以前から一度は見てみたいと思っていた生坂村の乳房イチョウ(チブサイチョウ)の垂れ下がる樹瘤。
11月11日の市民タイムス7面にこのイチョウについての記事がありました。
今回、この記事に背中を押されるようにして現地に行って乳房イチョウを見てきました。
↑ 西方向からの撮影です。
↑ 北方向からの撮影です。
↑ 南方向からの撮影です。
この乳房イチョウは生坂村観光情報によりますと、(以下『』内は引用させていただいています。)
『乳房イチョウは太さ7m、高さ30m、樹齢800有余年の巨大なイチョウの幹枝にたれ下がるいくつかの樹瘤、豊かな母の乳房を連想させることから、乳房イチョウと呼ばれています。180年ほど前の文化年間に乳房堂が焼けたとき、このイチョウから後光がさし、焼けた観音様がイチョウにお移りになったと言い伝えられました。その後小枝を煎じて飲めば乳の出が良くなるという話が広まり、産婦が祈願する姿を見ることがあります。』
とありましたが、高さ30mもありますので大分離れて撮影しないと、下から上までカメラにおさまりませんでした。
↑ 乳房イチョウ脇に立てられていたこの乳房イチョウの説明版です。
内容
乳房イチョウ
県天然記念物
指定 昭和40年4月30日
一.周囲は根元10.5m、目通り8.3m、樹高35m、枝張り東西29m、南北27m、推定樹齢800年の雄樹で松塩筑地方では最大のイチョウである。
一.柱瘤(乳房)凡そ25本がたれ、最大は長さ2.3m、つけ根の周囲1m。
一.伝説、170年ほど前観音堂が火災で焼失した時、イチョウの樹から御光がさし人々は恐ろしくて近ずけなかった。
焼けた観音様がイチョウに乗り移ったのだという。
一.信仰、産後乳の出ない産婦が観音様へ祈願し「何年の女乳汁を授けさせ給え、大願成就のお礼参りには、乳の絵馬、木綿で作った乳房、燈明などを奉納します」と誓い、たれている乳房を宮本紙で包み、水引きで結び、根元の下枝を折って家へ持ち帰り、一握りの長さに刃物で切らずに折って煎じ、煎汁を何回も飲むと母乳が出るので有名となり、乳房観音と呼ばれるようになつた。
一.奉納された絵馬が堂の内外に31枚残る。木綿の乳房は昭和7年には柵、樹の枝、堂の内外に600個もあった。
一.観音堂は鎌倉時代からあったらしいが、現在の堂は江戸末期の建築で間口3間、奥行3間半、格天井の96面にある鶴の絵は美濃国恵那郡の近藤助次郎の優れた作品。
一.お祭りは4月16・7日で遠近からの参拝者が多かった。
一. 堂と絵馬は平成元年に村指定文化財となる。
一.平成2年寄付金や村の補助金により、柵、堂、庫裡の大改修並びに環境整備をおこなう。
平成2年9月
長野県教育委員会
生坂村教育委員会
生坂村観光情報によると「樹瘤」、脇に立てられていた説明版では「柱瘤」です。
説明版ではこの「柱瘤」は25本があるようです。
乳房イチョウの樹下には沢山の葉が落ちていて、薄黄色の絨毯となっていました。
この落葉、知っているイチョウの落ち葉と比べるとやや小振りでした。
乳房イチョウの傍らには、
「乳房観音堂」があります。
「乳房観音堂」の説明版です。
乳房イチョウの説明版に書かれている信仰として、産後乳の出ない産婦が観音様へ祈願し「何年の女乳汁を授けさせ給え、大願成就のお礼参りには、乳の絵馬、木綿で作った乳房、燈明などを奉納します」と誓いとありますが、
奉納されたであろう木綿で作られた乳房がありました。