ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

2008年に寄せて

2008年12月31日 23時00分14秒 | 生活
ようやくわたしも今日が仕事納め。
1年間通ったこの道も、
人影も車もまばらで、なんだか新鮮。
この道を歩くのも、今年は今日が最後。



職場のあるビルも、さすがに閑散として
わたしたちの職場だけが通常業務。
年末兼月末で、多少バタバタしたものの
ランチはみんなで外へ食べにいったり
なごやかな仕事納めとなりました。



今年もこうしてみるとあっという間だったけど
それでも思えば、色々なことがありました。

ただ、父が寝たきりになったことも
長年共に働いた職場の上司との(しばしの)別れも
そして懐かしい方の上司としての再会も
ずっと支え続けてくれた、心優しく頼もしい同僚に恵まれたことも
そしてそんな同僚を次々と見送らなければならないことも、
仏語検定の準1級の試験に挑戦して、破れたことも、
佐渡裕さんの指揮で第九を歌いたいという夢がかなったことも、
わたしにとっては、どれもかけがえのない、
学ぶことの多い恵みだったと、今なら思える。

大変なことも多かったけれど、
決して不幸ではない、むしろ幸せな一年でした。
父が倒れたのに、幸せという言葉は不自然かもしれないけれど
今まであまり持たずにきた「父と娘」の時間をたくさん持てたこと、
わたしの知らない父の一面を知ることができたこと、
そして何より、父と共に無事に新しい年を迎えられること、
それらはわたしには、大きな大きな恵みだから。

不幸とは、単に幸せが見えないでいること。
ささやかでありふれた小さな幸せを
ひとつひとつ丁寧に拾い集めて、
胸にあたためていれば、
来年どんなことがあっても
きっと最後にはすべてが恵みになると信じつつ。

2008年、本当にありがとうございました。

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共鳴する魂

2008年12月30日 16時41分38秒 | 音楽・アート
テレビ放送だけでは物足りないだろうと
あらかじめ注文しておいた「一万人の第九」の
全楽章を収めたDVDが届きました。

音の反響のせいでソプラノとのズレが気になった箇所も
こうして中央マイクでの録音で聴いてみると
気になるほどではなく、ほっとすると同時に、
またしても感動がじーんとこみ上げてしまって。
これはもう「第九熱」という熱病としか言いようがないかも。
まだ第九?と呆れた方がいても無理からぬことと思いつつ。

そして、汗を飛び散らせながら指揮をする佐渡裕さんを
改めて、アップで見ながら、
彼の指揮姿や、彼が紡ぎ出す音楽に
なぜこんなに魅かれるのか、やっと気づいたような。



佐渡さんの指揮には、魂があるのを感じるからだと。
背中から見ていても、正面から見ていても
彼が渾身のエネルギーと思いを込めて、
全身全霊で、音楽や共演者に向かい合っているのを感じる。
その姿には、彼の音楽や共演者への深い愛情と、祈り、
そして、彼自らがこの瞬間感じている喜びや感動が
とてもまっすぐに、あふれ出している。
きっと誰よりも音楽が好きで、人間が大好きだということが
どの音にも、どの瞬間にも、伝わってくる。
だからなのだと。

「一万人の第九」を振り終わった後、
佐渡さんは「もう体が動かないかと思った」と。
「21世紀の第九」でも、第四楽章が終わった時、
佐渡さんは、もはや歩くのもままならないほど。
汗をかくこともなく、端正な指揮をする指揮者も多いけど
彼は気持ちや魂に体が突き動かされるような指揮をする。
それにわたしの魂が揺さぶられ、
共鳴するからなのだと。



あんな風に一生懸命に何かに向き合ったことが
大人になってから、わたしには何回あったでしょうか。
日常生活で、そこまで全身全霊をこめる場面は少なく、
ましてや人を感動させるようなことは出来ないけれど、
それでも何かに向かい合う時には
彼のように一つ一つに「魂をこめる」「愛をこめる」ことを
せめて、ささやかでも忘れずにいたいと思うのでした。

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至福のディナー

2008年12月29日 19時07分15秒 | グルメ
一年の締めくくりということで、
ハービスENTの中にある、
「笹」というニューモード和食のお店で
至福のディナーを味わってきました。

とても全部はご紹介しきれないので
ほんのいくつかだけ。
これは前菜のひとつ。
上に乗っているのは海老と
バジリコのソースの入った小さなスポイド。
これをお好みで濃厚なビシソワーズのような
ポテトベースのソースにかけて頂きます。



