次元という言葉が難しいと聞きました。確かに、普段はあまり使わない、なにか難しい学術用語のように聞こえます。そんな言葉を聞いた途端、身をただすか逃げるしかない。
ですがどうか安心してください。私の使う次元という言葉は、私たちが普通に感じる事を言っているにすぎません。私自身学者とは縁遠い芸術家ですので、理科、数学は高校どまりです。
その芸術家が一番わからんと言われれば、立つ瀬はありませんが・・・
とにかく次元ということを、もう少しわかるように試みてみましょう。
私が使う次元という言葉は、世界の大きさを知る道具、あるいは方法のことで、その道具を持っている数によって4次元とか3次元とか言い表しているのです。
そして、言うまでもなく、一番大きな世界を知る者は、一番多く道具を持っている人だということです。これはわかりますよね。
最初に0次元がありました。それは点の世界です。世界を知る道具を何も持たない者は、自分しか解りません。自分の周りに世界が広がっているなんて思ってもみないのです。あえて言えばそれは胎児と言えるかもしれません。
つぎにひとつ道具を手に入れます。1次元ですね。点が動くという知識を手に入れたのです。0次元の人間に比べると、世界は無限大に広がりました。自分は限りなく動いて行けるという世界観を持ったのです。例えればそれは這い這いし始めた乳児の世界観なのです。
また一つ道具を手に入れます。2次元は面の世界です。まっすぐに動くと思っていた者が、実は横にも動けることを知るのです。横に進んでも無限の広がりがあるという知識は、1次元の者からすれば革命的な大発見ですね、認識する世界は大きく広がり、見晴らしのいい世界に心を魅了されることでしょう。例えれば、よちよち歩きを覚えた幼児でしょう。どこでも好きなところに歩いて行ける。世界はなんてこんなにたくさんのものがある。新しい出会いに心ときめかす幼児の世界観ですね。
人はやがて3番目の道具を手に入れます。3次元の世界は立体の世界。3つ目の次元は驚異的です。世界は上にも下にも広がっているという知識は、心の中に描く世界を宇宙そのものの大きさにまで拡大させることが出来たのです。飛ぶ鳥や蝶、海のそこにはたくさんの魚が泳いでいる。そして月や太陽、雲や雨。3つの道具を手に入れることで、子供は気付きます。世界はこんなに大きく豊かなんだと。初めて美に気付くかもしれません。
そして人間は独自により大きな道具を手に入れます。それが4番目次元、時間の概念です。これは実際に物としてあるわけではありませんが、頭の中でつくりだした人間独自の道具と言えます。人は時間の概念を手に入れることで、動物から人間に進化したと言っても過言ではないでしょう。3次元とは比較にならない大きな世界を私たちは認識できるようになったのです。私たちは今、この4次元(4つの道具)でつくりだした社会に住んでいます。眼を見張る社会の発展を私たちは知らないうちに受け止め身に着けているのですね。しかし反面様々な苦悩が生まれました。4次元思考の闇の部分をみないわけにはいかなかったのです。
その苦しみを癒せないのか。癒せるのです。もう一つの道具を手に入れることが出来れば。
5番目の道具。それがスケールの概念です。それは今の自分の体が無限に大きくなったり小さくなったり出来ると、空想するだけでいいのです。ガリバーを想像できる人はそれで充分スケールの概念を手に入れる能力を持っています。
素粒子になった自分が観る世界や、銀河の大きさになった自分が観る世界。その空想が私たちに、とんでもない大きな世界を認識させてくれるのです。より大きな世界を認識することで人間は確実にレベルをあげた次元の違う世界観を持つようになりました。
この歴史をみれば、5次元を手に入れた人間は、時間の概念から自由になります。それは時間が無くなるという意味ではありません。時間の概念を自由に操ることが出来る人間を生み出すことが出来るという意味です。老病生死の苦から解放され、人は今この時に生きても大丈夫だと知るのです。何より、その道は神の道に通じるのです。人類が神に出遭う概念なのです。
私の言う5次元は、人間が成長していく過程で手に入れる心の道具のことなのです。
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