ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

胸に抱いて

2020年12月29日 20時21分00秒 | ねこ
今年は今日が仕事納め。
最後の最後までバタバタだったけど
どうにか無理やり幕を下ろしました。
残りは年明けに持ち越すことにして。

今年は世界も大変だったけど
私には大切なものを失った年。
随分号泣発作は収まってきたけど
最期の日のことを思い出すと
胸が苦しくなってつらくなる。

でも、そんな時に思い出すのは、
みいみが長くないと覚悟した頃に読んだ
「猫とさいごの日まで幸せに暮らす本」の
表紙の帯に記してあったこの言葉。



この言葉、本当にそのとおりだと思う。
最期を看取れない哀しみに比べたら
最期を看取れたことは、確かに幸せ。
最期をちゃんと看取ってやれたことで
みいみと暮らしたこの上ない幸せを、
ちゃんと完結させられたに違いない。
みいみへの尽きることのない愛を
ちゃんと全うさせられたに違いない。

それはとても哀しいし、寂しいけど、
同時にとても幸せなことだということを
自分に何度も何度も言い聞かせてる。
そしてこの言葉をしっかり胸に抱いて、
2020年を静かに終えたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失ったものの大きさ

2020年12月22日 20時44分00秒 | ねこ
先日、みいみの四十九日も過ぎ、
いつの間にか年の瀬が押し迫って
私もあと1週間程で仕事納め。
心にぽっかり空いた穴を抱えたまま
朝はジョギング、日中は仕事と
表面的には日常生活が戻っています。

今年は帰省も自粛することになり、
いつにもまして静かな年末年始。
どんな年越しになるのか、
自分でも想像がつかなくて。



これまではみいみがいたから、
年末年始と言えどいつものリズム。
何時に寝ようと、外出しようと、
朝は6時半に起きてインシュリン。
夜も6時半にはインシュリン。

私には海のような存在だったな。
いつも変わることなくそこにいて、
一定のリズムで寄せては返す、
波のような、大いなる恒常性。
大自然に繋がる恒常性そのもの。

それは私を縛りもしたけど
それ以上に支えもしてくれた。
変わることのない恒常性が
ともすれば揺らぎ、崩れそうな
精神と生活を安定させていた。
でもそれを失った、今。

みいみのいない「自由」は寂しく
自分の軸をどこに置いていいのか
それすらも分からないでいるけど
年末年始は少しずつ手探りしながら
自分を立て直す時間となりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りのジョギング

2020年12月14日 20時15分00秒 | ねこ
みいみの体調が悪くなってから
ほぼ毎朝のスロージョギングは
私にとってはお百度参りだった。
わたしが苦しい思いをするぶん、
みいみの食欲が戻りますよう、
少しでも元気になりますよう、
苦しい思いをしませんよう、
そんな願いをこめてのプチ苦行。

助けてやれないと分かっても
みいみのために何かしたくて。
何か出来ると思いたくて。
ジョギングしたことないくせに。
文科系の虚弱体質のくせに。
ウォーキングの人に抜かされるような
スピードでしか走れないくせに。



みいみが天に召された今も
相変わらず走っているのは、
多少でも供養になると思いたくて。
あの子のためにまだ何か私に
出来ることがあると思いたくて。

水ごりするほどの体力はないけど、
走ることくらいなら、私にだって。
私にとっては、今も祈りと同じこと。
寒くても、しんどくても走りますから
どうかどうか、あの世でみいみが
痛み、苦しみから解放されて、
光と温もりに包まれていますように。

みいみの四十九日は、もうすぐ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みいみの五七日

2020年12月05日 16時58分00秒 | ねこ
みいみが逝ってしまってから
思い立ってTwitterを始めました。
猫とペットロス専門のアカウント。
行き場のない思いの行き場を探し、
悲しみや苦しみ、耐え難い寂しさを
吐露し、誰かと分かち合いたくて。

そこには私と同じ思いの人ばかり。
同じ悲しみの中にひたることでしか
悲しみが癒されない時期が続いて。
でもそこにはそれだけじゃなく、
私がみいみと暮らした16年半の
すべての瞬間もありました。



新たな子を迎え入れてはしゃぐ人、
可愛い子との幸せな日々を語る人、
病気が分かってショックを受ける人、
闘病中で必死に頑張っている人、
亡くなったばかりで涙にくれる人。
どれもみんな、昨日までのわたし。

心身に負担をかけてでも治療をすべきか、
家で無理なく旅立たせてやるべきか、
食べなくなった子に強制給餌すべきか、
嫌がることはやめて、寿命と思うべきか。
Twitter上にもあふれる苦しい問い。
でもきっと正解なんてものはなくて、
大切なのは、自分の執着からではなく
心からの愛から出した結論かどうか。

みいみが旅立って五七日が経ったけど、
みいみが今、苦しみから解放されて、
あの世で楽で幸せでいるのならば、
私が寂しいくらい、どうだっていい。
私が悲しいくらい、どうだっていい。
やっとそう思えるようになってきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする