「ミモロちゃん、桜咲きましたよ~」と、ご連絡をいただき、出かけたのは、綾部市の黒谷町です。
京都からは京都縦貫道を「綾部安国寺IC]で降りて、国道を進みます。京都からは、車で1時間半ほど。「京都縦貫道ができて、すごく近くなったんだって~」と車で向かったミモロです。
電車なら、JR山陰本線で綾部駅からタクシーでも行けます。
「ほんと、桜咲いてる~」山を桜が彩り、春の景色がそこに・・・。

まずは、「黒谷和紙会館」へ。


そこで待っていてくださったのは、「黒谷和紙協同組合」の理事長の林さんと専務理事の山城さん。

そう、京都縦貫道に乗るまでの方が、時間がかかった感じも…。
「黒谷和紙協同組合」の事務所がある「黒谷和紙会館」。ここは平日のみ開館しています。
館内には、ここで生まれた和紙の品々がいろいろ。


「わ~いろんなものがある~」と次々に見て回るミモロです。


さて、黒谷は、現在京都に残る数少ない和紙の産地。なんでも平家の落武者が始めた仕事がそのルーツといわれています。江戸時代には、京都へ、多くの和紙を出荷したそう。
黒谷和紙は、京の呉服屋さんで着物を包んだり、名札にしたし、また傘や障子、襖、懐紙など、それぞれに適した紙を生産していたそう。
和紙の需要が減少したのは、明治以降。機械で生産する洋紙の大量生産に押され、手間のかかる手すきの和紙は、利用される場面が限られたものになってゆきます。
次々に姿を消す手すき和紙の産地。その中で、黒谷の人々は、伝統の技を守ってゆこうと、その普及活動やPRなどさまざまな努力をなさっています。
ミモロは、理事長の林さんの案内で、まず里の中を歩きます。

「大雨になると、水かさが増えて、この道も川になるんですよ~」と林さん。川に面したお家には、水かさが上昇するとその前の橋を上げて、家に水が入るのを防ぐのだそう。
「ミモロちゃん、黒谷和紙は、なんで作るか知ってますか?」「え~と会館に楮(こうぞ)って言う木の枝があったけど、あれ?」

「そう、楮を育てて、枝収穫して、それを蒸して、そこから繊維を取って・・」「わ~なんだかすごく手間がかかるんだね~」
「そうです。紙漉きまでの工程が大変なんです。ここでは、里の人たちが紙づくりの準備をすべてやってきたんですよ」
「あ、川に枝がしたしてある~」

里の女性の方が、なにか抱えて川へ


ミモロは興味津々。
「川の水に楮をさらして、灰汁など余分なものを洗い流しているんですよ~」と林さん。


年間を通じ行われる作業で、女性が担当する仕事だそう。冬の寒い時期でも川に入って行う作業なのです。川の水にさらした楮は、乾燥させます。
里の山には、楮を干す場所が各所にあります。

「お元気ですか?」と道を歩いていた方に。「はい、おかげさんで~今、神社の草取りにいってたんですよ」80歳を超えた方、ちょっと前まで、川で作業をなさっていたそう。

戦後まで、60軒あったという紙漉きの家は、現在なんと9軒に紙漉きに従事するのは7人になっているそう。
「紙漉きの担い手の高齢化が進んで、このままでは・・・」と林さんの心配も現実のものになりつつあるよう。
里の奥には、熊野神社があります。


「なんか立派な神社・・・」とまずは参拝。

平家の武士を先祖にする里に相応しい品格ある神社です。里の人が大切に守り続ける神社でもあります。
「ここは、秋、もみじがすごくキレイなんですよ。もみじ祭りもありますから、またぜひ秋にも来てくださいね~」
里を歩いたミモロ。「では、そろそろ工房で紙漉きの体験しましょうね~」「は~い」


ミモロは、林さんに紙漉きの工房へと連れて行ってもらいます。
「あ、桜キレイ~」里の桜がミモロの訪れをやさしく見守ってくれるよう…

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