京都の北東に位置する比叡山延暦寺。屈指のパワースポットとしても知られる場所です。京都に暮らす人たちにとって、北東方向に聳える山は、「小学生の時、遠足で行った…」など登った経験をもつ場所でしょう。常に、見上げれば町を見下ろす比叡山が…。京都の町の鬼門を守るお山です。

まず、向かうは、延暦寺の中心となる「根本中堂」のある東塔エリアです。

いつも多くの参拝者や修学旅行生などで賑わう道も、ミモロが訪れた日は、団体のバスも少なく、人影もまばら…。
「今日は、静かですよ。ゆっくり参拝してくださいね」と受付で言われたミモロは、なだらかに続く山道をトコトコと進みます。

そもそも比叡山延暦寺は、伝教大師、最澄が、延暦4年(785)に比叡山に草庵をむすんだことに始まります。
歴史の教科書で、必ず学ぶ、最澄ー比叡山延暦寺ー天台宗。空海ー高野山金剛峰寺ー真言宗。
この2人の僧侶が、日本の仏教の基礎を作ったのは、ご存じの通りです。
最澄と空海は、共に唐で仏教を学んだ留学僧。最澄は、空海より7つ年上に当たります。よくいろいろな面で比較されるふたりですが、最澄は、優秀なエリート。空海は、型破りの天才というところ。帰国後、しばし交流があったものの、向かう方向性は異なって行き、最澄は、アカデミックな組織力を発揮し、後の日本仏教の源を作ります。一方空海は、全国行脚など、より民衆に近い存在に位置し、密教の普及に尽力します。
最澄が開いた天台宗の総本山である比叡山延暦寺は、言うなれば日本仏教の大学のような存在で、阿弥陀聖と称される空也、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮、時宗の開祖一遍など、日本仏教界の名僧を輩出しました。
つまり、現代の多くの日本仏教の宗派の開祖は、この比叡山延暦寺の卒業生なのです。
「へー知らなかったー。全く別々の宗派だけど、みんな同窓生なんだね」とミモロ。
日本仏教のことを語ると、とても終わらないので、今回は、比叡山延暦寺のお話に。

「ねぇ、ところで延暦寺の本堂ってどこ?」と道標を見ながらミモロは、首を傾げます。
実は、延暦寺は、東塔、西塔、横川の3つのエリアからなり、トータルでそれらを延暦寺と呼びます。だから、延暦寺の本堂という名の建物はなく、東塔の「根本中堂」が、本堂に当たります。

「根本中堂」に向かう道の両脇には、伝教大師、最澄の生涯などを描いた絵が並び、歩きながら、学ぶことができるようになっています。

「ひとつひとつ読んでゆくと、よくわかる…でも結構時間もかかるけど…」と、ミモロは、ちょっと飛ばしながら見ています。
まず、到着したのは、経典などを学ぶ学問所の「大講堂」。

重要文化財で、現在の建物は、坂本にあった讃仏堂を、昭和31年に焼失した建物に代わり移築したものです。

参拝をしたミモロの耳に、ゴーンという鐘の音が。「あ、大きな釣鐘があるー」

「大講堂」のそばには、「開運の鐘」という大きな釣鐘。「1回50円で撞かせてもらえるんだってー。開運だよー」というと、さっそく撞くことに。


ゴーン・・・大きな音が周囲に響きます。

さぁ、「根本中堂」に行きましょう。

「この先にあるの?なんか雰囲気が違ってきたねー」と、杉の木々が、まるで包み込むように聳える中に、ひっそりと、その姿が見えてきました。

「ここが、延暦寺の中心だねー」と、ミモロも神妙な面持ちで進みます。

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