ヤフーオークションで、たかもちげん先生の作品が掲載された『近代麻雀オリジナル』を入手しました。
平成2年(1990年)5月号です。読切作品「ようこそスパロークラブへ」が掲載されています。
本誌初登場BIGゲスト、と紹介されています。33ページ、うち巻中カラー1ページです。
これまで、『近代麻雀オリジナル』掲載作品については、平成3年(1991年)11月号掲載の「フラッシュアウト」、平成5年(1993年)11月号掲載の「麻雀伯爵」の2作を確認しています。
他にも掲載があるのでは、と考えています。国会図書館の蔵書は欠号も多いようなので、地道に探していきたいです。
このブログでたかもちげん先生の記事を書くのは、テレホンカード関係以外では初めてです。ブログの開始が平成21年(2009年)8月13日で、先生が亡くなられたのは平成12年(2000年)7月5日でした。
亡くなられてからは、新たな作品の発表もないわけで、これまで触れる機会もありませんでした。今回記事カテゴリーに「たかもちげん」を加えました。これからはブログでも紹介していきたいと思います。
あらためて、先生のプロフィールの紹介です。
昭和24年4月15日、新潟県三島郡出雲崎町に生まれる。本名は南波省三。高校3年の時、漫画家を目指そうと決意、卒業と同時に上京して、望月三起也氏のアシスタントとなる。
昭和48年、『別冊土曜漫画コミック』7月6日号に「新撰組異聞」を発表し、デビュー。以後、いろいろな作家のもとでアシスタントを続けながら、本名の南波省三名で『漫画ジャンボ』、『週刊まる秘』、『漫画キック』などにエロ漫画を描いた。
昭和51年から、辰巳出版発行の『ミスターマガジン』に「おれは透明人間」を連載。ページ数5ページの小品ながらペーソスにあふれた作品であり、南波省三が単なるエロ漫画家ではないことを示した。
昭和54年、『少年ワールド』10月号に、たかもちげんの名で「あいつは意地っぱり」を掲載、少年誌に進出した。翌55年、『少年マガジン増刊』(1月25日号)に「輪が跳ぶ」が掲載され、メジャーデビューを果たす。
昭和57年9月、『コミックモーニング』創刊時に行われたコミックオープン「ちばてつや賞一般部門」で、「代打屋トーゴー」が入選、翌昭和58年、『コミックモーニング』の2月24日号(No.5)に掲載された。第2話以降は2ヶ月に1作程度の掲載であったが、同年9月15日号の第5話「炎の石」から新連載となり、大ヒットとなった。
「代打屋トーゴー」はコミックス巻数25巻を数える大作となったが、以降も「祝福王」「百年の祭」などの問題作を次々に発表した。
平成11年から12年にかけて、『ビッグコミック・オリジナル』に「MEDICAL 99」を不定期連載。また、『モーニング』で「警察署長」を連載した。
平成12年7月5日逝去。享年51歳。
平成2年(1990年)5月号です。読切作品「ようこそスパロークラブへ」が掲載されています。
本誌初登場BIGゲスト、と紹介されています。33ページ、うち巻中カラー1ページです。
これまで、『近代麻雀オリジナル』掲載作品については、平成3年(1991年)11月号掲載の「フラッシュアウト」、平成5年(1993年)11月号掲載の「麻雀伯爵」の2作を確認しています。
他にも掲載があるのでは、と考えています。国会図書館の蔵書は欠号も多いようなので、地道に探していきたいです。
このブログでたかもちげん先生の記事を書くのは、テレホンカード関係以外では初めてです。ブログの開始が平成21年(2009年)8月13日で、先生が亡くなられたのは平成12年(2000年)7月5日でした。
亡くなられてからは、新たな作品の発表もないわけで、これまで触れる機会もありませんでした。今回記事カテゴリーに「たかもちげん」を加えました。これからはブログでも紹介していきたいと思います。
あらためて、先生のプロフィールの紹介です。
昭和24年4月15日、新潟県三島郡出雲崎町に生まれる。本名は南波省三。高校3年の時、漫画家を目指そうと決意、卒業と同時に上京して、望月三起也氏のアシスタントとなる。
昭和48年、『別冊土曜漫画コミック』7月6日号に「新撰組異聞」を発表し、デビュー。以後、いろいろな作家のもとでアシスタントを続けながら、本名の南波省三名で『漫画ジャンボ』、『週刊まる秘』、『漫画キック』などにエロ漫画を描いた。
昭和51年から、辰巳出版発行の『ミスターマガジン』に「おれは透明人間」を連載。ページ数5ページの小品ながらペーソスにあふれた作品であり、南波省三が単なるエロ漫画家ではないことを示した。
昭和54年、『少年ワールド』10月号に、たかもちげんの名で「あいつは意地っぱり」を掲載、少年誌に進出した。翌55年、『少年マガジン増刊』(1月25日号)に「輪が跳ぶ」が掲載され、メジャーデビューを果たす。
昭和57年9月、『コミックモーニング』創刊時に行われたコミックオープン「ちばてつや賞一般部門」で、「代打屋トーゴー」が入選、翌昭和58年、『コミックモーニング』の2月24日号(No.5)に掲載された。第2話以降は2ヶ月に1作程度の掲載であったが、同年9月15日号の第5話「炎の石」から新連載となり、大ヒットとなった。
「代打屋トーゴー」はコミックス巻数25巻を数える大作となったが、以降も「祝福王」「百年の祭」などの問題作を次々に発表した。
平成11年から12年にかけて、『ビッグコミック・オリジナル』に「MEDICAL 99」を不定期連載。また、『モーニング』で「警察署長」を連載した。
平成12年7月5日逝去。享年51歳。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます