「花の下臥」という用語は、「花の咲いた桜の木の下に寝ること。」という意味で、日本国語大辞典・第2版では、『拾玉集』(1346年)からの例を早い用例としていますが、さらに、146年さかのぼる用例があります。
はるの山にもり来る月に風過てなみた露けき花の下臥
(巻第三百八十二・正治二年院御百首、上、慈円、春)
塙保己一編『続群書類従・第十四輯下(訂正三版)』続群書類従完成会、1983年、585ページ
「花の下臥」という用語は、「花の咲いた桜の木の下に寝ること。」という意味で、日本国語大辞典・第2版では、『拾玉集』(1346年)からの例を早い用例としていますが、さらに、146年さかのぼる用例があります。
はるの山にもり来る月に風過てなみた露けき花の下臥
(巻第三百八十二・正治二年院御百首、上、慈円、春)
塙保己一編『続群書類従・第十四輯下(訂正三版)』続群書類従完成会、1983年、585ページ
「水鴨(みかも)」という単語は、日本国語大辞典・第二版では「枕詞・みかもなす、のみが唯一の用例」というふうに記載されていますが、以下のとおり、単独の使用例があります。
白雲の絶間に見ゆる水鳥の水鴨(みかも)の色の春の山の端
(雑廿首、山、1371・基俊)
『和歌文学大系15 堀河院百首和歌』2002年、明治書院、251ページ
春
一 たれかおもはむ
たれかおもはむ鶯(うぐひす)の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間(ま)と
あゝよしさらば美酒(うまざけ)に
うたひあかさん春の夜を
梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を
わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴(こと)の音(ね)に
うたひあかさん春の夜を
二 あけぼの
紅(くれなゐ)細くたなびけたる
雲とならばやあけぼのの
雲とならばや
やみを出(い)でては光ある
空とならばやあけぼのの
空とならばや
春の光を彩(いろど)れる
水とならばやあけぼのの
水とならばや
鳩(はと)に履(ふ)まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
草とならばや
三 春は来ぬ
春はきぬ
春はきぬ
初音(はつね)やさしきうぐひすよ
こぞに別離(わかれ)を告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳(こぞ)の冬
春はきぬ
春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし
春はきぬ
春はきぬ
浅みどりなる新草(にひぐさ)よ
とほき野面(のもせ)を画(ゑが)けかし
さきては紅(あか)き春花(はるばな)よ
樹々(きぎ)の梢(こずゑ)を染めよかし
春はきぬ
春はきぬ
霞(かすみ)よ雲よ動(ゆる)ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香(か)おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ
春はきぬ
春はきぬ
春をよせくる朝汐(あさじほ)よ
蘆(あし)の枯葉(かれは)を洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴(ひなづる)よ
若きあしたの空に飛べ
春はきぬ
