ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

白川沿いに続く「古川町商店街」。どこか懐かしい感じのお菓子の店「むらを東三堂 菓子舗」

2013-10-26 | 京都

ミモロの住む、京都の東山エリアを南北に流れる白川。夏は、川を使っての金魚すくい大会なども催される清らかな川。ミモロのお散歩コースのひとつです。川には、欄干のない石造りの「古川町橋」が架かっています。現在の橋は、明治40年(1907)に架け替えられたもの。すでに江戸時代の記録にその橋の存在が記述される歴史ある橋なのです。
「なかなか風情があっていいよねー。最初、渡るのに、ドキドキしたけど…もう馴れたもん!」とミモロ。
東京から来たお友達を連れて行くと「京都らしくて、ステキ・・・」と、必ず言われる自慢の景色です。

さて、その白川に三条通から、知恩院の門まで、平行するように続くアーケードの「古川町商店街」。戦後、昭和25年から地域住民の台所として、愛された商店街です。アーケードができたのは、昭和38年とか。約300メートルのアーケードの両側には、野菜、肉、乾物、惣菜などの店のほか、日用品、雑貨、料理店などが連なっています。



昭和から平成の初め、この商店街には、多くの買い物客が朝から夕方まで訪れ、東の「錦市場」と呼ばれるほど、賑わっていました。
「でも、なんか最近、めっきり人が少ないよねー。シャッター閉じてるお店も目立つ…」と、歩くたびに思うミモロです。

京都の商店街は、結構多く、約800メートルと言われる「三条会商店街」、伏見にある「伏見大手筋商店街」、出町柳、西陣、修学院など、いろいろな町に商店街があります。地域に密着した、京都の暮らしを支える場所は、観光客にとっても、楽しいはず…。

でも、中には、以前の活気が失われつつある場所も…。実は、この「古川町商店街」もそのひとつ。数年ほど前から、元気がありません。その原因は、店主の世代交代で、店を閉じるところや、食生活の変化など、消費者の生活時間の変化など、いろいろと…。店が連なる一角に、マンションができたり、近くに24時間のスーパーも進出。ますます変化しています。

「なんか淋しいねー」と、ポツリ。

そんな商店街に、ミモロが気になるお店が…。

「むらを東三堂 菓子舗」という袋菓子のお店です。
「ちょっと覗いちゃおう…」と。

お店の前には、色とりどりの飴や金平糖

「へぇー金平糖にも季節が表現されてるー」、彩りで、巧みに菜の花、桜、紅葉などがイメージできる金平糖です。

野菜の形の飴、手まりのような飴も。

「これカワイイよー」と言いながら、お店の中を歩き回るミモロ。


小さな袋には、パンダや雪だるま、こけしなどの印刷が。


「いろんなお菓子があるー」と、夢中になるミモロ。まさにお菓子屋さんは、ミモロが好きなお店の筆頭。


どこか懐かし感じの焼き菓子の種類も豊富。

コンビニでは、売ってないお菓子ばかりです。

ここ「むらを東三堂 菓子舗」は、創業して80年ほど。現在は、3代目の店主の村尾さんが、店を担っています。かつては、和菓子などを作っていたこともあったそう。今は、袋菓子だけに…。でもその種類の多さは、驚くほど…。オリジナルの品も様々に。


