▼ 明治生まれの父は、私が29歳の時に亡くなった。
享年70歳、酒が大好きだった。
若い頃は知らないが、
私の記憶にある父には、酒にまつわる醜態が多く、
家族中が嫌な思いをさせられた。
酒が入っていない父は、穏やかで仕事熱心だった。
知性的な一面も・・・。
だが、酒が進み酔いがまわると、制御不能となり、
酔いつぶれるまで飲み続ける人だった。
だがら、その防御策として、
我が家には、お酒の買い置きがなかった。
1升酒があると、それを全部飲み干すまで、
「もう1パイ!」「もう1杯!」と言って飲んだ。
仕方なく、「晩酌は2合」と母が決めた。
毎夕、小学生の私が、空瓶を抱え2合分の酒代を握りしめ、
酒屋へ「お使い」に行かされた。
そのお酒を、父はコップに入れると「一気飲み」した。
残りの1合も、あっと言う間に、
喉をグイグイと鳴らしながら、美味しそうに飲み干した。
「これで毎日が過ぎるのなら、それでいい」と、
どんな天気の日でも、私は小走りでその「お使い」をした。
しかし、月に1回、いや2ヶ月に1回程度だったろうか、
出かけたまま、父が戻らない日があった。
定番なので、家族みんなが分かっていた。
繁華街の飲み屋さんをハシゴしているのだ。
そして、最後はどこかの店で酔いつぶれる。
深夜か早朝まで帰ってこないこともあった。
時には、その店の常連さんが我が家に立ち寄り、
「酔いつぶれているよ」と教えてくれた。
知らせがくると、兄は何も言わずに
リヤカーをひいて、父を迎えに行った。
小1時間もしないで、
リヤカーに酔いつぶれた父を乗せ、
兄は帰ってきた。
姉と私はこれまた何も言わずに、
その父を抱えたり引きずったりして、
布団に寝かせた。
「また、こんなに飲んで、
ショウガナイ父ちゃんね!」
母は、布団で酔いつぶれている父を、
立ったまま見降ろし、いつもボロボロと泣いた。
父が帰らない日、私は、時々母に言われ、
父を迎えに、飲み屋街へ行った。
その時の様子を、若い頃に書いた
物語『サルビアのそばで』(本ブログ15/10/23、30に掲載)で、
再現している。一部を転記する。
* * * * *
・・・・、1ヶ月に1回か2回、
お母さんが帰って1時間がすぎても2時間がたっても、
お父さんの帰らない日があるのです。
そんなときは、必ず「たけし、父さんをさがしておいで。」
と、お母さんが言うのです。
とても怒っているようで、こわい顔なので、
たけし君は、「いやだよー。」と言えず、
暗くなった道を歩きだすのでした。
たけし君には、お父さんのいる所がだいたいわかっているのでした。
そこは、夜でも人でにぎわっている場所です。
お酒を飲んだ人が、肩を組みながら大声で歌をうたって歩いていたり、
ろじうらでおしっこをしている大人がいたり、
どこかの店からはレコードの歌が聞こえてきたりしています。
赤いちょうちんをぶらさげている店もあります。
よっぱらいばかりの所です。
たけし君はそんな所へ行くのでした。
たけし君は、お酒を飲んでいる人ばかりの店を、
一軒一軒のぞいて歩きます。
のれんをくぐり戸を開けると、決まって女の人が、
「いらっしゃい。」というのです。
子どもが入ってきたので、変な顔をしてたけし君を見るのです。
たけし君はそんなことを気にもしないで、店の中を見回します。
「お父さんはいないかなあ。」と思って。
そんなことを何軒かしていると、
お父さんをみつけることができます。
たけし君は、もうだいぶよっているお父さんのところに近づいて、
「父さん、帰ろうよ。」と言うのです。
お父さんは、なかなか帰ろうとしません。
たけし君は、よっぱらいばかりいる店がいやなので、早く帰りたくなります。
なんべん「帰ろう。」と言っても、お父さんは腰を上げてくれないので、
たけし君は、そこで大声をはり上げてなくのです。
すると、お父さんはしかたなく、店を出てくれるのでした。
店を出てからがまたたいへん。
なかなかまっすぐには歩いてくれません。
横へふらふら、前へよろよろ。
たけし君は、道路のわきにあるドブにおちやしないだろうかと心配で、
お父さんのうでを、両手で力いっぱいおさえながら、
家までつれて行くのでした。
しかし、いつもと違う日があったのです。
お酒を飲んでいるらしくお父さんの帰りがおそい日でした。
