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般若心経を読み解く?(五次元的解釈)11 量子力学との合流3

2020-08-15 | 般若心経を読み解く(五次元)

般若心経の最もドラマティックな部分

それは量子力学との邂逅を予感させる

 

 

私が般若心経に魅せられたのは、真善美の押しつけを感じないからです。

それは自分で感じ取りなさいと言われているように思えるのです。自分の中で感じ取り、経験したものだけがあなたにとっての真実だという訳ですね。

真善美は誰からもどんな権威からも与えられるものではありません。与えたくとも決して与えられないものです。それは食べることと同じです。たとえ美食を部屋いっぱいに与えられても、食べなければ分からないし、食べることは誰にも代わってもらえない。あなたの口で食べるしかないのです。

この般若心経のスタンスは明確です。

その証拠に般若心経は、私達が自ら菩薩となり仏となる道を示しているだけで、ああしなさいこうしなさいというお節介は一行もありません。

お釈迦様の教えである、苦集滅道(四諦と呼ばれる悟りを得るための教え)でさえ無だと言い切ります。この無苦集滅道という一節は私が最も信頼に値すると思っている声明なのです。そこから徹底した探究者の姿勢が見えて来るのです。

ただひたすらに心の中の事実を描こうとしている。それは科学と同じです。実はここが量子力学との重大な接点になるのです。

 

般若心経は、徹底して心の真実に迫ろうとした、いわば心の科学なのです。

その結果、心が真実(涅槃)に向かう道は、心にこだわりを持たないことだ。という答えに行き着く訳ですね。(心無罣礙)

こだわりを持つと、心に恐怖が生まれ、顚倒した夢想が生まれる。つまり苦を生み出している原因は心のこだわりだというのです。

これは心を探求した結果得られる事実であり体験です。自らの体験が無ければ書けなかったことだと思います。

 

するとどうですか、この心の体験は、量子力学の直面した自然の振る舞いと全く同じだと気付きませんか。

 

ミクロの世界にある光の振る舞いを観測しようとすると、その観測の行為自体が光の自然な振る舞いを壊してしまうのでした。結果、自然の姿をありのままにみることが出来ない。それが量子力学の到達した自然の姿でしたね。

観測というのは、研究のために行う人間の勝手な思惑です。つまり研究それ自体が私達の心の働きだということを改めて意識しなければなりません。

科学とは、誰もが世界に対する共通の理解を持つためのシステムです。そのためには心を排除しなければならない。人それぞれに違う働きをする心は理論を曖昧にしてしまうのです。そこで科学は心を考えに入れないで宇宙を論証する、合理的な論理が必要でした。数学がその中心にあるのは当然のことですよね。

このように合理的に自然のままの事実だけを取り出して世界を知ろうとしてきた科学が究極に行き着いた地点、それが光の粒子一個を主人公にして見るミクロの世界でした。

このミクロの世界に現れる自然の振る舞いを観測すると、人間の意志(心)が自然の振る舞いを変えているという信じがたい事実に行き着いたのです。(その内容は前回記事をご覧ください)

 

それは驚くべきことでした。

科学が導き出したこの結果は、般若心経の教えと全く同じだったのです。

自然は心が変化させている。それは必然的に起こる自然界の事実だったのです。これは「般若心経」にすでに書かれていたことです。

科学の視点で言えば、般若心経とは2000年以上も前に提唱されていた理論上の仮説だったのです。その仮説(教え)の正しさを、ようやく科学が観測によって証明したという訳です。心もまた物質と共に語ることが出来るということでしょう。

つまりこの自然界に心は大きくかかわっているということなのです。

私達が見ているすべての風景は、心が関係していると言ってもいいのかもしれません。

私たちが見ている世界は、私達自身が認識できる世界だけであることを、あらためて心に留めておく必要があるでしょう。

 

それはさておき、「心」というのは、私達個々人の身体の内側に起こる思考や感情、感覚、感性の総称です。もちろん肉感も含まれます。

その心が生み出す苦悩。

般若心経は、この苦悩から救われるための究極の悟りとして、私達にある真実を教えてくれるのです。まずその一節を紹介しましょう。

 

全ては空であることを知った菩薩が、般若波羅蜜多(彼岸に至ろうとする智慧)の力で修行を続け、更に深い悟りに達する。その達観の内容を描いたものが次の言葉です。

 

心無罣礙 (心に拘りが無い)

無罣礙故 (拘りがなければ)

無有恐怖 (恐怖はない)

遠離一切顛倒夢想 (顚倒した想いから解放される)

この悟りを得た菩薩は、般若波羅蜜多の力で更に次の最終段階に入っていく。ダイナミックな心の成長が描かれているのです。

 