大きな袋に入った氷砂糖「こんなの久しぶりに見た…」。大量に買う人のために、袋も大きなサイズ。

「これ、なあに?」小さな粒の砂糖菓子は、よく見ると、これも金平糖。善哉やみつまめなど甘味の飾りに使うそう。

「これ、小石?」まるで金魚鉢に入っているような小石は、実はチョコレート。

不思議なお菓子もいろいろ…。

「あのーこれください…」まずは、小さな袋詰めのジェリービーンズを。
「おや、小さなお客様…お菓子好きなの?」「はい、大好き…」とお店の方とお話を…。

結局、それからも、人形焼のカステラやクッキーなどを買って、大きな袋を引きずりながら店を後に…。


コンビニでは、見ることがない、どこか懐かしいお菓子…。


次第にシャッターが増える「古川町商店街」。でも、地域の人たちは、イベントをしたり、ポイント制を導入したり、活性化に取り組んでいます。

「ここって、テレビドラマのロケにも登場してるよねー」。そう、ときどきロケをしている現場に出会います。
以前、名取裕子さんが主演する「京都地検の女」のロケに…。

「また、お菓子買いに来よう…」そう言いながら、アーケードの中を歩き、三条通へと出るミモロでした。

*「むらを東三堂 菓子舗」京都市東山区古川町通三条下ル 古川町商店街中程 電話075-561-3243
月~土曜10:00~18:00 日曜・祝日不定休(基本的にお休み)通販で買えるお菓子もあります。 



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レトロなカフェ、京大前の「cafe進々堂京大北門前」。 昭和初期の建物でいただく朝食やランチ

2013-10-25 | グルメ

秋の気配が漂い始めたある日。ミモロは、百万遍の手づくり市の帰りに、京都大学の北側を通る、今出川通をお散歩することに。>東に向かい歩きはじめると、石造りの堂々とした建物が見えてきました。
「なんか立派な建物…」と、ミモロは、中を覗きます。
「ここ喫茶店なんだー」。店内には、大きな木のテーブルと椅子(ベンチ)が並び、すでに学生風の人や、大学関係者ぽい人たちが、本を読んだり、話をしたり、思い思いの時を過ごしています。
ここは、「cafe進々堂」。

建物は、昭和5年のもの。昭和レトロが漂う雰囲気が、なんともステキです。
重い扉を開けて、入ったお店は、広々としたスペースに、大きなテーブル。中庭もあります。

(店内は、撮影禁止なので、お話だけ…)

「進々堂って、京都のいろんなところにお店があるパン屋さんだよねー。ここもそう?」とミモロ。
「進々堂」は、大正2年(1913)に、創業した、まさにパン屋さんの先駆け的な存在。創業者の続木斉(つづきひとし)さんは、パリに修業にでた、最初のパン屋さんと言われる方。

「えーじゃここが、『進々堂』の本店?」と、ミモロ。ところが、『進々堂』のホームページを見ても、このお店のことは、一切掲載されていません。支店でもないようです。不思議…。京都市内に多くの店舗を持つ「進々堂』の本店は、寺町にあるお店です。

また、「cafe進々堂」に関するブログなどを検索すると、「この店は、創業者が、自ら設計し、創業当時の面影を留める店…」として紹介されています。確かに、ここ京大北側の店は、パリのカルチェラタンを思われる、どこかアカデミックな雰囲気が漂います。


「うーなんか、関係が、よくわからないねー」と、首を傾げるミモロです。

もちろん、ランチのメニューも、全く別物。ミモロは、ここの人気メニューのカレーセットを注文。「うん、なかなか美味しい…」とペロリ。

「パンも買って帰ろう…」と、喫茶スペースから、隣りのパンの販売コーナーへ。古い趣あるガラスケースに、数種類のパンが並んでいます。

さっそくひとつおやつに購入…「お家で食べよう…」とパンを入れてもらった紙袋を大切そうに抱えながら、お家へと向かいました。

「今は、別の経営なのかも…でも、ルーツは同じなんじゃないのー?」と勝手に解釈。

レトロな雰囲気の紙袋もいい感じ。

ミモロが買ったのは、アップルデニッシュ。「甘く煮たリンゴと香ばしいパンがたまらない…癖がなくて美味しい…」と。

「お店の関係は、よくわからないけど、まぁー美味しければいいんだー」と。

のんびり時を過ごしたい人には、おすすめのお店…。「京都には、こういう古い雰囲気の喫茶店が残っていて、ステキ…」。京都大学の学生さんなら、一度は、訪れたことがあるお店です。

