ペンキのはげ落ちた板壁の向こうは、死んだように空気が淀んでいた。歩くと古びた板張りの廊下が大きな音をたてて四方に響き渡った。
その廊下は狭く、直線に通っていた。廊下に添って教室が並び、その教室の入り口は釘や南京錠で止められて、中に入ることができなかった。
それでも、戸の開くところがあって、覗けばそこは意外にも小さな、小学生が使うような教室だと思われた。埃にまみれて机や椅子が雑然と転がり、長い年月ここが使われていないことを示していた。
それにしてもこの建物は全体に小さな感じがして、それは年月とともに縮んで来たような錯覚を覚える。それは現実から出発していつしかメルヘンの世界に移行していく過渡期のような雰囲気を持っていた。
この中で伊藤整たちは勉学し、詩を作り、恋しさを甘酸っぱく醸造したのだ。そして後年の伊藤整を支え続けて来たのだろう。そう思ってみれば歴史が重く圧して厳粛な気分に襲われてくる。
中には誰もいず、動くものは何一つなかった。それでも歩いているうちに、この建物はどうやら学生たちの部活動に使われているらしいことがわかってきた。
開放された教室にはいかにも学生運動を思わせるプラカードや看板が散乱している。部室に転用された教室には各部の名前が思い思いの方法で示されていた。かつての威風ある校舎は、今や学生たちに凌駕されているのだろうか。
しかしそれでいて何かしらこの積塵の静まりの中には、私の心にしみ透る何かがあった。そしてそれが本当だとすれば、それはおそらく、伊藤整が描いて見せた詩的な、そして真摯な心の所為であったろう。
私自身がよそ者の闖入者であるということを忘れ、ここが小樽商科大学の管理する建物であるということも介せず、ただ伊藤整の世界にその心を彷徨わせているのだった。
HPのしてんてん
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