春はきぬ
うれひの芹(せり)の根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌(も)えよかし
四 眠れる春よ
ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情(ふぜい)なれ
ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖(そで)をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし
ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ
ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早(さ)わらびの
したもえいそぐ汝(な)があしを
かたくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ
五 うてや鼓
うてや鼓(つづみ)の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり
ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ糸は
けさもえいでしあをやなぎ
霞のまくをひきあけて
春をうかゞふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の台(うてな)といふべけれ
小蝶(こちょう)よ花にたはぶれて
優しき夢をみては舞ひ
酔(ゑ)ふて羽袖(はそで)もひら/\と
はるの姿をまひねかし
緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめ静(しづか)なるはるの日の
しらべを高く歌へかし
(青空文庫より)
大和めぐり
春は来(きた)りぬ山越えて
大和(やまと)に入(い)ればなつかしや
吉野の川の川上(かはかみ)に
笠(かさ)きて下(くだ)る筏士(いかだし)が
笠の上にもはらはらと
雪の如くに花が散る。
馬に続いて二つ三つ
えいえいえいの声たかく
京人(きやうびと)乗せし駕籠(かご)が来(く)る
ここは野崎(のざき)のかへり路(みち)
堤(つつみ)づたひにくるくると
赤い日傘も舞(ま)つてゐる。
渡し舟待つつれづれを
旅なる人(ひと)は三四人(にん)
柳がくれの掛茶屋(かけぢやや)に
旅の話をものがたる
黒漿(おはぐろ)つけて眉(まゆ)青き
茶屋の女房(にようぼ)は笑顔よく。
わかれ路(ぢ)に立つ路(みち)しるべ
染めたる筆の跡見れば
左へ三里 三輪の茶屋
菜の花つづく野の路(みち)に
朱塗(しゆぬり)の塔の見えがくれ
長谷(はせ)のみ寺も遠からず。
里の童(わらべ)は五六人(にん)
長者(ちやうじや)軒(のき)に打ち集(つど)ひ
めんない千鳥(ちどり)して遊ぶ
鬼になりたる子を見れば
顔色白(しろ)う七つ八つ
稚児髷(ちごわ)に結(ゆ)へるも美(うつく)しう。
妹山(いもやま)かすむ畷路(なはてぢ)の
松の並木の根に憩(いこ)ひ
脚絆(はばき)の紐をはらひつつ
袖のひまより打ち見れば
畝傍(うねび)、耳無(みみなし)、当麻寺(たいまでら)
初瀬(はつせ)の里も程ちかし。
ほんに思へばこの日頃(ひごろ)
母に聞きたるなつかしき
阿波(あは)の鳴門(なると)の巡礼は
負笈(おひづる)負(お)ひてとぼとぼと
長い並木にかかり来る
どれどれ奉謝(ほうしゃ)進(しん)ぜよう。
名も無き村に入(い)りぬれば
少(ち)さき少女(をとめ)は縁先(ゑんさき)に
凉しき唄の音(ね)もたかう
からりはたはた機(はた)を織る
外(そと)には老(お)いし虚無僧(こむそう)が
笛をほろほろ響かせて。
白壁(しらかべ)つくり酒倉(さかぐら)の
軒(のき)をはなれて立ち出(い)づる
燕(つばめ)の背(せな)に春の日は
紺と銀とに光りぬる
暖簾(のれん)のかげにもちらちらと
花はこぼれて散りかかる。
奈良の旅籠(はたご)にとまらうか
おつつけ暮れて来るであろ
山 紫(むらさき)に水 清(きよ)う
大和(やまと)は歌によきところ
行(ゆ)けば行(ゆ)くほど花がちる
あれまた寺では鐘の音(ね)が……。
(有本芳水「芳水詩集」より)
三月三日檢校防人 勅使并兵部使人等同集飲宴作歌三首
朝な朝な上がるひばりになりてしか都に行きて早帰り来む
右一首勅使紫微大弼安倍沙麻呂朝臣
ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく
ふふめりし花の初めに来し我れや散りなむ後に都へ行かむ
右二首兵部使少輔大伴宿祢家持
(万葉集~バージニア大学HPより)
かかるほどに、浜のほとりの花盛りになりぬ。君だち、花御覧じに、林の院に出でたまふ。その日の御設け、種松が妻仕うまつりたまふ。今日の御装ひは、みな直衣の御衣ども、御供の人、例の上の衣、桜の下襲など着たり。みな徒歩より出でたまひぬ。
御前のもの、みな妻の仕うまつりたまふなれば、まかなひよりはじめて女の仕うまつる。沈の折敷二十、沈の轆轤ひきの御杯ども、敷物、打敷、心ばへめづらかなり。青い白橡の唐衣、綾の摺り裳、綾の掻練の袿、袷の袴着たる大人、髪丈にあまり、色白くて、年二十歳より内の人十人。同じ青色に蘇坊、綾の袴、綾の掻練の衵一襲、袷の袴着たる童、髪丈と等しくて、年十五歳より内なる、丈等しく姿同じき十人。
(略)
かくて、ものの音などかき立て、例の遊びなどふるまひて、詩作りなどしつつ読み上げて、琴に合はせてもろ声に誦じたまふ。
かかるに、少将、かくおもしろき所に、ある限りの上手集ひて、世の一の琴、笛吹き立て、かきならしつつ、清らを尽くして遊びわたれど、病につき伏し沈みて思ひしことは、慰むべくもあらず嘆きわたるに、花さそふ風も心すごく吹きて浜辺を見渡したまひつつ、花は色を尽くし、ただ今盛りなり。風に競ひて散りかひ、漕ぎ渡る小舟近く帰る、花一つに続きて見ゆれば、少将、
行く舟の花にまがふは春風の吹き上げの浜を漕げばなりけり
あるじの君、
春風の漕ぎ出づる舟に散り積めば籬の花をよそに見るかな
侍従、
行く舟に花の残らず降り敷けばわれも手ごとにつまむとぞ思ふ
良佐、
風吹けばとまらぬ舟を見しほどに花も残らずなりにけるかな
などのたまふほどに、宮より、種松が妻君、合はせ薫物を山の形に作りて、黄金の枝に白銀の桜咲かせて立て並べ、花に蝶どもあまた据ゑて、その一つにかく書きつく。
桜花春は来れども雨露に知られぬ枝と見るぞ悲しき
とて、よき童して林の院に奉れり。君だち見たまひて、蝶ごとに書きつけたまふ。侍従、
雨露に梢は分かずかかればや花の枝とは人の知るらむ
少将、
春風の吹き⊥げに匂ふ桜花雲の上にも咲かせてしがな
あるじの君、
涼桜花雲に及ばぬ枝なれば沈める影を波のみぞ見る
良佐、
桜花染め出だす露の分かねばや底までにほふ枝も見ゆらむ
松方、
桜狩濡れてぞ来にし鶯の都にをるは色の薄さに
近正、
人づてに聞き来しよりも桜花あやしかりけり春の風間は
時蔭、
白雲と見ゆる桜もあるものを及ばぬ枝と思はざらなむ
種松、
撫で生ほすかひもなきかな桜花にほふ春にも会はずと思へば
などいひて、夜一夜遊び明かす。
(宇津保物語・吹上・上~新編日本古典文学全集)
弥生の一日頃、斎院の御前の桜いみじきさかりなるを、つれづれなる昼つかた、御髪(ぐし)上の間にゐざり出させ給へるに、空の色浅緑にて、うらうらとのどかなるに、野辺の霞は御垣の中(うち)まで包むめれど、なほこぼれたる匂ひ所狭(せ)きなるに、この対(たい)の前なる桜の、匂ひえならぬかたはらに、榊の青やかにて色もてはやしたるなど、外(ほか)の木立には似ず様変りて、をかしう御覧ずるにつけても、「いかならん」と、思しやらる。(略)
大将殿は、すぐれたる枝を折らせて、斎院に持て参り給へり。御前には琴(きん)の琴を弾きすさびておはします。御几帳より琴の端(つま)ばかりさし出で、桜萌黄三重(みえ)の御衣どもに紅の打ちたる、樺桜の二重(ふたへ)織物の小袿など、重なりたる御袖ばかりぞ見ゆる。(略)
さきの声あまた聞(きこ)ゆれば、「誰ならん」と、思すに、かの物言ひあしかりし権大納言は、この院の別当ぞかし、その弟の新中納言、宮の宰相といひしも、今は宰相中将とぞ言ふぞかし、それよりも下(しも)の若君達など、鞠持たせて参りたるなり。「花のために情(なさけ)おくれたることなれど、何となう心ゆきて見所あることなり」などの給ひて、「いづらいづら」との給へば、いろいろの姿ども着こぼして、足もとしたゝめつゝ、あまたうち連れて歩み出たり。(略)花のいたう散りかゝるを、見給て、「桃李先散りて、後なるは深し」と忍びやかに口ずさみ給て、勾欄におしかゝり給へるまみ・気色・御声などは、かの「桜は避(よ)きて」とて、花の下(した)にやすらひ給へりし御様を、その折は見しかど、この御有様、又類(たぐひ)なげにぞ、何事の折節も見ゆる。
日暮るれば、皆、のぼりぬるに、いつしかと夕月夜さし出でゝ、梢どもいとゞおもしろく見渡されたり。(略)
(狭衣物語~岩波・日本古典文学大系)
弥生の初めつ方、三位の中将、母宮の御兄人(せうと)に宮の僧正と聞こゆる人、いと尊くて、宇治の三室戸といふ所におはする、学問など習はんとて、二、三日籠りおはしけるが、帰り給ふ道に、木幡(こはた)といふ所を過ぎ給ふに、山際に霞みわたりて、行く先も見えず絶え絶えなるに、築地(ついぢ)所々崩れて、木立(こだち)暗く、常盤木(ときはぎ)などあまた見ゆる中に、八重桜のいみじく盛りに、おもしろき梢ばかり見やらるるに、御目とまりて、「いづくならん」と、御供の者に問ひ給へば、(略)馬より下りて入り給へど、人ある方遠くて、心やすく、ここかしこのぞきありき給へば、寝殿の西面(にしおもて)なるべし、昔おぼえて、遣水(やりみづ)の流れゆゑありて、呉竹植ゑわたして、卯の花咲くべき垣根など、山里めきたる。格子二間(ま)ばかり開(あ)きたるに、小さき童のをかしげなる、山吹の衵(あこめ)に二藍の干衫(かざみ)着て、花散る方へ差し出でて、「さばかり吹きつる夜の風に、残りなくやと思ひつるに、散らざりけるよ」とて笑みたる気色、田舎びたるさまならず、いと目やすし。
(略)ゐざり出でたる人を見れば、二十歳に二つ、三つや足らざらんと見えたるが、桜の細長に、葡萄(えび)染めの小袿着て、やうだい、頭(かしら)つきより始めて、目もかかやくばかりあれば、めでたの人やと見えて、らうたくうつくしきこと限りなし。
(石清水物語~「中世王朝物語全集5」笠間書院)