たけし君は、いやいやよっぱらいのいる店をさがし歩いていました。
お父さんはやはりお酒を飲んでいました。
その日だけは、「父さん。」と言うと、
「おう、帰ろう。」と、すぐに店を出てくれました。
やっぱりよっていました。
でも、そんなにふらふらしていないようでした。
たけし君は、お父さんのうでを両手でおさえながら歩きだしました。
すると、「きょうは、だいじょうぶだ。」と言って、
お父さんは、たけし君の前にしゃがみこんだのです。
たけし君には、それがなんだか、すぐにわかりました。
たけし君は、お父さんの背中にいそいで飛びつきました。
お父さんの首にしっかりとつかまりました。
ゆっくりとお父さんは立ち上がって歩きだしました。
大きな背中でした。
歩くたびに、たけし君の体はゆれました。
たけし君はお父さんの背中に顔をくっつけました。
お父さんの臭いがしました。
お酒の臭い、たばこの臭い、あせの臭い、そして魚の臭いもしました。
じっと目をとじて、たけし君はその臭いをすいました。
たけし君は、その臭いが大好きになりました。
大好きなお父さんの臭いを胸いっぱいにすって、
大きな背中にゆられながら、
たけし君とお父さんは夜道を帰ったのでした。
・・・・・・
* * * * *
物語での、再現である。
若干のデフォルメはあるが、私と父の昔の昔の1コマだ。
お酒を通した父とのこんな温もりがあったからかどうか、
2人の兄は、酒を一切口にしなかった。
私だけは、学生時代から機会があれば、
楽しくお酒を飲んだ。
今は、アルコール度3%の『ほろよい』1缶で大満足だが、
現職の頃は、同僚や先輩達と時間を忘れ、
時には、はしご酒も・・・。
父とは、1度だけ、
上野公園内の小洒落た焼き鳥料理の店で、
チビリチビリとお銚子を数本空けたことがある。
少し千鳥足の父と腕を組み、
思い出話をしながら、公園内を抜け、
駅まで夜風に吹かれた。
美味しいお酒だった。
「父さん、またこうやって飲もうね」。
そう約束したが、2度目は叶わなかった。
秋迎える 稀府 (まれっぷ)岳
享年70歳、酒が大好きだった。
若い頃は知らないが、
私の記憶にある父には、酒にまつわる醜態が多く、
家族中が嫌な思いをさせられた。
酒が入っていない父は、穏やかで仕事熱心だった。
知性的な一面も・・・。
だが、酒が進み酔いがまわると、制御不能となり、
酔いつぶれるまで飲み続ける人だった。
だがら、その防御策として、
我が家には、お酒の買い置きがなかった。
1升酒があると、それを全部飲み干すまで、
「もう1パイ!」「もう1杯!」と言って飲んだ。
仕方なく、「晩酌は2合」と母が決めた。
毎夕、小学生の私が、空瓶を抱え2合分の酒代を握りしめ、
酒屋へ「お使い」に行かされた。
そのお酒を、父はコップに入れると「一気飲み」した。
残りの1合も、あっと言う間に、
喉をグイグイと鳴らしながら、美味しそうに飲み干した。
「これで毎日が過ぎるのなら、それでいい」と、
どんな天気の日でも、私は小走りでその「お使い」をした。
しかし、月に1回、いや2ヶ月に1回程度だったろうか、
出かけたまま、父が戻らない日があった。
定番なので、家族みんなが分かっていた。
繁華街の飲み屋さんをハシゴしているのだ。
そして、最後はどこかの店で酔いつぶれる。
深夜か早朝まで帰ってこないこともあった。
時には、その店の常連さんが我が家に立ち寄り、
「酔いつぶれているよ」と教えてくれた。
知らせがくると、兄は何も言わずに
リヤカーをひいて、父を迎えに行った。
小1時間もしないで、
リヤカーに酔いつぶれた父を乗せ、
兄は帰ってきた。
姉と私はこれまた何も言わずに、
その父を抱えたり引きずったりして、
布団に寝かせた。
「また、こんなに飲んで、
ショウガナイ父ちゃんね!」
母は、布団で酔いつぶれている父を、
立ったまま見降ろし、いつもボロボロと泣いた。
父が帰らない日、私は、時々母に言われ、
父を迎えに、飲み屋街へ行った。
その時の様子を、若い頃に書いた
物語『サルビアのそばで』(本ブログ15/10/23、30に掲載)で、
再現している。一部を転記する。
* * * * *
・・・・、1ヶ月に1回か2回、
お母さんが帰って1時間がすぎても2時間がたっても、