*「cafe進々堂 京大北門前」京都市左京区北白川追分町88 電話075-701-4121 8:00~18:00 火曜休み 交通:百万遍交差点から、徒歩3分

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ミモロの「時代祭」見物。今年は、神宮道の2階から高見の見物…目の前を過ぎる時代絵巻に感激

2013-10-24 | 祭事・神事・風習

今回で3回目となるミモロの「時代祭」見物。「今年は、どこで見ようかな…」と…。「そんなら、うちの2階でどうぞ…」と、以前、写真展を開催させていただいた「ぎゃらりーあーとぺーじ唯心」のオーナー恵子さんの言葉に甘えて…。

そこは、三条通と神宮道の交差点のすぐそば…行列が方向を変えて進むポイントです。

午後2時すぎ、いよいよ交通規制が始まりました。「もうすぐ来るんだねー」と、ミモロはワクワク。
「維新勤王隊列」の軍楽隊の笛と太鼓の音を収録しようと、ipodを構えて、見物の準備完了。

「わー来た来た…」
「山田府知事と門川市長も馬車にのってる…」やはり時代装束姿のお二人…。なんとも晴れがましい姿です。満面の笑みで、市民へご挨拶…。

ピーヒャラピーと風にのって軍楽隊の笛の音が…。
ミモロもipodのスイッチをON.行列の士気を鼓舞する軽快で勇ましい響きがあたりを包みます。

「時代祭」の時代装束行列は、京都に都がある時代の時代的なトピックスをテーマにした行列。明治維新から、平安遷都の延暦年代へと、約1,100年間を時を遡って行きます。

先頭は、「維新勤王隊列」
、そして幕末に活躍した人物が登場する「維新志士列」へ。

「あれ誰だろう…」桂小五郎です。「もしかして、坂本竜馬?」
この列は、毎年、京都青年会議所の人たちが担当。衣装と前に掲げられる札を見ないと、誰が誰だかわかりません。
「あれは?」たぶん梅田雲浜「最後だから、吉田松陰?わー西郷さん見逃しちゃった…」

今回の参加者は、背が高いのか、着物がツンツルテン…。「なんか、偉そうに見えないねー」とミモロ。
着物を作り替えるか、参加する人の身長制限をするかしないと、カッコ悪い感じですね。

列は、全部で20。最大の長さを誇る列が「徳川城使上洛列」。その後に華やかな女性たちの列「江戸時代婦人列」が続きます。
「和宮さんだー」「色っぽい吉野太夫…出雲阿国も来たよー」女の子のミモロは、やはり女性装束に興味津々。

時代祭の装束は、時代考証の上で作られたもの。染め、刺繍、金具などなどあるゆるものが京都の職人さんの技でできています。「京都は、こんなに素晴らしいものが作れるんですよー」と、国内外に示す意味も、実は、時代祭にはあるのです。

お店の2階から、のんびり優雅に見物しているミモロ。こんな素晴らしい場所で見物できるのも、京都に暮らして、いろいろなご縁に恵まれたから…幸せなミモロです。

「あー織田公上洛列だー」いよいよ地元の皆さんの晴れ姿が見られる時がやってきました。

「みんな上手に馬に乗ってる…元気そう…よかったー」と、周囲からの声援もいっそう高まる地元でのお披露目。
「前田さーん、藤井さーん」など、ミモロは、大きな声で呼びかけます。でも、周囲の音にかき消され、ミモロの声は、馬上の武将たちには届きません。

時代祭のゴールは、平安神宮。そこに到着すると、すぐさま、待ち構えている着付け師の方が、装束を回収。身ぐるみ剥がれ、普段の服装に戻ります。祭りが終わった後、装束を干したり、修繕したり、とさまざまな作業が行われ、大切に保管され、翌年に備えることに…。「1日中、着た衣装は、汗でぐっしょり…その手入れが大変なんですよ」と、着付け師の方。晴れの舞台は、蔭でささえる大勢のみなさんがあってこそ…。

