17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
昨日は待ちに待った、佐渡裕さんによるレッスン。
気合を入れて45分前には到着して、スタンバイ。
レッスンが始まると、佐渡さんの腕のひと振り、
語る言葉のひとつひとつに、のまれるように、
響きに生命が吹き込まれ、表情が生まれる。
今まで見えなかったドラマが見えてきて、
作り出そうとする、ひとつの世界が広がり始める。
「音楽はその瞬間に生まれて、消えていくもの。
だから切なく、美しく、愛おしい。」
「日常生活で、大声出すなんてことはないから、
こうして大声で歌うのは、自分を解放すること。
音楽は、自然で、野性的で、肉体的なもの。」
佐渡さんの思いを少しでも理解し、心に刻もうと、
懸命に耳を傾け、歌い、あっという間の90分。
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この週末は、もっと全体像を理解しなければと、
不協和音の「恐怖のファンファーレ」で始まる第四楽章を
何度も何度も聴いて、わたしなりに勉強しました。
これまでの3つの楽章の主題が次々と現れては、
それを否定してゆく、重低音のチェロとコントラバス。
「いや違う、この調べではない。
もっと心地よい、希望の旋律を奏でようではないか。」
そしてやっと探り当てた、喜びの歌の主題。
初めは静かに、低くつぶやくように奏でられ、
次第に力強さと確信を増して登場する、大合唱。
嵐や苦悩を乗り越え、神への問いかけの末たどり着いた、
それは民衆による、愛と歓喜の高らかな宣言。
「神のものでは、みながひとつの存在」
「皆が互いに抱き合い、ひとつになって初めて得られる
神の祝福に満ちた歓喜の道を、我々は選ぶのだ」と。
ただ自分の旋律を歌うのが精一杯だった、去年。
今年も、「上手く歌う」ことは出来なくても
フランス革命を歴史的背景に持つ、
この、シラーとベートーヴェンの壮大な愛の理念を、
少しでも心に描き、味わいながら歌えますように。
今日終わった行政刷新会議の事業仕分け、
強制力はないとはいえ、身近でもさまざまな影響が出る可能性が。
私の職場の周辺機関や、元の職場も槍玉にあげられていて、
「抜本的見直し」「廃止」「統合」「移転・縮小」など
穏やかならぬ勧告が連なっていて。
確かに見直す余地はありそうとは言え、
この先どうなるのか、注視していく必要がありそう。
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それにわたしが長年お世話になっている漢方も
保険の対象から除外する、という案が出されたのだとか。
数年間続けた漢方のおかげで、体調はすっかり安定し、
冷えも大幅に改善し、ここ1年風邪もひかずにこられたから
これを機に卒業という手はあるかもしれないけれど、
そもそもわたしがここまで健康になれたのは、漢方のおかげ。
抗生剤に弱いわたしは、咽頭炎も漢方で治してきたのに。
漢方でしか治療することの出来ない症状もあること、
サプリメントとは違って、治療効果が認められること、
現在、7割以上の医師が漢方を使用していること、
専門医の処方なしの漢方の服用は、効果に乏しいこと等、
仕分け人の方々はどこまでご存知なのかしら。
予算削減の必要性は分かるけれど、削るべきは他にあるはず。
来月上旬の審議では、慎重に結論される事を願いつつ、
当案に反対する嘆願書に署名をしてきました。
ご賛同下さる方はぜひ、12月7日までに
こちらから電子署名をお願い出来ればと思います。
どれだけ小さな声でも、諦めず声にしなくては。
決戦の第九本番の前に、先日もう一つの決戦がありました。
ハウスクリーニング第3弾の、フローリングのコーティング。
入居後のワックスには頭を悩ませ、何人かに相談したところ
水を使うものは床暖房のフローリングには適さないらしく、
こまめに塗りなおしが必要なものは、無精なわたしには無理。
というわけで迷った挙句選んだのは、5-7年持つという、
光触媒で硬化する、硬度の高い特殊コーティング。
