ミモロの住む京都の東山岡崎エリアの大通りと言えば、三条通。京都の町を東西に通る道です。三条通は、旧東海道に当たり、「この道をずっと進むと、東京に帰れるの?」とミモロは、ときどき生まれ故郷を懐かしんでいます。
さて、東京に行ったミモロは、東海道の江戸のスタート地点、日本橋に。
日本橋川に架る石の橋の「日本橋」は、現在で、19代目。初代は、慶長8年(1603)に徳川家康が全国道路網整備計画で架けたもの。「よく時代劇に東京する木の橋でしょ?」。そう浮世絵にもたびたび登場する江戸のランドマークです。
この橋、19代目というのですから、どれだけ災難に見舞われたかがわかります。これではマズイと、明治になり、肥後の石工、橋本勘五郎により、石の橋が。現在の橋は、明治44年(1911)のものが、基本形になっています。
その後も、関東大震災や東京大空襲などが橋を襲いますが、全壊には至らずに…。
でも、美しい橋の姿が見られたのは、昭和38年(1963)まで。というのは、東京オリンピック開催で進む首都高速道路計画で、日本橋川の上に高速道路ができたため、日本橋の風情がなくなってしまいました。
町の発展を願い設置された翼のある麒麟の像も、窮屈そう。「これじゃ、飛べないんじゃないの?可哀想…」とミモロ。
橋の上には、獅子の像も。
現在、橋自体は、国の重要文化財(建造物)ですが、1964年の「東京オリンピック」で、その周辺の美しい東京の景観は、失われてしまいます。その後、首都高速道路を地下に移転との話も持ち上がったようですが、あまりの巨額費用に却下されています。
「2020年のオリンピックでは、こういう東京の景観を失うような開発がされないといいねー」
首都高速道路の下を流れる日本橋川を眺めながら、思うミモロです。
さて、橋の脇にある石碑に目をやったミモロ。
これは、道路の始点となる「道路元標」のレプリカ。本物は、日本橋の中央に埋め込まれているそう。
ここを起点に、国道1号線(東海道)など7本の国道が伸びています。
「ここって、京都のミモロのおうちの方に繋がっているんだー」と、喜んで飛び乗ります。
また、日本橋と言えば、今、大規模再開発が進んでいるエリア。古い石造りの建物の風情を残しながら、新しいビルが次々に生まれています。
開発は進むものの、日本橋は、東京の中でも、重厚な石造りの建造物が立ち並ぶ、どこか落ち着いた雰囲気が漂う場所。
「わー立派ー」
日本銀行をはじめ、銀行や証券会社の本店も集まっています。
その中でも目立つ建物と言えば、「日本橋三越本店」。
現在の建物の元となるルネッサンス様式の建物は、大正3年(1914)に完成。日本初のエスカレーターやエレベーターもここに設置。日本における近代百貨店の礎となっています。
現在の建物は、昭和10年(1935)に完成。当時、東京で「国会議事堂」「丸ビル」などに次ぐ大型建物だったとか。今は、「東京都選定歴史的建造物」にも選ばれています。
「わーライオンがいる…」と、ミモロが、飛び乗ったライオン像は、本館正面玄関にいる、まるで狛犬のような2頭のライオン。堂々とした姿は、まさに百獣の王という感じ。
そもそもこのライオン像は、三越の初代支配人の日比翁助氏が、百貨店開設準備に向かったイギリスで注文したもの。ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔にいる4頭の獅子像をモデルに、3年かけて、イギリスで製作されました。以来、大正3年の昔の建物の時から「三越の守護神」として正面玄関前にいるライオンです。
「えー来年、100歳になるんだー」そう、イギリス生まれのライオンは、戦前からずっと日本橋の町の移り変わりをじっと静かに見つめ続けているのです。
ライオン像のそばには、「幸運のライオン…だれにも見られずにライオンに乗ってお願いごとをすると叶うと言われます」という表示が。
ミモロも周囲をキョロキョロ見回し、人の流れが途絶えたところを見計らって、背中へジャンプ。
「みんなやるのかな?ライオンの背中ツルツルになってるー」確かに、他の部分に比べて、背中は、色が違います。
「う、お客様と目が合っちゃったー」。ライオンの背中に乗るミモロの姿に、通行人が足を止めました。
残念・・・ミモロのお願いは、お預けですね。
日本橋は、東京の中でも、歴史的な見どころが多い場所。また、いつか、リポートします。
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