ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

南吉ワールド PART3  ~『疣(いぼ)』~

2015-09-04 22:00:48 | 文 学
 『南吉ワールド』と題し、このブログで新美南吉の著作から、
昨年10月18日には『てぶくろを買いに』『ごんぎつね』、
今年7月10日には『おじいさんのランプ』について、
私の想いを記した。

 今回は、『疣(いぼ)』を取り上げてみる。

 くり返しになるが、南吉は昭和18年3月22日、
30歳の若さで亡くなっている。
咽頭結核の悪化によるものだった。

 彼は、亡くなる年の1月8日に『狐』、
そして9日には『小さい太郎の悲しみ』、
16日に『疣(いぼ)』を書き上げている。
その後、18日に『天狗』を書き始めるものの、完結しないままとなった。

 わずか30年の間に、
童話110、小説60、詩600、短歌300、俳句400を残している。

 その中で、『いぼ』は、彼が書き上げた最後の作品になった。
書き始めてから、「4日もかかった。」という記述があるようだが、
病苦のためか、それとも試行錯誤のせいかは分からない。

 しかし、死の恐怖と闘いながらの執筆である。
体はボロボロで、喉の痛みも相当であったことだろう。
 最悪の状況下での執筆である。その精神力に、心が痛くなる。

 私は、若い頃に大枚を叩いて、『校正新美南吉全集』全12巻を
買い求め、今も書架を飾っている。
 恥ずかしいことだが、いまだその全てには目を通していない。
しかし、絶筆となった作品であったことは別に、
『いぼ』は、私の心を大きくつかんでいる。

 ある研究者が、南吉作品を心理型とストーリー型に分類している。
その中で、心理型に上げたのが、『いぼ』と『屁』である。
多くの作品がストーリー型であることをみると、
『いぼ』は異色と言える。

 確かに、この物語では、
いなかの子である兄・松吉と弟・杉作の
町へのコンプレックスが色濃く描かれている。
心理型と称されることに、納得がいく。

 物語から、兄弟のそんな思いをいくつか拾ってみる。


 『よいとまけーーそれは、いなかの人たちが、
家をたてるまえ、地がためをするとき、
重い大きなつちを上げおろしするのに力をあわせるため、
声をあわせてとなえる音頭です。それはいなかのことばです。
町の子どもである克巳にきかれるのは、はずかしいことばです。』

 
 「よいとまけ」=いなかのことば、それは、はずかしいことば。
松吉と杉作には、町の子どもの前でいなかのことばを遣うことにためらいがあった。


 『町にはいると、ふたりは、じぶんたちが、
きゅうにみすぼらしくなってしまったように思えました。
 これでは、ぼうしの徽章をみなくても、
山家から出てきたことはわかるでしょう。
≪略>きょろきょろが、ふたりともやめられないのでした。
 ふたりは、こころの中では、一つの不安を感じていました。
それは、町の子どもにつかまって、
いじめられやしないか、ということでした。
だから、ふたりはこころをはりつめ、びくびくし、
なるべく、子どものいないようなところをえらんでいきました。』


 強者=町の子どもから、いなかの子だとしていじめられはしないかと言った
弱者の不安感が、みすぼらしさにつながる。


 『「克巳ちゃん。」ということばが、
松吉ののどのところまで出てきました。
しかし、そこで、とまってしまいました。
克巳のあまりに町ふうなようすに対して、
じぶんたちのいなかくささが思い返されたのでした。』


 どこにも根拠のない、「町ふうなようす」と「いなかくささ」の対比意識が、
ためらいと言うネガティブな行動になってしまった。


 『松吉はわかりました。ーー克巳にとっては、
いなかで十日ばかりいっしょに遊んだ松吉や杉作は、
なんでもありゃしないんだと。
町の克巳の生活には、いなかとちがって、
いろんなことがあるので、それがあたりまえのことなんだと。』


 町の子どものドライな暮らしぶりが、いなかの子との大きな開きであり、
二人の諦めにつながっていた。


 いなかことばへの恥じらい、そして強者と弱者の認識、
さらには、『きょろきょろがやめられない』「いなかくささ」と
町の子どものドライさとの大差。
 これら、松吉と杉作の行動と心情を通した、
町へのコンプレックスが、『いぼ』の根幹となっている。

 私は、大人になってからこの物語を読んだ。
もし、少年時代に出会っていたなら、
どれだけ力強く感じ共感を得ていただろうか。勇気づけられただろうか。

 新美南吉は、よく『少年の孤独』を書いた作家と評される。

 人は、村から町へ、地方から都市へ、首都・東京へ、都心へと憧れる。
そして、誰もが自分の立ち位置に、コンプレックスを抱く。
 それは、松吉や杉作に限ったことでないと、南吉は説きたかったに違いない。

 付け加えるなら、自分の出生の環境だけでななく、
特性や能力、容姿とて同様だと、言及したかったのではなかろうか。
 そんな理解が、人の背中を押す力になると、私も思う。


 一方、南吉はこの物語を通して、もう一つ、
「どかァん-」という音を添えて、大きなメッセージを残している。

 松吉と杉作は、農揚げのあんころ餅の入った重箱をさげ、
夏休みになかよくなった、いとこの克巳に会えること、
おじさんおばさんから50銭のおだちんがもらえることに
胸膨らませ、町に向かった。

途中、杉作は、突然「どかァん-」と
とてつもない音で、「大砲を一発」うった。
 しかし、期待はことごとく失望に変わってしまった。

 『じぶんたちは、すっぽかされて、青坊主にされて帰るのだと思うと、
松吉は、日ぐれの風がきゅうに、
かりたての頭やえり首に、しみこむように感じられた。
 「どかァん。」
と、杉作がとつぜん、どなりました。』

 松吉の「なにか、おるでえ。」の問いに、
杉作は「ただ、大砲をうってみただけ。」と言う。

 『弟もじぶんのようにさびしいのです。
そこで松吉も、
「どかァん。」
と、一発、大砲をうちました。』

 町へ向かった、あの時の杉作の「どかァんー。」と、
帰り道の「どかァん。」の対比が、切ない思いに拍車をかけた。

そして、
『ふたりは、どかんどかんと大砲をぶっぱなしながら、
だんだん心をあかるくして、家の方へ帰って行きました。』
 何といじらしいのだろう。ただただ」胸がつまる。

 松吉は、こうも言う。
 『きょうのように、人にすっぽかされるというようなことは、
これから先、いくらでもあるにちがいない。
おれたちは、そんな悲しみになんべんあおうと、
平気な顔で通りこしていけばいいんだ。』

 病魔と闘い、命を削っても伝えた想いがここにある。
 私は、そんな辛抱強さをこれからも受け止めていきたいと思う。

 



市内の各自治会が取り組む 街角の花壇 今が一番きれい 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 数々の『ことば』から | トップ | 確かな信頼関係を  その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文 学」カテゴリの最新記事