確かにこれは、その間お手入れ要らずでとても楽ちんでした。
でもそれも、爪を立てて走り回るみみにゃんのおかげで、
そろそろ何とかせねば、という時期になり
覚悟を決めて、専門の業者さんにやっていただくことに。
男性が二人がかりでないと動かせない重いダイニングテーブルや、
かさばるソファー、テレビなど、家具一切を撤去するため
当日は、ちょっとした引越し並みの大騒動。
しかもこのコーティングは、歩ける程度に乾くのに3-4時間、
掃除機をかけられる程に硬化するのは1週間後、
完全な硬化には1ヶ月を要すると言う、厄介なもの。
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(こう見えても、実は繊細なみみにゃん)
それもわたし一人なら、どうとでもなるのだけれど
猫は環境の変化に弱く、ましてやみみにゃんは結石症持ち。
そのため寒い時期は、そうでなくても神経を使う上に
みみにゃんは、閉じ込められるのが大嫌い。
みみにゃんにストレスを感じさせぬよう心を砕きつつ、
わたしは、業者さんが作業を始めた朝9時から4時まで
食べ物、飲み物、読み物とみみにゃんを抱え込み、
家具が山積みとなった寝室に、ろう城すること7時間。
寒い中窓を開け放って、中腰で作業をし続けてくれた業者さん、
体調を崩すことなく乗り切ってくれたみみにゃん、
そして気苦労だけは一人前のわたしも、みんなお疲れさま。
今朝の朝日新聞の天声人語で
「玉のごとき 小春日和を授かりし」という
松本たかしさんの句が紹介されていたけれど、
今日はまさに、そんな一日。
須磨離宮公園に出かけて、ようやく秋を満喫。
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色とりどりの紅葉が目にも鮮やかで
何気ない枝先もファインダーを通してみると
はっと息を呑むくらいに、美しくて。
なのにその美しさを、ありのままに撮れない
自分の腕のなさが、本当に残念。
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日本庭園の一角には、水琴窟もあって、
竹筒を耳にあてると、地中にしたたる水のしずくが、
鉄琴と木琴とハープを足して3で割ったような、
深く澄んだ、まろやかな響きを奏で、
木々が織りなす色彩の響きと調和しているよう。
時を止めたいくらいの美しい晩秋に身をひたし、
満たされた思いで帰ってきた、一日でした。
社会では様々な人と出会い、色々なことがあって
摩擦や衝突を味わうことも、時にはあるもの。
わたしも案外気が弱く、心配性なため、
摩擦や衝突というものが、昔から本当はとても苦手。
でも自分を責めたり、傷ついたりするのは、
結局、自分はもっと上手くやれたはずという、
過剰な自己認識の裏返しなんだな、と気付いてからは
少しは平気になりつつあったけれども。
だって失敗したり、思うようにいかなくても
それは今の自分が、まだ未熟で発展途上だからで
摩擦や衝突があるくらいは、仕方のないこと。
もちろんそれでも、出来ることなら避けたい、という
弱気が、常にあるのもまた事実。
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でも先日出会った、モンテーニュの言葉。
「人との交際というものは、自分の脳を
他人の脳と擦りあわせて磨くために、価値あるもの」
「脳を擦りあわせる」という比喩は、何だかな~だけど
摩擦や衝突は磨かれるために必要なことか、と気付いて。
「切磋琢磨」ってこれまで何となく、一人でこつこつ努力して
自分を磨くこと、を漠然とイメージしていたけれど、
人はそれ以上に、他人との関係において磨かれるものなのかも。
考えたら当たり前で、頭では分かっていたはずのことなのに、
心では全然、分かっていなかったみたいで。
もちろん、不必要な摩擦や衝突を招く必要はないけれど、
そこに尊敬や、愛や、感謝があれば、
人は必ずそこで磨かれ、成長するのでしょう。
それに気付けて、今日のわたしはちょっとハッピー。