ところで、この経文を量子力学の真理から読み解くとこんなふうになります。

「心無罣礙」の「罣礙」とはこだわりという意味です。心の中に「こうありたい」という思いを持つことですね。

するとこれは心を観測することと同じです。今の自分は成功しているのか、みじめなのか、人は日々の生活の中で、どうしてもそんな自己観察をしてしまいます。目覚めて眠るまでの間に体験している思いの中で、何かに熱中している間の充実感を除くと、残りの時間は自分を客観的に感じていると思います。まさにその時、私達は自分を観測しているのです。般若心経は、それが罣礙(こだわり)であり、こだわって自分をみること自体が心を歪め想いを転倒させ、恐怖を作りだしている。というのです。

自分を知ろうとする思い。その思いそのものが苦を作りだしている。これは量子力学の観測問題と全く同じなのです。

こだわりが無ければ、恐怖もなく、心は本来の流れを取り戻す。

この気付きに達しなければ、探求者菩薩といえども、涅槃を得ることはない。そう般若心経は言っているのです。

考えてみれば私たちが自分を感じている心は、ミクロの世界なのです。思考は量子力学で言えば、原子レベルで観た頭脳の世界であり、そこにあるのは素粒子の存在と波動の振る舞いなのですね。思考感覚、あるいは体内に起こる喜怒哀楽の感覚。一切の体験的な想いはすべてミクロの世界で起こっている波動なのです。

 

こだわりは、欲から発する意志。光の研究もまたこだわりなのです。こだわるゆえに研究心が起こり、知ろうとして観測する行為が自然を変えている。

これと全く同じ原理で、個々人の中にある欲が自然のままの心を変化させているのです。喜びに変るのは嬉しいことですが、なにより苦悩からの救いは人間の積年の願いでした。

真っ直ぐな心を観測したら、そのことで心は曲がってしまうのです。

だから「心無罣礙」と教えます。

心にこだわりを持つというのは、心を観測することです。自分好みの色を見出そうとする。するとその思いそのものが心を曲げてしまうのです。苦悩はそうやって生み出されている。

自分はダメだと考えたら、その考えが心に働いて自分をダメにしている。

自分を全て良しと考えたら、その考えが心を活発に変化させる。なぜなら自分のすべてを良しとするのは、自分にこだわらない生き方を実現するからです。その向こうに涅槃があると般若心経は語っているのです。

「無罣礙」とは己の存在を、素粒子一個の振る舞いまで残らず良しとする意識を持つこと。その時意識は完全に宇宙と同化しているかも知れないが、あなたが行って体験するしかない。

この良しという意識は、たとえお釈迦さまであっても与えられるものではない。自ら持つしかないのです。

自分をよくする智識はいくらでも集められる。その知識に身をうずめていても、それをあなた自身の口で食べなければ「心無罣礙」を体験することはできない。それを食べるのはあなたにしかできないことなのだ。そう般若心経は語っているのですね。

食べるその智慧こそ、「般若波羅蜜多」だというのです。

この般若心経と量子力学の合流が、真理追求の極みで起こっている。これは双極の探求が極まり出逢うことによって生まれた新たな気付きなのです。

 

 

 

 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想  

 

 

(以下参考記事)

 

(現在連載中 量子力学を考える)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)10 量子力学との合流2

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)9 量子力学との合流1

(般若心経をどう理解するか)

般若心経を読み解く?(五次元的解釈)1

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般若心経を読み解く?   (五次元的解釈)8 追補

(以下は数回分をまとめた長文です)

凡人の語る宇宙論(アインシュタイン讃歌E=mc2)1

凡人の語る宇宙論( アインシュタイン讃歌E=mc2)2

 

 


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2 コメント

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Unknown (桂蓮)
2020-08-20 13:50:56
基本的には私も類似した考えをしていました。
ですが、それを証明する手段が個人の感想、意見に限るようになるから、文にはまだまとめていないです。

いつか、科学的な方法で相関性を明かす日が来れたらいいですね。

しかし、データーに基づいていない論拠だとしても、のしてんてんさんの根拠は説得力がありますね。
また、私と似たような見方を持っている人がいると知っただけでも嬉しいです。







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桂蓮様 (のしてんてん)
2020-08-20 18:01:41
私も桂蓮様のお考えをそのように感じています。

桂蓮様に説得力があると言われると、私の考えがいくらかでも伝わるんだという安心感が持てました。

ありがとうございます。

私の論拠は私の心だけです。たとえ他に権威あるデーターがあっても、私の心に響かなければ使いません。

誰それがこう言っているという理由を無批判に使うと心が濁るような気がするのですね。

まっさらな雪渓の上を歩いて足跡を付けたい性分ですね。たとえネズミのような足跡でもいいと、決心してもう長いですね。

出来たら桂蓮様、証明は個人の感想・意見でしかできないと、気楽に考えて挑戦するのもありかなと思います。

いろいろと意見交換など、またよろしくお願いいたしま^す^
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