
この旅の間に、いただいた質問がいくつかあります。今回は少し立ち止まって、紹介してみたいと思います。ただし質問者は匿名とし、いただいた内容は、要点を要約していることをまず御了解ください。
{問}五次元は想像することで見えてくると言いますが、それは霊界と同じものですか。想像と現実が混ざりあってしまうのは正しいのでしょうか。
{答}難しい問題ですね。霊界とはそもそも何なのかを知っている人はいるのでしょうか。私には霊界があるのかないのかわかりませんが、それを見たという人の話や、霊界をまことしやかに解説しているものには距離を置きたいと思っています。
こんな霊がいて、こうしないと祟られるとか、こうしたら力が与えられるとか、そういう話の根底にあるものは、絶対的なものがあるから、それを信じて従いなさいという考え方です。
その導かれる先が、よいものであれ、邪悪なものであれ、どちらも同じように自分の思考を止めなさいと言われていることと同じなのです。
自分の思考を止めて力あるものに従うということに対しては、はっきり、私は否と言いたいのです。
五次元の考え方は、そのための道具だと言えば、一番答えに近いのかもしれません。新しい次元を手に入れることによって、己を知る。そして自らの意志で、真実をつかむことが尊いのだと思うのです。道を求めて経典を読むのもいいでしょう。しかしそれを鵜呑みにして信じるのではなく、己の身体と心でそれを体験する。その時五次元の概念が助けになるというわけです。
想像と現実の問題ですが、
想像と現実が混ざり合っていると考えるより、私たちの思う現実そのものが、私たち自身の想像の産物だと言えば、驚かれるでしょうか。あとで詳しくお話しする機会もあると思いますが、私たちが目覚めて眠るまでに見ている現実は、100%私たち自身の認識であることはわかりますよね。認識しないものは存在しないと言っているのではありません。ただ私たちが感じ、見ているこの世界の様子は、すべて自分の認識の結果なのです。
つまり、五次元というのは認識の方法論であり、質問の言葉を借りれば、想像の世界なのです。現実が混ざりあっているのではなく、現実と想像の区別をあいまいにしたまま、私たちは日常生活を送っているのです。
現実と思い込んで私たちは様々な苦悩を抱え込んでしまいます。しかし実はその9割は想像の産物なのです。それを逆に言えば、苦悩は、現実ではなく想像から生まれていると知れば消えるということです。
残りの1割は確かに現実です。つまりそれは苦痛ですね。それは避ける事の出来ない現実です。私たちはその現実に対して、恐れず、正しく受け入れなくてはならないのです。
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