「わーキレイ…」「中世婦人列」が始まりました。
淀君や静御前、桂女たちが、行列に華やかさをもたらします。
「巴御前だーミモロあれがやりたいー」馬に唯一女性が乗れる役です。
平安時代初期は、唐風の装束。百済王明信という女官の正装姿も。
「坂上田村麻呂だよー」黄金色の豪華な甲冑姿です。

「もう時代装束の行列も終わりだねー」いよいよ朝平安神宮を出発された、孝明天皇と桓武天皇の鳳輦が、町をめぐりお戻りになる時刻に。

「おふたりとも、1年に一度、京都の町をめぐられて、楽しかったんじゃない?きっと毎年、変化する町の姿にビックリされているかもねー」祭りが始まって109年。その間、2人のご祭神は、さぞや驚かれていることでしょう。「ビルが増えたねー」「看板がいろいろあるねー」など、その変化を一番ご存じかもしれません。

「あーお祭り終わっちゃったー」祭りが終わるたびに脱力感にみまわれるミモロ。さぁ、もうすぐ京都は、紅葉の季節よ。その後は、お正月の準備…。ボーっとしてる暇はありません。


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「時代祭」リポート前編。午前中、祭りのご祭神、そして、織田公上洛列も御所へと向います。

2013-10-23 | 祭事・神事・風習

いよいよ「時代祭」が始まりました。
ミモロは、朝、8時に、まだ観光客のいない「平安神宮」へと向かいました。

時代装束の行列は、正午に「京都御所」を出発し、市街地を巡り、午後15時ごろに、「平安神宮」へと入ります。
そもそも「時代祭」は、平安神宮にいらっしゃるご祭神の桓武天皇と孝明天皇が、町を見まわり、京都の発展と人々の平穏な暮らしを祈る神事です。

まず祭りは、ご祭神が平安神宮を出発するところから始まります。
「もう行列の準備が整ってる…」。絶好の祭り日和に恵まれた10月22日。平安神宮境内の白砂と青空が、キラキラと輝いて見えます。
胡蝶姿の子供たちの支度も完璧です。
「あ、ミモロちゃん、今年も会えましたねー」と、お友達の市議の鈴木マサオさん。「お久しぶりです・・そろそろご祭神、桓武天皇と孝明天皇が、乗られた鳳輦(ほうれん)が、本殿からお出ましになるころですね…」と、じっと本殿を見つめます。
しずしずと本殿から運ばれる鳳輦。
「この景色が好きなんだー」実は、時代祭の中で、ミモロは、このシーンがお気に入り。「だって、すごく静かで、神々しい特別な感じがするんだもの…」と。
2台の鳳輦は、前が、京都に都があった時の最後の天皇となられた孝明天皇。そして後ろは、平安遷都をなさった桓武天皇です。
鳳凰を頂いた輦は、やがて応天門を通り、町へと進みます。

ミモロは、いつも間近で、ご祭神をお見送り…。

9時に平安神宮を出発した鳳輦は、丸太町通を経て、御所へと向かい、神事を行った後に、時代行列の最後尾を進みます。

つまり、ここにいらっしゃる行列参加者は、平安神宮と京都御所を往復する最長距離を進むことに。正午に、行列の先頭が、御所を出発し、最後尾がスタートするのは、なんと1時半頃で、先頭は、すでに御池通を過ぎるころになります。

参加者約2000人の装束の支度が始まるのは、朝の6時ですから、御所の出発までに、なんと6時間ほど掛るわけです。京都三大祭は、どれも準備にかなり時間がかかります。ちなみに歩く距離が長いのは、下鴨神社から上賀茂神社へと進む「葵祭」です。

