ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

『クッキングパパ』満30年

2016年04月23日 | まんが
うえやまとち先生の「クッキングパパ」が連載31年目に突入しました。



「クッキング・パパ」は、『COMICモーニング』誌上で行われた1984年後期のコミックオープンで秀作に入賞、昭和60年(1985年)2月21日号のコミックモーニングに掲載されました。

そして、設定を変え、『COMICモーニング』昭和60年(1985年)6月6日号に、2号連続マグナム読み切りとして「クッキングパパ」が掲載されました。

昨年連載30周年を記録し、今年31年目に突入したわけですね。昨年の『モーニング』記念号の表紙です



11月19日号は、30周年の30段バーガーでした。



記念コミックスは、「ダイジェスト」に続いて、「読者セレクション」も発売されました。


モーニングKCDX-3799 2015年4月23日 第1刷発行


モーニングKCDX-3941 2015年10月23日 第1刷発行

まだ入手できていませんが、コミックス136巻は「特製おにぎらずランチボックス」入りの限定版も発売されたとのこと。

ぜひ連載40周年をめざしていただきたいですね。

コメント

『ピアノの森』連載再開

2015年08月12日 | まんが
『モーニング』最新号が発売になりました。一色まこと「ピアノの森」、最終シリーズ開始です。「18年間ありがとう。完結まで毎号掲載!!!」とのことです。

『モーニング』は最近は購入していなかったのですが、この表紙です。おもわず購入してしまいました。



「ピアノの森」は、平成10年(1998年)『ヤングマガジンアッパーズ』8月19日号から連載が始まりました。第1話「森のピアノ」、巻頭カラー40ページでした。

『ヤングマガジンアッパーズ』での最終掲載は平成14年(2002年)11月19日号でした。第80話「いつかふたりで」で、「次回より新章」となっていました。

連載再開は3年後の平成17年(2005年)、掲載誌を『モーニング』に移して、4月28日号から始まりました。この号の表紙も「ピアノの森」で、巻頭カラー3ページ、全62ページの豪華版でした。「891日ぶり、復活新連載」でした。

途中何回かの連載中断や不定期掲載をはさみながら、最終章にたどり着いたわけです。私が雑誌チェック(初出確認)をしたのは、平成24年(2012年)7月19日号まででした。この号が第205話「阿字野先生」掲載でした。

今号は第234話「覇者の宿命」掲載です。完結まで毎号掲載とのことなので、目が離せませんね。

コミックスは当初『アッパーズKC』で発売され、第9巻まで発売されました。平成17年(2005年)から『モーニングKC』で発売が開始され、現在25巻を数えています。

「ピアノの森」のテレホンカード、探してみたら2種類持っていました。

     ホワイトカード <品名50<110-016>>

     ホワイトカード <品名50<110-016>>

2枚とも『ヤングマガジンアッパーズ』時代のテレホンカードです。

コメント

祝『クッキングパパ』30周年

2015年05月04日 | まんが
前回のブログで紹介した『クッキングパパ ダイジェスト』です。「30年を一冊に」ということで、クッキングパパ荒岩家の歴史がまとめられています。


モーニングKCDX-3799 2015年4月23日 第1刷発行

そして、『モーニング』の最新号でも特集が組まれました。


改めまして、うえやま先生、「クッキングパパ」30周年おめでとうございます。

『COMICモーニング』昭和60年(1985年)6月6日号に、2号連続マグナム読み切りとして「クッキングパパ」が掲載されました。サブタイトルは「COOK1.イタリアン鍋料理は手軽でボリューム満点」。これが現在の「クッキングパパ」の第一話でした。

30年後の今号の掲載は、「COOK.1323今も昔もこれからもイタリアン鍋DX2」です。30年経過して、荒岩も営業主任から営業課長になっています。物語の上では15年程度の時間の経過でしょうか。

「博多-」、「昼休み-」という始まりが懐かしいです。当初はいつもこのような形で物語が始まりました。

イタリアン鍋は大好きなメニューです。以前のブログでも書きましたが、うえやまとち先生の作ったイタリアン鍋を食べたことがあります。


平成16年(2004年)11月20日の土曜日、茨城県稲敷市のショッピングセンター パルナで行われた「料理教室&トークショー」です。

手際よくイタリアン鍋を作りながらのトークショーで、完成したイタリアン鍋を切り分け、会場いっぱいのファンに振る舞っていただきました。

たしか、掲載のレシピとはチーズを変えたという話もされていたと思います。この時からもう10年以上が経つのですね。

「クッキングパパ」、これからも楽しみにしています。ホームページ更新しました。

『うえやまとちまんが館』


コメント

昨日購入したコミックス

2015年04月30日 | まんが
昨日(4月29日)、神栖市のまんが喫茶に行った帰りに本屋さんに寄り、コミックスを3冊購入しました。

諸星大二郎さんの『西遊妖猿伝 西域篇』の第6巻、近所の本屋には置いてありませんでした。アマゾンで購入しようとしたら、送付までにけっこう日にちがかかるようです。このため、神栖市に行ったついでに、探してみようと思っていました。

