ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

悔しさ! それだけじゃ!

2016-10-21 22:03:49 | 思い
 (1)

 私の詩集『海と風と凧と』から記す。

   夢の近くに

 北国の冬はやけに冷たかった。
 強い風が電線をビュービューと鳴らし、
 私は夕方になると
 いつも小銭を手袋の中に入れ、
 空ビンをかかえて、
 父が飲む二合の酒をもとめに走った。
 決して嬉しいおつかいではなかった。
 時には横なぐりの粉雪が、
 片方の頬だけを凍らせた。
 でも、暗くなった細い裏道を、
 小走りに駆け抜けながら私は、
 「大人になったら、ぼくは…」と、
 温かい夢を見ていた。
 つい先日、
 何気なくふり返った足下に、
 そんな小さな日の夢が落ちていた。
 私はそれを両手で拾い上げ、
 そして、今を見つめて微笑んだ。

 1988年の年賀状に添えたものである。

 父は、酒好きだった。
日本酒党で、ビールやウイスキーは飲まなかった。
 とにかく呑兵衛で、一度酒が入ると、
酔いつぶれるまで飲み続ける人だった。

 だから、家に一升酒があると、空になるまで飲んだ。
なので、母は、1日2合までと決め、
小学生の私に、それを毎夕、買いに行かせた。
 まだ、酒の量り売りがあった時代だった。

 その酒屋に、同級生の女子T子がいた。
とても快活で、その上思ったことは遠慮なくすぐ口にした。
 私が、店に入り、毎日、空ビンと小銭を差し出すのを、
店の奥からチラチラ見ていた。
 その視線に、不快感を覚えていた。

 ある日、「ついでに。」と母から、
「味噌も買ってきて。」と、お金を渡された。

 お酒2合と一緒に、
「いつも買っている味噌も、お願いします。」
店のご主人に頼んだ。

 店主は、手際よく味噌を薄皮に盛り、
はかりにかけた。
 その時、T子が店に出てきた。

 「今日は、味噌も頼まれたの。」
悪い予感がした。
 でも笑顔に親しみを込めて応じた。

 「そう、ついでにね。」
「それ、うちで一番安い味噌だよ。」
 ドキッとした。
無理に普通の顔を作って、
「そう…。そうなの。」

 慌てた店主が、T子をにらんだ。
「余計なこと言わないの。座敷に戻りなさい。」

 2合のお酒と味噌をかかえ、
私は暗い裏道をうつむたまま、家へ戻った。

 次の日から、教室でT子に話しかけられても、
絶対に口をきかなかった。

 しかし、そんな安い味噌でも、
朝夕、母が作る味噌汁は、とても美味しかった。
 T子にも、その味を教えてあげたいと思った。


 (2)

 テレビが次第に普及し始めた頃だ。
それまで、大相撲中継はラジオで聴いていた。

 特に、人気力士だった初代若乃花の取り組みは、
ラジオににじり寄り、耳を近づけた。
 「さあ、立ち会い、若乃花がかまえた。
あっ、若乃花、とんだ。
…ガッガーガッー…、若乃花の勝ち。」
 歓声とノイズで、アナウンサーの中継はそう言っていた。

 「若乃花、とんだ」と聞いた私は、
土俵の上で宙に舞う姿を、無理矢理連想していた。

 小学校3年の冬だったと思う。
テレビを買ったN薬局さんが、
大相撲中継を窓の外から見させてくれると知った。
 胸が躍った。

 夕方、N薬局さんの裏庭に行った。
すでに、20人以上の大人と子どもが窓に群がっていた。
 私も、その群れに入り、座敷をのぞいた。

 テレビの前に、N薬局の人たちが座っていた。
それでも、窓の外から見ている私たちにもと、
場を選んでくれているようだった。

 初めてテレビの中にいるお相撲さんを見た。
当然だが、外の私たちに中継の声は、届いていない。
 それでも、寒さを忘れ夢中で見た。
若乃花も見た。

 全ての取り組みが終わり、テレビが切られた。
窓に群がっていた私たちは、
踏み固められた雪で滑りそうになりながら、
そこを離れた。

 若乃花がどうやって飛ぶのか見たかったが、
それ以上にテレビ中継に酔っていた。
 翌日もその翌日も、N薬局さんの窓に通った。

 そんな日をくり返していた時、
すごいニュースが飛び込んできた。
 同じ商店街の呉服店では、
大相撲中継を、広い座敷で見させていると言うのだ。
 遠慮はいらない。誰でも入っていいのだと。

 何よりも寒くないのがいい。
その上、中継の音も聞こえるだろう。
 早々、友だちを誘って、
2人で呉服店の広間に座った。

 この店には、みんなから好かれている
同級生の女子Yちゃんがいた。
 テレビの近くには、お店の家族や親戚の方がいた。
Yちゃんもそこにいた。
 私たちに気づくと、ニコッとしてくれた。

 テレビからは遠い隅の方に陣どった。
ざっと50人はいただろうか。

 畳の温もりを感じながら、
時には中腰になって中継を見た。
 土俵の歓声、アナウンサーの声も聞こえた。

 若乃花が土俵に上がった。
ものすごい声援が聞こえてきた。
 そして、呉服店の広間からも声がとんだ。

 勝敗は一瞬で決まった。
若乃花は、すぐに体を横へ動かした。
 相手の力士は、いなくなった若乃花に気づかず、
思いっきり土俵下に落ちた。

 大きな歓声と拍手が、テレビと広間で上がった。
近くに座っていたおじさんが、明るい声で言った。
 「今日も、とんだか。」
「エッ、とんだ。」
 私は、混乱した。

「あれをとんだって言うの?」
 想像とは、大きく違った。失望した気分になった。

 やがて中継が終了し、テレビが切られた。
すると、前に座っていた呉服店の家族5人が、
すっと立ち上がった。
 ご主人も奥さんも、高価そうな和服を着ていた。
広間の戸口に、5人が並んで座った。

 テレビ観戦をさせてもらった方々が、順に列を作った。
流れに従って、私たちもその列に加わった。
 列は、次第次第に5人に近づいた。

 ついに、私たちの番がきた。
次々と、5人1組で両手をつき、
「ありがとうございます。」と言い、頭を下げた。
 ご主人らは、正座しまま背筋を伸ばし、
軽く頭を下げていた。

 ちょうど、私の前がYちゃんだった。
同級生のYちゃんに両手をつき、頭を下げた。
 恥ずかしそうな小さな声で、Yちゃんは言った。
「明日も、どうぞ。」

 ゆっくりと頭を上げながら、心が傷ついていた。
 「若乃花がとんだ。」
その失望感など、どこかに行ってしまっていた。

 「いや、もう絶対にこない。」
そう言い返したかった。

 一緒に行った友だちが、別れ際に言った。
 「僕、明日からN薬局で見る。」
少し明るい気持ちになった。
 走り去る後ろ姿に叫んだ。
「俺も、そうする。」


 ※

 (1)(2)に限ったことではない。
小さい頃も、多感な頃も、それからも、
幾度も唇を噛んできた。

 人知れず涙しながら家路に着いたこと、
山道で大声を張り上げたこと、
誰かに八つ当たりしたこと、そして、・・・ことも。

 しかし、いつも必ず思い直した。
どこかに温もりや明るさ、そして力添えがあると信じた。
 それを求めた。探した。

 人生は、決して四面楚歌なんかじゃない。
“悔しさ! それだけじゃ!”人の道は終わらない。





   街路樹のもみじ 「凄い!」  

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