私たちが認識できるもっとも大きな世界。それが五次元宇宙(のしてんてん系宇宙)だと何度か説明しました。それを、少し堅苦しいかもしれませんが、論理的に観ておきたいと思います。
世界の大きさを知るためには、それをはかる尺度(道具)が必要ですね。というのも、大きさというのは相対的なものだからです。比較するものがなかったら大きさはわかりませんよね。
その尺度(道具)はどこにあるのでしょうか。
定規、分銅、時計・・・・世の中には、知りたいものを測る計測器は用途に合わせて無数にありますね。そしてそれらは様々に違った働きをしますが、ひとつだけ共通の要素があって、しかもそれがなければすべての計測器は役に立たなくなるものがあります。その要素とな何でしょうか。
分かりますよね、それは単位です。「1はこの大きさ」という取り決めがなければ計測器は何の役にもたたないのです。持っている物差しの1㎝が人によって長さが違ったら、自分の物差しで測った値を伝えても、相手はとんでもない長さを考えてしまうかもしれませんね。
ではもっとも大きなもの、私たちの人生をまるごと受け入れているすべてのもの。生きている世界そのものを測る単位とは何なのでしょう。今、あなたが感じているその世界のことです。
実際の自分の体は、地上にへばりついていて、お金がなければ海外旅行もいけないし、宇宙などとんでもない話ですね。しかしこの地べたにへばりついた人間は、けっしてその場所だけがすべてだと思い込んで生きてはいませんよね。人間は地べたにへばりついていても、壮大な世界を思い描いて、その中で生きていける動物なのです。
自分の棲む世界を思い描く尺度(道具)のことは何度も言いましたが、それが次元ですね。地べたにへばりついたままで、道具を持たない0次元の生き物が、3次元を知り、時間を手に入れ、そして私の提唱する5次元へと向かう。手にする道具が増えていけば、世界が倍々に広がっていくというイメージを持って頂けるでしょうか。
この、頭の中に広がる世界、宇宙というものは、人間特有のもので、極度に発達した頭脳の思い描く世界と言えるかもしれません。
これらの次元。5つの尺度(道具)の単位のことを伝えたくて、随分回り道をしましたが、ここからが本題です。
つまり、次元という尺度で世界を観る時に使う単位とは、「私」自身なのです。「私」が原点であり、常に「私」が、「私」の思い描く宇宙の中心となっているのです。これは私たち人間が背負った宿命であり、これを回避することはできません。最も重要な真実だと私は思っています。
ここで使う「私」という言葉は、すべての人が、「私」と言うときに意識する、自分のことを指しています。他人事ではなく自分自身。まさに、世界を認識する認識主体は自分であり、その自分自身を単位として、人は世界を観ているのです。
そのことを前提にして次の図をみてください。
図のN軸が、スケールの軸だということはすでに言いましたね。このN軸を特に「のしてんてん系」と名付けたのには理由があって、それを先に説明します。
時空を測る4つの次元は、どれも認識主体である「私」が現実の大きさであることを前提にして見えてくる世界でした。この世界では、実際に触れることの出来るものが私たちの認識対象となる世界で、これを「物の系」と呼ぶとすると、
N軸であるスケールによって見え方を変える世界は、「心の系」ということになります。N軸は、認識主体(自分)の大きさを自由に変えることが出来ると思うことで見える世界は、実際に触ることのできない心の世界ということです。
自分自身の心を「のしてんてん」と名付けていましたので、この心の系を、のしてんてん系と言うようになったのです。
そうすると、世界は次の図のように表現できます。このマルで囲った世界が私たちの認識できる最大の世界ということになりますね。
それぞれの次元が内側から世界を押し広げて、風船を膨らませているように見えますが、その境界線は、道具の限界点、無限の現れる地点です。
この無限の内側こそ、私たちの最大の認識世界なのです。
のしてんてん系宇宙と私が呼ぶ世界は、この認識世界を表しています。
そして、これが話の終わりではありません。ここからやっと、心の大宇宙、のしてんてん系宇宙の旅が始まるのです。
人とは何か。何ゆえに人は自らの心の中に、大宇宙をつくりあげるのでしょうか。
心の旅に同行していただいている皆さんに心より感謝いたします。
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