「当別駅前の蔵の店で夕顔見っけた」
子供の背丈ほどある夕顔が毎年取れました。戦時中・戦後の時のカムイラビットの子供の時でした。輪切りにして、皮を剥き外側の部分は皮をむく様にして長く切り、干して乾瓢にしたのでした。乾瓢は運動会などの特別な時の料理に使われ貴重でした。
戦中・戦後の時でもあってか、貴重な食材となっていました。乾瓢は歯触りのよい食べ物でありました。
真ん中の部分は柔らかくフワフワしていて、これも投げずにおかずに料理して食事に出された。夕顔の実の綿のおかずは懐かしい味となっています。
昨年はひさかたぶりで夕顔を我が畑で作ってみました。蔓が精いっぱい伸びて、結構大きな実が取れましたが、本数はわずかしか取れませんでした。作り方が悪いのか実の付き方が悪かったのです。一番大きな夕顔は孫と背比べさせて写真を撮った後食卓に上りました。夕顔の話題は絶えなかった。
この頃は乾瓢は作らず、皮以外のすべてを油いためのおかずにして食べています。料理は戦時下、戦時中の味がします。小さいうらなりの夕顔はさすがに苦く、熟れている物が美味しいのです。
先日(10月3日)、北海道医療大学の里山の笹刈りの帰り、いつも寄る当別駅前の蔵の店で夕顔を見つけさっそく買うことにしました。農作業の手間暇を考えると買い得のする値段がついていたのです。
黄緑色のかぼちゃで無い物が夕顔
さっそくラビ妻の手料理で、夕顔の油いためで美味しくいただき、満足したのでした。