初雪をイメージした蟹しんじょうの
何とも繊細で優しい味わいのスープの後は
新鮮なお作りの盛合わせ。
この美しい盛り付けも目のごちそう。



箸休めは、ウニのアイスクリーム最中。
その後とろけるような牛のステーキのメインが登場して、
いよいよスィーツに目がないわたしの
もっとも楽しみなデザートタイム。

これは、なんと、「プレ」デザート。
クリスマスツリーみたいなとんがり帽のカバーの下には・・・



なんと、ローズエッセンス入りのムース。
食べると口の中にバラの香りがいっぱいに広がり
なんだかイギリスの貴族にでもなった気分。



このあとに、「メインのデザート」と「締めのデザート」が、
まるで第九の第4楽章のフィナーレのごとく
次々とたたみかけるように登場。
それが何だったかは、
あえてここでは秘密にしておきましょう。

お値段もそれなりに立派でしたが、
それだけの満足度は十分にあった至福のディナーで
1年を締めくくれた2008年でした。

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幻想などではなく

2008年12月28日 14時32分59秒 | 音楽・アート
昨日は年末最後の行事として心待ちにしていた
「佐渡裕の21世紀の第九」の日。
ビルの谷間に突然現れる、
シンフォニーホール前のこの並木道は
こころ躍る舞台へといざなっているよう。



去年は2階のサイドボックスでしたが、
今年は頑張って1階ののセンターブロックで。
音の良さで有名なシンフォニーホールで
佐渡さんの良く見える席で
またあの最高の第九にひたれると思うだけで
わくわくしてきます。



至福、としか表現のしようがない演奏。
オーケストラの迫力も、繊細さも、キレのよさも
色彩の豊かさも、音のつややかさも、
やっぱり私たちの時とは全然違うなあ。
音響が違うというのもあるけど、
オーケストラ自体の格が違うと言わざるを得ないかも。

そして更に圧倒的な格の違いは、合唱。
やっぱり素人のわたしたちが
いくら素人なりのベストを尽くしたところで
研ぎ澄まされたプロの合唱団の
精緻で、繊細、柔らかにして大迫力の合唱とは
到底比較にならない、というのは当たり前だけど、
むしろ、まったく別物なのでしょう。

「21世紀の第九」が音楽が成し得る最も偉大な
崇高で壮大なるもの表現だとすれば、
「1万人の第九」はこの交響曲が発する万人へのメッセージを
市民が、体現しようとするものなのではないかと。

「1万人の第九」では「踊る阿呆」になったわたしも
「21世紀の第九」では「見る阿呆」になって。
磨き上げられた素晴らしい歓喜の世界に
全身をひたしていると
世界というものがこの上なく美しく
喜びに満ちたものに思われてくる。
それが一時の幻想ではないと信じる力さえ
第九は与えてくれるように思えるのです。

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天からの贈りもの

2008年12月26日 23時18分45秒 | 生活
昨日のクリスマスは、ぐっと冷え込み、
晴れたり、曇ったり、しぐれたり、
落ち着かないお天気の一日でしたが
お昼過ぎに、それはそれはきれいな虹が。

職場から200mほどのビルの手前の地面から
ほぼ完全な半円を描いて別のビルの谷間に続く、
見事な淡い七色の架け橋を
クリスマスに、こんな近くに見られるなんて。

職場の同僚全員が窓辺に集まり、
「なんだかいいことありそうですね」と
多忙な年の瀬に、しばしの安らぎのひととき。
ちょっと素敵な、天からのクリスマスプレゼント。

そして夜にはこのあたりでも初雪がちらちら。
ベランダに出ると、身を切るような寒さながら
この凛とした大気は、清々しさがあって好き。
そこにひらひらと舞い降りる雪は
これも天からの、美しい贈りもの。

一夜明けた今日は、まだ時折雪のかけらが舞いつつも
きいん、という音が響きそうな、凍えるような澄んだ青空。



2-3日前からわたしの住んでいるあたりでは
年末恒例の、火の用心の夜回りも始まりました。
ボーイスカウトと町内会がそれぞれにやるのだけど
良く聞くと、子供たちのには、さまざまなバージョンが。
「火の用心!(カン、カン)」のあと、
「マッチ一本家事のもと!」という伝統的なものから
「焼肉焼いても家焼くな!」なんて関西チックなものまで。

今日が仕事納めのみなさん、
一年間、本当にお疲れさまでした。

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