久しぶりに図書館に行ってきました。
梅が見ごろの満開です。何年も通っていますが、こんな見事な花は始めてのような気がして、写真に収めました。
しばらくアトリエから出ていませんので、今年、初めて感じる春です。
1週間ほど名古屋でホテル住まいになりますので、灯台元暮らしと言いますか、絵から離れる生活を強いられます。
そこで、その時間をどう使うか。
ひとつは予約の本があるのですが、宮沢賢治の詩集をじっくり読んでみようと思いまして、図書館に足が向いた訳です。
あいにく見つけた詩集は、超若者向けで、文字が小さく、メガネをかけても判読しづらい漢字があるので、あれこれ探しましたが、結局見つかりません。
司書の方に尋ねたら、何冊か探し出していただきましたが、目当ての詩集が掲載されていませんでしたので、あきらめて、小さい文字を借りてまいりました。
それにもう一冊、
科学雑誌Newton(ニュートン)。
最新号は貸してもらえませんが、バックナンバーはOKですので、物色して超ひも理論の特集号を発見。これもゲット。
ニュートンは、素人に分かりやすく、図画を中心にして科学を解説してくれますので、私の大好物。
借りた特集号はとてもおいしそうで、名古屋の空き時間用に借りたのに、ついつまみ食い。さっそく五次元との接点を見つけて、あと仕事にならず。
そんな一日となりました。
科学が最先端で行き詰っている。
まさにその先端に、五次元との接点がある。
数日前に書いた、あのゼノンのパラドックスです。
結局科学はそのパラドックスを越えられないのでしょうか。
「素粒子より小さな存在を記述できないのは、スケールの概念がないからだ。!!」
と、一人突っ込みながら、読み進んでいますと、確かに超ひも理論は面白いと思いました。
それは、ひも(波)を想定することで、見る対象を「物」から「空間」に切り替えているのです。
波は空間に属する形ですから、これならスケールの問題をクリアできる。
面白いのは、素粒子にはいろいろな種類があるというのですが、その種類というのは、ひもに象徴される波の違いが、素粒子の種類をつくっているというのです。
つまり、存在するのは一つのひもだけであって、そのひもの振動の種類が、様々な素粒子に見える。
見事な解釈です。
これで、物とは、実は空間だという理解に直結するわけです。
さらに、「時間ゼロ」ということばが頭の中に生まれました。
科学の数式は、時間ゼロに入っていけない。ということです。
時間ゼロに入ったら、数式は突然無限大に襲われて機能しなくなる。
ゼノンのパラドックスに近づけない。
当然のことです。
数式は実在を表現しようとする人間の努力の最先端。
時間ゼロは実在そのもの。
実在=表現とは決してなり得ない。
実在は表現しえないものだということを、まさに科学が証明しているということです。
時間ゼロとは、スケール軸に沿って、私たちが体感できる五次元の世界なのです。
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はるひ美術館による北籔和展(ナウイズムの夢)開催します
2017/2/8~2/26
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ナウイズム宣言(改定)
明日リンクをします
そして「数式は実在を表現しようとする人間の努力の最先端。時間ゼロは実在そのもの。」
…考えさせられる命題です。この言葉自体に概念の重みを感じます。確かに数学は”自然の法則の表現”な気がします。
その上で思った事が”真鹿子さんの詩の言葉 「1次元は2次元、2次元は3次元…」”
現実は無限次元、故に1つ次元を加えれば本当に大きな新しい世界が見える…ひとつ前の次元とは比べられない数になる…のかもしれません。
こういったちょっとした命題との対話はいい刺激になります。ありがとうございます! よい旅になることを願って。
お気をつけて。
ナウイズム旗揚げ展の成功をお祈り致します。
なかなかのものと、自じやれ自賛。
よんでみて^ね^
リンクありがとうご^ざ^い^ま^す^
星の浮かんでいる黒い背景に引き込まれるような感じが神秘的で魅せられたのかもしれません。
当時はスモッグも街灯もない田舎暮らし。
空には正真正銘の闇がありましたし、天の川が本当に川のように見えていました。
そんな体験が、今も続いているんですね。
科学と言っても、その延長で、興味をひいているだけですけど、闇に分け入っていきたいという思いはますます強くなっています^ね^。
次元は人間の都合で生まれたもの。
都合によって、五次元が六次元になることもあるでしょうけれど、その話が正しいかどうかは、無次元に向かって開いているかどうかなのでしょう。
まかこさんの詩は、そう教えてくれているんじゃないかと、私などは思います^ね^
しばらく留守にしますけど、喫茶室はあけていますので、いつでも、セルフサービスでお寛ぎください^ま^せ^。
なにしろ、夜の環境は、パソコンなし、テレビ、ラジオなし。
時代が一気に50年さかのぼります。無意識に過ごしている今が、50年前から失ったものを見せてくれる。それが楽しみですね。
じっくり読ませてもらいます^よ^
時々喫茶室頼んどきますね。
おはようございます!
いよいよです^ね^
もう胸がドキドキ
なんだか落ち着きません。
のしてんてんの方が
落ち着いてらっしやいますね♪
なしにろ私はアワテモノでオッチョコチョイで、
焦らず、急がず、急がば回れを胆に銘じているのですが、
困りものであることには変わりありません (汗)
宮沢賢治先生の「春と修羅 序」につきましては、
大変失礼いたしました。
こちらの「宮沢賢治『春と修羅』青空文庫」を
検索していただきますと、
「春と修羅 序」からお読み頂けますので、
保存をなさって、心ゆくまでご観照くださいませ。
小岩井農場も、パート1からパート9までありますが、
パート5とパート6は、
パート5とパート6という記載のみで、
詩は、肉眼では見当たりません。
おそらく顕微鏡でも天体望遠鏡でも見えないとおもいます。
心象風景ですから、以心伝心、心で観る、
心で読む(呼ぶ)ということでしょうか、
またパート7からはいきなりパート9となり、
パート8は、パート8という記載もなく、
無限の未知領域となっていますが、
宮沢賢治小岩井農場宇宙も
賢治さんとともに歩み体感なさってくださいね☆
のしてんてんさんとの不思議な連鎖ですが、
こちらこそ貴重な開眼を体験させていただいております。
舌カスタネットでの
読み込み(呼び込み)朗読の不可思議体感にも驚きですよね@_@♪
感謝感激^す^!
ナウイズム旗揚げ展のご盛況お祈り申し上げます☆♪
まかこ 拝
さっそく何篇かプリントしました。
今の感性と、どこまでつながるか
そんなことを思いまして、興味が出てきたのですけれど、
宮沢賢治と共に過ごせることを楽しみにしています。
いつも、ありがとうございます。