お父さんの帰らない日があるのです。
そんなときは、必ず「たけし、父さんをさがしておいで。」
と、お母さんが言うのです。
とても怒っているようで、こわい顔なので、
たけし君は、「いやだよー。」と言えず、
暗くなった道を歩きだすのでした。
たけし君には、お父さんのいる所がだいたいわかっているのでした。
そこは、夜でも人でにぎわっている場所です。
お酒を飲んだ人が、肩を組みながら大声で歌をうたって歩いていたり、
ろじうらでおしっこをしている大人がいたり、
どこかの店からはレコードの歌が聞こえてきたりしています。
赤いちょうちんをぶらさげている店もあります。
よっぱらいばかりの所です。
たけし君はそんな所へ行くのでした。
たけし君は、お酒を飲んでいる人ばかりの店を、
一軒一軒のぞいて歩きます。
のれんをくぐり戸を開けると、決まって女の人が、
「いらっしゃい。」というのです。
子どもが入ってきたので、変な顔をしてたけし君を見るのです。
たけし君はそんなことを気にもしないで、店の中を見回します。
「お父さんはいないかなあ。」と思って。
そんなことを何軒かしていると、
お父さんをみつけることができます。
たけし君は、もうだいぶよっているお父さんのところに近づいて、
「父さん、帰ろうよ。」と言うのです。
お父さんは、なかなか帰ろうとしません。
たけし君は、よっぱらいばかりいる店がいやなので、早く帰りたくなります。
なんべん「帰ろう。」と言っても、お父さんは腰を上げてくれないので、
たけし君は、そこで大声をはり上げてなくのです。
すると、お父さんはしかたなく、店を出てくれるのでした。
店を出てからがまたたいへん。
なかなかまっすぐには歩いてくれません。
横へふらふら、前へよろよろ。
たけし君は、道路のわきにあるドブにおちやしないだろうかと心配で、
お父さんのうでを、両手で力いっぱいおさえながら、
家までつれて行くのでした。
しかし、いつもと違う日があったのです。
お酒を飲んでいるらしくお父さんの帰りがおそい日でした。
たけし君は、いやいやよっぱらいのいる店をさがし歩いていました。
お父さんはやはりお酒を飲んでいました。
その日だけは、「父さん。」と言うと、
「おう、帰ろう。」と、すぐに店を出てくれました。
やっぱりよっていました。
でも、そんなにふらふらしていないようでした。
たけし君は、お父さんのうでを両手でおさえながら歩きだしました。
すると、「きょうは、だいじょうぶだ。」と言って、
お父さんは、たけし君の前にしゃがみこんだのです。
たけし君には、それがなんだか、すぐにわかりました。
たけし君は、お父さんの背中にいそいで飛びつきました。
お父さんの首にしっかりとつかまりました。
ゆっくりとお父さんは立ち上がって歩きだしました。
大きな背中でした。
歩くたびに、たけし君の体はゆれました。
たけし君はお父さんの背中に顔をくっつけました。
お父さんの臭いがしました。
お酒の臭い、たばこの臭い、あせの臭い、そして魚の臭いもしました。
じっと目をとじて、たけし君はその臭いをすいました。
たけし君は、その臭いが大好きになりました。
大好きなお父さんの臭いを胸いっぱいにすって、
大きな背中にゆられながら、
たけし君とお父さんは夜道を帰ったのでした。
・・・・・・
* * * * *
物語での、再現である。
若干のデフォルメはあるが、私と父の昔の昔の1コマだ。
お酒を通した父とのこんな温もりがあったからかどうか、
2人の兄は、酒を一切口にしなかった。
私だけは、学生時代から機会があれば、
楽しくお酒を飲んだ。
今は、アルコール度3%の『ほろよい』1缶で大満足だが、
現職の頃は、同僚や先輩達と時間を忘れ、
時には、はしご酒も・・・。
父とは、1度だけ、
上野公園内の小洒落た焼き鳥料理の店で、
チビリチビリとお銚子を数本空けたことがある。
少し千鳥足の父と腕を組み、
思い出話をしながら、公園内を抜け、
駅まで夜風に吹かれた。
美味しいお酒だった。
「父さん、またこうやって飲もうね」。
そう約束したが、2度目は叶わなかった。
秋迎える 稀府 (まれっぷ)岳
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