その所に冬の程は侍りて、春に成しかば、上野国へ越え侍りしに、思はざるに、一夜の宿を貸す人あり。三月の初めの程なりしに、軒端の梅のやうやう散り過ぎたる木の間に霞める月の影も雅びかなる心地して、所の様(さま)も、松の柱、竹編める垣し渡して、ゐ中びたる、さる方に住みなしたるも由(よし)ありて見えしに、(略)
(都のつと~岩波・新日本古典文学大系51)
(略)暮れかかるほどに、釣殿より御ふねにめさる。まづ春宮の御かた、女房大納言殿、右衛門督殿、かうのないし殿、これらは物の具なり。小さき御ふねに両院めさるるに、これは三ぎぬに、うすぎぬ、からぎぬばかりにてまゐる。東宮の御ふねにめしうつる。管絃の具入れらる。ちひさきふねに公卿たち、はしぶねにつけられたり。笛、花山院大納言。笙、左衛門督。ひちりき、兼行。びわ、春宮の御かた。こと、女房衛門督殿。、大鼓、具顕。かこ、大夫。
あかずおぼしめされつる妙音堂のひるの調子をうつされて、盤渉調(ばんしきてう)なれば、蘇香の五の帖、りんだい、せいがいは、ちくりんらく、ゑてんらくなど、いく返りといふかずしらず。兼行、「山又山」とうちいだしたるに、「変態繽紛(ひんぷん)たり」と両院のつけ給ひしかば、水のしたにも耳おどろく物やとまでおぼえ侍りし。
釣殿とほくこぎいでて見れば、旧苔(きうたい)とし経たる松の、枝さしかはしたるありさま、庭の池水いふべくもあらず。漫々たる海のうへにこぎ出でたらむ心ちして、「二千里の外(ほか)に来にけるにや」など仰せありて、新院御歌、
「くものなみけぶりのなみをわけてけり
管絃にこそ誓ひありとて心強からめ。これをばつけよ」とあてられしも、うるさながら、
行くすゑ遠き君が御代とて(作者)
春宮大夫
むかしにも猶たちこえてみつぎ物
具顕
くもらぬかげも神のまにまに
春宮の御かた
九そぢになほもかさぬるおいのなみ
新院
たちゐくるしきよのならひかな
うきことを心ひとつにしのぶれば(作者)
「と申され候ふ心の中のおもひは、われぞしり侍る」とて富の小路殿の御所、
たえずなみだに有明の月
「この有明のしさい、おぼつかなく」など御沙汰あり。
(問はず語り~岩波文庫・玉井幸助校訂)
又の年の春、三月の初めつ方、花御覧じに北山に行幸なる。常よりも異に面白かるべい度なれば、彼の殿にも心遣し給ふ。先づ中宮行啓、又の日行幸、前の右の大臣兼季参り給ひて、楽所の事などおきて宣ふ。康保の花の宴の例など聞こえしにや。北殿の桟敷にて、内々試楽めきて、家房の朝臣舞はせらる。御簾の内に大納言二位殿、播磨の内侍など、琴かき合はせて、いと面白し。六日の辰の時に事始まる。寝殿の階の間に御褥参りて、内の上御座します。第二の間に后の宮、其の次永福門院・昭訓門院も渡らせ給ひけるにや。階の東に、二条の前の殿道平・堀川の大納言具親・春宮の大夫公宗・侍従中納言公明・御子左中納言為定・中宮権大夫公泰など候はる。右大臣兼季琵琶、春宮の権大夫冬信笛、源中納言具行笙、治部卿篳篥、琴は室町の宰相公春、琵琶は薗の宰相基成など聞こえしにや。「其の日のこと見給へねば、さだかには無し。幼きわらはべなどの、しどけなく、語りし儘也。此の内に御覧じたる人も御座すらむ。承らまほしくこそ侍れ」と言ふ。御簾の内にも、大納言二位殿琵琶、播磨の内侍箏、女蔵人高砂と言ふも、琴ひくとぞ聞こえし。誠にや有りけむ。中務の宮も参り給へり。兵仗賜はり給ひて、御直衣に太刀はき給へり。御随身共、いと清らにさうぞきて、所得たる様也。万歳楽より納蘇利まで十五帖手を尽くしたる、いと見所多し。青海波を地下ばかりにてやみぬるぞ、あかぬ心地しける。