家の近所の総合公園、月寒公園は再整備が進められています。1961年(昭和36年)にオープンしていますので、かなり老朽化が激しかったからです。平成24年から工事が始まり、完成は平成28年だそうです。
「どんな風になったかな。」と思い、行ってみました。
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月寒神社側の入口です。
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素敵になりました。園路も舗装がされました。
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階段も素晴らしくなりました。
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歩いてみたのですが、段の奥行と高さがちょうどマッチしており、たいへん歩きやすいと感じました。途中にベンチが配置されたのも良いと思いました。かなり長い階段なので、登り疲れた方は、休むことができます。
そして、「こんなに碑があったんだ。」と思ったのが、トップの写真です。
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全て行ってみました。
最初は、開町五十年記念碑と吉田善太郎功労碑です。ふたつ並んで建立されています。
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写真の奥の開町五十年記念碑は、1920年(大正9年)に建てられています。1871年(明治4年)に、44戸がこの月寒の地に入植します。1896年(明治29年)に軍隊が駐屯するようになり、月寒は発展したそうです。
写真手前の吉田善太郎功労碑は、さらに古い1913年(大正2年)に建てられたそうです。最初に入植した44戸の中に、南部藩に仕えた吉田家が含まれていました。善太郎はその長男として、父亡き後、農業の発展に尽力したそうです。特に清田から、北野、大谷地、下白石を経て月寒川に至る6kmに及ぶ水田用水路を作ったそうです。月寒の郵便局長を勤めるなど多くの公職もこなしたそうです。大正2年の凶作では、救済事業も行うなどして、1916年(大正5年)に55歳で生涯を終えたそうです。
こちらが、忠魂碑です。
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1896年(明治29年)から、この月寒の地に第7師団の独立砲兵大隊が駐屯します。そして、1904年~5年(明治37年~38年)の日露戦争に従軍します。第7師団は激烈を極めた旅順要塞の攻防に参加しています。この月寒の地が出身の多くの戦死者が出ました。その勲功を称え、霊を慰めるため、1915年(大正4年)に建てられたそうです。
そして、月寒開基百年碑です。
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1970年(昭和45年)、明治初期の開拓者の苦労を偲び、その偉業を称えるため、地元の有志が建てたそうです。
最後は、永遠の像です。
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昭和10年くらいから、この月寒の地が所属する豊平町と札幌市との合併が検討されていたそうです。しかし、実現にはかなりの時間を要し、1961年(昭和36年)5月1日にようやく実現します。豊平開拓の先人の偉業を称え、郷土豊平の発展的終焉を記念して、1962年(昭和37年)に建てられてました。彫像の作者は、竹中敏洋氏だそうです。
こうした碑のおかげで、私の住む月寒(私はネイティブでははく、後からこの地に引っ越してきたものです)の歴史を知ることができました。
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