
つい最近購入する事ができた昭和58年3月31日に発行された「波田町誌自然民族編」をみて、波田の御柱について色々な情報を得ることができました。
※旧波田町内では上波田の上町・中町・下町だけで行われる独特の行事で、豊作祈願、厄除けを祈念する行事。
※丁場(町場)毎に一本の御柱を建てる。
※以前は、十四日の朝建て、二十日の朝倒す小正月の行事であったが、最近は七日に建て、十四日に倒すようになった。
※昔の御柱の高さは七間(約14m)程もあった。
※御柱の頂にシンボクを飾り、シンボクを挟んで東西南北を飾る。
※カンノミズは柱の中ほどにつけられる。
※シンボクは美濃紙(白色)を使うが、他のオンベは五色の紙を裁ってつくる。
※細く切り込みを入れた色紙を割り竹に巻きつけたヤナギ(柳)もつくられる。
※根元は五色の短冊で五段松で飾られる。
※町内の女性衆に頼んで、布で毬や巾着を作ってもらいオンベに吊るす。


上二枚の写真は「毬」と呼ばれるものになります。
※毬や巾着は高い所に吊るされるほど針の手があがり裁縫が上手になると喜ばれたが、波田上町では吊るす位置が上下になるのは不公平だとし、横に張った綱につるしている。

波田上町の御柱の元を飾る五段松には「 上 丁 」の文字が切り抜かれた短冊が取り付けられています。
この「丁」が何なのか今まで恥ずかしながら全く分からなかったのですが、ようやく分かりました。
「丁」は「町」と同じでした。

この波田上町の御柱が建てられている近くに「若澤寺の丁石(町石)」という説明版があり、その中に記載されていた「丁石(町石)」がヒントになり、ネットで調べましたら、『丁は町すじの区分。「チョウ」と読む。また、「町」と同じに用いる。』とありました。
これから「 上 丁 」は「上町」ということが理解できました。
以前、Bookoffで「幻の大寺院若沢寺を読みとく」(あずさ書店刊)を500円ほどで購入したのですが、まだしっかり読んでありません。
なるべく早く一気に読んでしまいたいと思っています。