園長です。
土曜日に無事に八戸へ帰りました。昨日の日曜日には初雪も舞い、沖縄との温度差を肌で感じてしまいました。沖縄では今でも最高気温が24℃前後あり、日中はほとんどが半袖ですみます。朝夕は少し気温が低いようですがそれでも最低気温は17度くらいです。泡盛を飲みながら島歌を歌い、興が乗ったら沖縄舞踊を踊り、のんびり過ごすには最高の環境だと思います。それにしても良く飲んだなあ。前回は甘ったるくて喉を通らなかった「オリオンビール」がアサヒビールと提携したらしく、おいしいビールに変わっていました。また、「豆腐よう」も古酒仕込みは風味もコクもあり、とてもおしくいただきました。全国保育研究大会の参加でしたが、歴史と食文化の研究もしっかりしてきました。
さて、今回は、研修の最後に「ひめゆりの塔」に行きました。私は3回目の訪問でしたが、改めて戦争の悲惨さ、やるせなさを感じました。今回初めて、このひめゆりの塔がある「第3外科壕」の5人の生き残りである「宮良ユリ」(85歳くらい)さんの生の声を聞くことができました。大型の写真に映し出された、多くの悲惨な場面を細かく説明してくれました。聴いている人たちはほとんどがハンカチで目頭を押さえながら聴いていました。「絶対に戦争をしてはいけません。」という言葉が今も耳に残っています。
また、この沖縄南部は沖縄地上戦の最後の舞台であり、悲惨な最期の地でもあったようです。喜屋武岬では海からアメリカの艦隊の一斉砲撃、陸からは火炎放射気、爆撃機での攻撃により多くの人たちが岬から身を投げたようです。摩文仁でも同じような岬があり、思わず合掌してしまいました。ひめゆりの塔資料館で読んだ最後の場面の記述には本当に心が痛みました。「これでひめゆり部隊を解散する。あとは自分たちで判断するように・・・・。」敵で囲まれ、圧倒的な戦力差の中、何とか生き延びてきた女学生たち。いきなり解散され、敵の中に放り出された心中はいかばかりだったのでしょうか。今の日本人は「平和ボケしている」とよく言われますが、私もそう思います。今からたった70年前の出来事なのです。そして今もその当時の生き残りが戦争の悲惨さを訴えているのいです。私たちは何か大事なものを見失っているのではないでしょうか。遠い沖縄で生きていることの尊さ、生きることの大切さを深く感じてきました。今の若者にも絶対行ってほしい沖縄です。