暮れかかる程、花の木の間に夕日花やかにうつろひて、山の鳥の声惜しまぬ程に、陵王の輝きて出でたるは、えも言はず面白し。其の程、上も御引直衣にて、倚子に著かせ給ひて、御笛吹かせ給ふ。常より異に雲井をひびかす様也。宰相の中将顕家、陵王の入綾をいみじう尽くしてまかづるを、召し返して、前の関白殿御衣取りてかづけ給ふ。紅梅の表着・二藍の衣なり。左の肩にかけていささか一曲舞ひてまかでぬ。右の大臣大鼓打ち給ふ。其の後、源中納言具行採桑老を舞ふ。これも紅のうちたる、かづけ給ふ。
又の日は、無量光院の前の花の木蔭に、上達部立ち続き給ふ。廂に倚子立てて、上は御座します。御遊始まる。拍子に治部卿参る。上も桜人うたはせ給ふ。御声いと若く花やかにめでたし。去年の秋の頃かとよ、資親の中納言に、此の曲は受けさせ給ひて、賞に正二位許させ給ひしも、今日の為とにや有りけんと、いと艶也。ものの音共整ほりて、いみじうめでたし。其の後歌共召さる。花を結びて文台にせられたるは、保安の例とぞ言ふめりし。春宮の大夫公宗序書かれけり。
海内艾安之世、城北花開之春、我が君震臨を此の所に促し、調楽厥の中に懸れり、重ねて六義の言葉を課し、屡数柯の濃花を賞す、奉梢出雲の昔の雲再び懸れるかと疑ひ、満庭廻雪の昨日の雪の猶残れるかと省みる、小風情と言へども憖露詠に瀝す、其の詞に曰く、
時をえて御幸甲斐ある庭の面に花も盛りの色や久しき
御製、
代々の御幸のあとと思へば
兄忘れ侍る。後にも見出だしてとぞ。中務の御子、
代々をへて絶えじとぞ思ふ此の宿の花に御幸の跡を重ねて
誰も誰も、此の筋にのみ惑はされて、花の御幸の外は、珍しきふしも無ければ、さのみもしるし難し。万あかず名残多かれど、さのみはにて、九日に返らせ給ひぬ。
(『校註 増鏡 改訂版』和田英松、昭和四年)
既青陽暮春の比にも成にければ、三月桃花の宴とて、桃花も盛に開たり。西王母が園の桃とて、唐土の桃を南庭の桜に植交て、色々様々にぞ御覧じける。桜が先に開時もあり、桃が先に開時も在、桃と桜と一度に開て匂を交る折もあり。今年は桜は遅つぼみて、桃花はさきに開たりけれ共、智者は秋の鹿とのみ詠ぜさせ給(たまひ)て、花を御覧ずる事も無き。依之(これによつて)、雲上人、更に一人も花を詠める人は、御座ざりけるに、三月三日たりしに、
春来遍是桃花水、 不弁仙源何処尋、
と高声に詠ずる人あり。法皇誰ぞやと被聞食(きこしめされし)程(ほど)に、やがて清涼殿に参て、笛を吹鳴して、時の調子黄鐘調に音取すましたり。さるかとすれば、又御厨子の上なる、千金と云琵琶を懐下し奉りて、赤白桃李花と申楽を、三返計ぞ引たりける。直人とは覚えず、希代の不思議哉とぞ、法皇は被思召(おぼしめされ)ける。赤白桃李花を三返弾て後は、琵琶を引ず、詩歌をも不詠、笛をも不吹、良久音もせざりければ、此者は帰ぬるやらんと思召(おぼしめし)て、やゝ赤白桃李花をば何者が弾つるぞと仰在ければ、御宿直の番衆とぞ答奏しける。番衆とは誰ぞやと御尋あれば、開発源大夫住吉(すみよし)とぞ名乗給たりける。さては住吉(すみよし)大明神(だいみやうじん)にこそと思食(おぼしめし)て、急御対面あり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)