無事に購入できました。3冊置いてあったので、多めに入荷したのだと思います。なぜ近所の本屋は入荷しないのか、残念ですね。


講談社 モーニングKC-2448 2015年4月23日 第1刷発行

アマゾンで探している時に『あもくん』を見つけました。こちらは書店での入荷はないだろうと考え、アマゾンで購入しました。


角川書店 幽コミックス 2015年3月30日 初版発行

『クッキングパパ ダイジェスト』、神栖の本屋で購入しました。こちらは近所の本屋にもあったのですが、再録なので急ぐことはないと思い買いませんでした。「クッキングパパ30周年記念」なので、やはり欲しくなりました。30年間のメニュー一覧表も掲載されています。


講談社 モーニングKCDX-3799 2015年4月23日 第1刷発行

今市子さんの『岸辺の唄シリーズ』も最新刊が発売されていました。このシリーズは全部購入していますが、すべてコミックスになってからの購入です。発売も知らなかったので、見つけられてうれしいです。


集英社 アイズコミックス 2015年4月29日 第1刷発行

『ネムキ5月号』です。今号は今市子さんの「百鬼夜行抄」が休載です。このため買わないつもりでしたが、やはり買ってしまいました。



どのコミックスもまだ読んでいません。ゴールデンウィークに読むのが楽しみです。


コメント

新児童少女漫画界(新界)

2014年11月12日 | まんが
前回のブログで記した、笹生那実さんの「『若草』物語」全3巻です。発行は「ひつじ座」、奥付には「個人誌」となっています。




『漫画の手帖』に連載された回想記に加筆修正を加えた総集編です。『漫画の手帖』は東京へ行った時に中野ブロードウェイのタコシェで探していましたが、入手できない号も多かったので、総集編の出版はうれしいです。


笹生那実(さそうなみ)さんは、1968年(昭和43年)中学生になった時に、新児童少女漫画界(新界)に参加、同年8月発行の第57号から昭和46年9月発行の第72号までの『若草』を所持しているとのこと。

「激動の時代を駆け抜けた漫画少女の実録エッセイ !!」 ご自身の当時の作品と、『若草』掲載のカットがたくさん載せられています。(ご自身の作品に対するツッコミが面白い!)

「『若草』物語」では第72号が最終巻となっていますが、前回表紙絵を載せたように、第73号が最終号となりました。発行予定通り昭和46年12月に刊行されています。編集後記に草ノ先生の10年余りの努力、とありますから、創刊は昭和30年代中頃でしょうか。

最終号の1号前、第72号です。


『若草』第72号 山田美根子特集号 昭和46年9月20日発行 今号の表紙 はざま邦

第72号は山田美根子特集号。「新界」卒業が決まると特集号が編まれたようです。これで晴れて「プロ入り」となりました。


前回のブログでふれた「残暑お見舞い」です。草のひかる先生以外は「卒業」された漫画家さんでしょうか。


最初に載っているのは杉本啓子さんです。

高階良子先生のデビュー作が掲載された『ゆめ』第2号(No.62)には「新界」の会員募集の記事が掲載されています。

「現在若木で活躍中の会員には 大岡まち子、角田まき子、杉本啓子、板垣佳子、飯塚玲子さんたちがいます。」とありますから、高階先生より前に若木デビューをされています。

杉本啓子さんのデビュー作は昭和39年発行の『こだま』10号(No.67)の「小さな小さな物語」だと思います。(表紙のNo.66は誤りです。)



矢代まさこ先生の作品掲載号ですね。

余談になりますが、昭和39年(1964年)の矢代まさこ先生の創作活動はものすごく、「よう子シリーズ」を描き始めていながら、『こだま』には1月号から12月号まで毎月中編を掲載しています。


『こだま』の奥付のページには他の貸本の宣伝が載っています。これによると『泉』10月号(No.77)の大岡まち子(新人)、『泉 別冊』No.20に角田まき子(新人)とありますから、3氏とも同じ頃のデビューだったのでしょうか。

『泉』10月号(No.77)には大岡満知子「イーストサイド」が掲載されています。これがデビュー作でしょうか。

板垣佳子さん、飯塚玲子さんも含めて、昭和39年が若木デビューの年だったように思います。「新界」の結成が30年代中頃だとすると、少し間が空きすぎているように思えます。若木書房との関係が深まるのは30年代後半ではないでしょうか。

新人育成に時間がかかったともとれますが・・・。創刊当時の『若草』を見てみたいですね。

杉本啓子さんは『COM』昭和43年2月号掲載の「ぼくらはまんが予備軍」で「新界」について語っています。



「私は、いまは会員ではないのですけど、私がはいった五年ほど前の”新児童少女まんが界”は、通信教育のような形でした。原稿を送ると、会長の草ノヒカルさんが、直して送りかえしてくれるんです。会員も、実力に応じて三段階に分かれていました。当時は小学生などもいたのですが、いまはだいたい、高校生になったようです。人数が多かったので、考えかたもまちまちの人がおり、その人たちが独立して新しいグループが生まれていくというようでした。」

「 ”新児童少女まんが界”は、売れるまんが家をそだてる目的でやっていた感じです。指導者がまんが界にくわしかったので、描ける人は、出版社へ紹介してくれるわけです。私もそれで若木書房から、単行本をだしました。」

もう少し後の会員には曽祢まさこさんがいます。曽祢まさこさんも『手錠はおどる デビューの頃』で「新界」の想い出や当時「若草」に載ったイラストを掲載しています。



その他の資料としては『まんだらけ』12号(1996年3月3日発行)に、にのみや静「今だからゴメンナサイですむかもしれない」か掲載され、「新界」の想い出が語られています。


コメント