「いいなぁーミモロもお祭りに参加したいなー」と憧れるミモロ。でも残念ながら、ネコの参加は無理です。
平安神宮で、行列を見送ったミモロは、その足で、三条通へと向かいました。

「あ、もう始まってるー」「ミモロちゃん、やっぱり見物にきたんだねー」粟田祭では、剣鉾のさし上げで活躍した廉屋さん。今日は、行列の従者を務めます。昨日、衣装合わせをした粟田地区の「織田公上洛列」の皆さんが、粟田神社で装束を整え、町の人たちにお披露目のため、三条通を歩いているのです。

この地区の担当は、17年ぶり。沿道には、顔なじみの人たちの晴れ姿を一目見ようと、多くの住民が待ち構え、声援を送ったり、記念撮影を…。

信長役の前田さんも、ご自身のお店の前で、ハイ、ポーズ。


白川を越えた辺りで、一向は、用意されたタクシーへ。「えー武将がタクシーに乗るの?」とミモロ。「兜、天井にぶつからないかなぁー」と、心配そう。大丈夫…。兜の張り出した部分は、取り外し、兜を脱いで、タクシーに乗り込みます。「水牛の角の形の兜をかぶる滝川一益さんは、絶対、そのままじゃ、タクシーに乗れないねー」

「では、いってきまーす」タクシーに乗り込んだ鎧姿の信長さん。武将を乗せたタクシーは、京都御苑の東側の梨木神社に止まり、そこで再び兜をかぶって、待機場へと入るそう。

「また、午後、神宮道で待ってマース」と、みんなを見送るミモロでした。





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「時代祭」のリハーサル。前日行われた「織田公上洛列」の衣装合わせに完全密着

2013-10-22 | 祭事・神事・風習

本日10月22日に行われる京都三大祭のひとつ「時代祭」。平安遷都1100年を祝う行事として、明治26年(1895)に始まった市民によるお祭りです。

「今年は、ミモロの住むご近所の方たちが参加するんだってー」と、いっそう楽しみにするミモロです。

現在20列、約2000人の人が参加する行列。正午に京都御所を出発し、烏丸、御池、河原町、三条の通りをへて、神宮道から平安神宮へ向います。

明治維新から平安時代へと、時代を逆戻りしながら、繰り広げられる時代絵巻。それぞれの時代を代表する人物が、時代考証にそった装束で次々に登場します。

それぞれの列は、毎年、決まった団体や地域が担当。例えば、「維新志士列」は京都青年会議所のメンバーが、毎年、坂本竜馬や桂小五郎などに扮します。
戦国武将が登場する安土桃山時代の「織田公上洛列」は、平安神宮周辺の地域が担当。今年、ミモロが住むエリアが、17年ぶりにその任を務めることになりました。

「こんにちはー」時代祭の前日、衣装合わせが行われると聞き、ミモロは、会場の粟田神社へと向かいます。神社の集会場には、すでに衣装が平安神宮から運び込まれ、衣装合わせの準備が整っています。

「この兜、秀吉さんのだってーこんなに近くで見られて感激…」とミモロ。

列に参加する人は、事前に、平安神宮と織田信長ゆかりの建勲神社への参拝を済ませ、身を浄め、行列の無事を祈願してます。この日の衣装合わせするのは、馬に騎乗する織田信長、立入宗継、羽柴秀吉、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益の6人です。

まず初めに衣装合わせにやってきたのは、織田信長役の前田嘉右衛門さん。江戸時代から創業の紙の老舗「紙嘉」の11代店主です。実は、9代店主は、第1回「時代祭」で、やはり信長役をなさったそう。「ご縁があって、今回務めさせていただきます」と、感慨深げに…。

