって、わたしが代理で。
わたしとて過去1度しかしたことがないけれど、
まあなんとかなるだろうと行ってみたら、
何と言うこともなく、5分ほどで終了。
母もこれでひと安心してくれた様子。
次はいったん実家に戻って、タオルや着替えなどを抱え
歩いて15分ほどのところにある、父のいる病院へ。
相変わらず、言葉はほとんど話さないけれど、
「お父さんはいっぱい働いたから
神さまがゆっくり休めって言ってるんだね。」と言うと
赤子のような瞳でわたしを見つめ、うなづいていた父。
父と過ごす静かな時間は、たとえ短くても
どこか心が洗われるような気がするのは、なぜかしら。
そして洗濯物を持ち帰り
家中、がーがーと掃除機をかけまわり、
わたしのささやかな親孝行の一日は
またあっという間に過ぎてゆきました。
今日はみみにゃんの5歳の誕生日。
みみにゃんが生まれてきてくれて、
もう5年になるなんて。
みみにゃんがうちに来てくれてから
毎日が本当に楽しかったから、
「おめでとう」というより、「ありがとう」。
みみにゃんがうちにいてくれるだけで
どんな寒い日も、部屋が暖かく感じられた。
みみにゃんの寝姿を見ているだけで
固くなった心も、疲れも、すぐにほぐれた。
みみにゃんの柔らかなぬくもりを胸に抱いていると
体中が安らかなもので満たされる。
みみにゃんがいない生活は
今のわたしにはとても想像できないから
これからも変わらず、わたしの傍にいてね。
木々や草花の植物って、物も言わず
ただそこに生えて風に揺れてると思っていたけれど、
実際には、自ら天敵と戦ったり、
相互にさまざまなコミュニケーションを
取ったりしているのだとか。
たとえば、ナミハダニに襲われたライマメは
化学物質を出して、ナミハダニの天敵を呼び寄せて
ナミハダニを駆除してもらったりすると云う。
そして周囲にも、警告か協力依頼を出すために
周辺のライマメも一斉に同じ物質を出すのだとか。
同様にトマトの木では、
害虫や病原菌に襲われた木は自己防衛のために
害虫や病原菌に対して毒となる物質を作り出すのだとか。
そしてその周囲のトマトも、それを聞きつけて
同じように防衛物質を生成するのだけれど、
それだけでなく周辺のヨモギまでもが同じように
防衛物質を生成し始めるのだって。
簡単に踏まれたり、折られたりする存在だけど
植物には植物の共通の言葉があって、
種を超えた集合意識のようなものが動いているのかしら。
黙ってやられているばかりじゃなくて
静かに、精一杯の抵抗や協力を試みてると思うと
なんだか、いじらしい。
そういえば杉の木も大量に伐採されると
翌年周辺の杉の木が大量の花粉を飛ばすと
聞いたことがあったような。
それは失われた仲間を補うためらしいけど、
杉にとって最大の天敵である「人間」に対する、
彼らなりの防衛、だったりするのかも。
害虫や病原菌はどうすることも出来ないけれど
せめて人間は、天敵でなく、友人でありたいなあ。
その悲鳴を聞くことは出来なくても、
感じてあげられる人に、なりたいなあ。
木々や草花の間で飛び交っているのが
悲鳴や警告だけでなく
楽しいおしゃべりもあることを願いつつ、
今年もベランダのプランターに
お花の苗をたくさん植えることにしよう。
先週までの暖かさが嘘のような
冷え込みが戻ってきた、ここ数日。
まさに、三寒四温の季節。
早春、とはいえ、
沈丁花のつぼみもまだ固く。
先日、わたしの職場の元インターンさんの一人から
仕事を続けるべきかどうか迷っているとの相談を受けました。
人間関係でも、仕事自体でも悩みを抱えているようで、
逃げ出したい思いが、メールの文面ににじんでいて。
何を言ってあげられるのか、
何を言ってあげるのがいいのか、
2-3日迷い続けて、やっと昨日送った返信メール。
仕事のやりがいや、面白さや、職場での自分の居場所は
必ずしも「与えられるもの」ではなく
「見つけるもの」、「作り出すもの」だということ。
「卒業」としての転職はうまくいくことが多いけれど
「逃げ」の転職は、そうならないことが多いこと。
そして、答えは自分自身の中にしかなく、
自分自身でしか、見つけ出せないものだということ。
考えに考えた末の言葉で、
その言葉自体に、迷いはないけれど、
このタイミングでそれを言うことが正しかったのか、
彼にちゃんと伝わるように言えたかどうか、
そのことは今でも、迷うことしきり。
多分、それは彼が聞きたかった言葉ではなかっただろうから、
わたしの言葉は、今は彼をうちのめしただけかもしれない。
突き放すように、冷たく聞こえただけかもしれない。
でもいつかわたしの言葉が心にじわっと沁みて
彼の固くなった心をほぐし、
彼の道をかすかにでも照らす日が来ると信じよう。
春はまだ、もう少し先。