懸処に、柳営庭前の花、紅紫の色を交て、其興無類ければ、道朝種々の酒肴を用意して、貞治五年三月四日を点じ、将軍の御所にて、花下の遊宴あるべしと被催。殊更道誉にぞ相触ける。道誉兼ては可参由領状したりけるが、態と引違へて、京中の道々の物の上手共、独も不残皆引具して、大原野の花の本に宴を設け席を妝て、世に無類遊をぞしたりける。已に其日に成しかば、軽裘肥馬の家を伴ひ、大原や小塩の山にぞ趣きける。麓に車を駐て、手を採て碧蘿を攀るに、曲径幽処に通じ、禅房花木深し。寺門に当て湾渓のせゞらきを渉れば、路羊腸を遶て、橋雁歯の危をなせり。此に高欄を金襴にて裹て、ぎぼうしに金薄を押し、橋板に太唐氈・呉郡の綾・蜀江の錦、色々に布展べたれば、落花上に積て朝陽不到渓陰処、留得横橋一板雪相似たり。踏に足冷く歩むに履香し。遥に風磴を登れば、竹筧に甘泉を分て、石鼎に茶の湯を立置たり。松籟声を譲て芳甘春濃なれば、一椀の中に天仙をも得つべし。紫藤の屈曲せる枝毎に高く平江帯を掛て、■頭の香炉に鶏舌の沈水を薫じたれば、春風香暖にして不覚栴檀林に入かと怪まる。眸を千里に供じ首を四山に廻、烟霞重畳として山川雑り峙たれば、筆を不仮丹青、十日一水の精神云に聚り、足を不移寸歩、四海五湖の風景立に得たり。一歩三嘆して遥に躋ば、本堂の庭に十囲の花木四本あり。此下に一丈余りの鍮石の花瓶を鋳懸て、一双の華に作り成し、其交に両囲の香炉を両机に並べて、一斤の名香を一度に焚上たれば、香風四方に散じて、人皆浮香世界の中に在が如し。其陰に幔を引曲■を立双て、百味の珍膳を調へ百服の本非を飲て、懸物如山積上たり。猿楽優士一たび回て鸞の翅を翻し、白拍子倡家濃に春鴬の舌を暢れば、坐中の人人大口・小袖を解て抛与ふ。
(『太平記 全』国民文庫刊行会)
(長元九年三月)八日丁亥。関白左大臣(頼通)先参御堂薬師堂例講。次於白河院召文人賦詩。題云。花色満林池。〈春字為韻。〉
(日本紀略~新訂増補 国史大系11)
(建保五年三月)十日 丁亥。晴 晩頭ニ将軍家桜花ヲ覧タマハン為ニ永福寺ニ御出デ御台所御同車先ヅ仏ニ御礼ス。次ニ*花ノ下ニ逍遥シ給フ(*花林ノ下)。其ノ後大夫判官行村ガ宅ニ入御シタマフ。和歌ノ御会有リ。亥ノ四点ニ及ビテ。月ニ乗ジテ還御シタマフ。
(吾妻鏡【建保五年三月十日】条~国文学研究資料館HPより)
(寛喜元年三月)二日(庚申)。去る夜より甚雨。巳後に雨止む。西面の紅梅(去年北より移す)盛んに開く。南の小桜又開く。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(嘉禎三年三月)九日 庚申。(略)今夜新御所ニ、始メテ和歌ノ御会有テ、庚申ヲ守ラルルナリ。題ハ*梅(*桜)ノ花ノ盛久。花亭ノ祝言、〈左兵衛ノ督頼氏ノ朝臣、之ヲ献ズ〉。左京ノ兆、足利ノ左典厩、相模ノ三郎入道、快雅僧正、式部ノ大夫入道、源ノ式部ノ大夫、佐渡ノ守、城ノ太郎、*(*都筑ノ右衛門尉経景)波多野ノ次郎朝定等、其ノ座ニ候ズ。
(吾妻鏡【嘉禎三年三月九日】条~国文学研究資料館HPより)
三月七日の天うらうらとかすめるにめでゝ、(中略)、芹薺など摘みて遊ぶ折から、飯綱おろしの雪解水黒けぶり立てゝ、動々と鳴りわたりて押し來たりしに、(中略)。さまざま介抱しけるに、むなしき袂より、蕗の薹三ツ四ツこぼれ出たるを見る(に)つけても、いつものごとくいそいそかへりて、家内へのみやげのれうにとりしものならんと思ひやられて、鬼をひしぐ山人も皆々袖をぞ絞りける。(中略)
長々の月日雪の下にしのびたる蕗、蒲公(英)のたぐひ、やをら春吹風の時を得て、雪間雪間をうれしげに首さしのべて、此世の明り見るやいなや、ほつりとつみ切らるゝ草の身になりなば、鷹丸法師の親のごとくかなしまざらめや、草木國土悉皆成佛とかや、かれらも佛生得たるものになん。
(おらが春~バージニア大学HPより)