次々に着付け士さんが、手際よく衣装を着けて行きます。「はい、お腹膨らませて…」鎧を装着する場合、腹部に余裕が必要だとか。「なかなか鎧は、重いもんですねー。腰回りにずっしり来ます」と前田さん。
「これなあに?」とミモロが見ているのは、熊の毛皮でできた貫(つらぬき)という履物。
最後に兜をかぶって、はい、完成!りっぱな武将になりました。穏やかなお顔の前田さん、信長というより、家康っぽいとの評判も。でも「時代祭」には、徳川家の人物は、一切登場しません。

「結構、兜が重くて、首が凝りそう…。うーあまり首が回らない…」と前田さん。「武将は堂々とあまり動かないように…」と。

着付けをご担当された皆様などと…。装着するものが多く、小道具、衣装の管理などもなさる重要なお仕事です。

次に、公家の立入宗継役の中村博司さんが、狩衣を装着。
袖の長さなどを調整します。


そして、羽柴秀吉役の藤井登さんも、初の甲冑に挑みます。


次々に到着する武将役の方の衣装合わせが進みます。

着付けは、ひとり30分ほど掛ります。仕上げに、鞭や采配などを手に…。
「どこかきつい所や、当たる所は、ありませんか?馬に乗る時、つかまるのは、鞍の前の部分だけ。決して、刀や鞭が馬に触れないようにしてください…触ると馬が暴走する危険があります」との注意も。
「トイレは、袴に穴があいた部分がありますから、全部脱がなくても大丈夫ですよ。ただし、行列中は、馬から降りられませんから、水分は控えめに…」と。

朝から、夕方まで、この衣装で過ごす一日。行列は、約3時間ですが、待機時間の多さが、参加者にはなかなかキツイよう。

では、ここで改めて「織田公上洛列」の主な登場人物をご紹介します。
この列は、織田信長が、永禄11年(1568)に正親天皇のお召しに応じ、兵を率いて上洛し、京の町の復興に尽力したことを示すもの。

列の先頭は、天皇の命を受け、粟田口に信長一行を迎えに行った公家の立入宗継(たちいりむねつぐ)です。

公家らしい狩衣すがた。太刀は、サメ革で、飾りも細かく。足元は、ブーツのような履物を。

次は、羽柴秀吉(はしばひでよし)。まだ羽柴の姓を名乗っている時代。
勝色日の丸縅胴丸、五七の桐紋の陣羽織、三鍬形前立兜という姿です。

3番目は、丹羽長秀(にわながひで)。信長の重臣のひとり。
演じるは、梶村純夫さん。溜塗革包胴丸に、拍子木紋の陣羽織、唐冠兜など。「バツのマークかと思ってたー。あれ、拍子木だったんだー」とミモロ。

4番目は、織田信長。
正親天皇より拝領した、三枚シコロ鍬形打兜、紺糸縅胴丸という、奇抜なイメージの信長には、珍しい姿です。手には采配を。

5番目は、滝川一益(たきがわかずます)。
演じるは、小川善一さん。黒糸縅具足、赤地陣羽織、銀水牛脇立兜など、かなり目立つ装束です。なかなか豪壮な感じ。「なんか『ひこにゃん』の兜に似てるー」ミモロ失礼でしょ!

最後は、柴田勝家(しばたかついえ)。
演じるは、山名勲さん。信長の妹で絶世の美女といわれるお市の方を妻に迎えた武将です。革包紫糸縅具足、結び雁金紋の陣羽織、銀瓦形脇立兜などの勇ましい姿。「一番イメージに合ってるー」との声多数。

最後に勢ぞろい。


「刀ぬけないんだー残念…」チャンバラでもしたいよう…。武将装束で、子供に戻ったように楽しそうなおじ様達。
「みなさん、見物に来てくださいねー」と。次ぎのこの地区が担当するのは、17年後になります。

たまたまこの日に粟田神社に来られた英国からの観光客の方、「こんなに近くで、サムライ見られて感激!」と。

「時代祭」は、正午に京都御所をスタートします。「織田公上洛列」が見えたら、声援を…。



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