
世界を思い描くものさしのような概念。これを私は次元と呼んでいます。それが一般常識に沿っているのか違うのかはわかりませんが、私の考えの出発点はここにあります。
わたしたちは空間を3つの次元で認識しています。3次元空間は私たちが生きているまさにこの空間です。この中に私たちは存在している、実在の世界と言うことが出来ますね。
それに対して、時間とスケールの次元は、ちょっと異質です。それは直接ものとかかわりを持たない次元なのです。時間もスケールも、物をつくりだす材料にはなりませんね。
この二つの次元は、いわば心の次元と言うべきかもしれません。
時間とスケールは、二つの直角に交わる座標で表すことが出来ます。その原点は、時間軸でいえば今この瞬間の地点ですね。それをスケール軸でいえば、この身体の大きさをありのままに受け入れる地点と言うことです。
そうすると面白いことがわかります。
思考が時間に沿って動いているとき、スケールの概念は停止しますし、逆にスケールの概念で思考を始めると、時間は動きません。
これはどういうことでしょうか。
認識する世界の大きさは、概念の(次元)の数によります。物質の世界は3次元でほとんど最大の空間を認識することが出来ます。
人はさらに時間の次元を手に入れました。時間の概念は人間にさらに大きな世界を与えてくれたのです。時間は、明日のために生きることを教えてくれました。過去の過ちを教訓にする知識も身に着けたのです。たくさんの仲間の存在も認識できるようになったのです。
しかし一方で、心は時間軸の中で翻弄されるようにもなったのです。
老病生死。そして様々な苦悩は時間軸が生み出した心の闇であったわけですね。
3次元の中で生きるものの、実在の中にいる充実感を4次元の人間は見失ったのです。それを救おうといくつかの宗教が生まれ、哲学や芸術が盛んになりました。苦悩からの救いを求めて々な試みが繰り返されてきましたが、それらの中で共感できるものの中にはある一つの共通点があるように私には思えるのです。
それが5番目の次元であるスケールの概念です。
スケールの概念で世界をみつめると、時間は今この時点から動きません。その瞬間、人は4次元の闇から解放されます。宗教の教える瞑想であり、哲学における真実、あるいは芸術の達人の世界と重なります。それが5次元による思考世界なのです。
5次元思考は、4次元を超えて、3次元の実在に返ります。その充足感を得ますが、それはもはや無明の充足感ではなく、認識された充足感、すなわち至福を得ることになるのです。
この至福は、4次元思考を経た人間の心の到達点であり、4次元を経験したものでなければ得られない世界と言えるかもしれません。
つまり5次元は、これから始まる人間の世紀を支える概念だと思っています。
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