17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
関西に出張する夫に着いて行って
ちょうど修二会(しゅにえ)中の
奈良の薬師寺に行ってきました。
大好きな薬師如来と日光・月光菩薩に
久しぶりにお参りさせて頂きたくて。
まずはやりたかったのはお写経。
自宅では筆ペンでお写経するけど
ここでは墨をするところから始めます。
久しぶりの墨の匂いが心地良く、
瞑想のような、静かで清浄な時間。
亡くなった父母と語り合う時間。
自宅で書いたお写経三巻も持参したら、
こんな納経集印帳を頂きました。
一巻ごとに一つ印を頂けるのだそう。
しかも修二会期間中に納経すると
練行衆によって特別祈願した上で、
お堂の中に永代供養して頂けるのだとか。
父母とご先祖様への供養になることを願って。
しかも修二会の期間中にお写経すると
おうどんのご接待もして頂けて
さらに一層ありがたい。
その後外に出たら、偶然、
柴燈大護摩の火渉り式が始まりました。
練行衆(れんぎょうしゅう)の方々が
古式ゆかしい修験者のいでたちで行う
火渉り式の儀式を拝見するのは初めて。
急ぎ私も祈願をしたためた護摩木を
今回の儀式に奉納させて頂きました。
般若心経と不動明王のご真言の大合唱の中
燃え上がる炎は様々に姿を変え、
不動明王に見えたり、龍に見えたり。
あまりの熱さに近くに寄れない程だけど
人々の悩み苦しみを炎で浄化しながら
願いを聞き届けてくれますように。
薬師寺参拝の後に予定していた
唐招提寺に行く時間はなくなったけど
とても濃厚で、静謐で
心洗われる時間を頂いた一日でした。
今日は家の近所でもうぐいすが
ホーホケキョと上手に鳴いていました。
水仙や雪やなぎも咲き始め、
春のよろこびが日ごとにあふれて、
めぐる季節の美しさを感じます。
先日は婚家のお墓参りにも伺い、
義母と日帰り温泉にも行きました。
私が義母の好きなところの一つは
好きなものや喜びを言葉にして下さること。
「亡くなった義父が本当に優しい人で
幸せな人生を送らせてもらった」とか、
私たちと食事や温泉に行っても
「幸せな一日を過ごさせてもらった」とか。
聞いてる私まで嬉しくなってしまう。
<先日高野山に納めたお写経の受領証>
それは私が亡き父母に一番聞きたいこと。
ねえお父さん、幸せだった?
ねえお母さん、幸せだった?
私たちの親でいて、少しは幸せでいてくれた?
生前何気なく聞いた時には
笑ってはぐらかされてしまって。
苦労も心配もいっぱいかけてしまったけれど
幸せなこともあったなあと
少しでも思ってくれたことを願いつつ、
出来る供養を続けていこうと思います。
春のお彼岸に入ったので
私の両親のお墓参りに行きました。
父の好きな缶ビールと
母の好きな果物とお菓子を持って。
お経をそらで読めない私の代わりに
スマホに録音した僧侶の読経をかけつつ
心の中であれこれと話をしてきました。
毎朝写真に語りかけてることばかりだけど
一番伝えたかった感謝の思いは
ちゃんと父母に届いたかしら。
またこのお彼岸に先立って、
父母とご先祖様の供養になればと
お写経して高野山に納経しました。
お写経を仏様にお納めすると
故人への温かい思いを贈り物として
故人に届けて下さると聞いたものだから。
下手くそな字で恥ずかしい限りだけど
せめて思いだけでも届きますように。
私に出来る数少ない供養として
今後もお写経は続けたいと思っています。
先日、三重県に行った際に
伊勢の国の一之宮、椿大神社に参拝。
ここは松下幸之助さんが信奉し、
通われたことで知られる神社。
境内に入ったところから
空気が変わるのが感じられます。
道ひらき、導きの神である猿田彦命など
32柱もの神々が祀られているのだとか。
杉の巨木が立ち並ぶ荘厳な参道を抜けると
堂々としたお社がありました。
裏山を登れば奥宮もあって、
向かって右手には松下幸之助社など
多くのお社が立ち並んでいるけれど
時間の関係で今回は本殿のみ。
でもまたの機会に時間をかけて
参拝させていただこうと思っています。
先日、鈴鹿の森庭園に行ってきました。
今もオンラインでお世話になっている
奈良在住のフランス人の先生から
以前お勧めされていたしだれ梅の名所。
これまでしだれ梅といえば
京都の城南宮しか知らなかったけれど
しだれ梅を中心に200本の梅が並ぶ庭園は
桃源郷のような美しさでした。
凛とした普通の梅と違って、
しだれ梅はたおやかで優美で、
舞妓さんのような風情です。
爛漫の春を誇るように咲く桜もいいけど
まだ肌寒い季節に春の訪れを告げる梅も格別。
庭園内ではウグイスの初音も聞きました。
今年はずいぶん早いような・・・
梅やしだれ梅の風情を愛した日本人が
何世代にもわたって品集改良を重ねた結晶が
ここに並んでいる花々なのだなあと思うと
花もただの花じゃなくて
人々の愛情と熱意の積み重ねなのだと
ありがたいような気になるのでした。