空間の中に何かを認識できるということは、ものが一つのかたまりとして存在すからですね。
人間が、地球は丸く、宇宙に浮かんでいると認識できるようになったのはつい数世紀前でした。それまで、私たちの立っている地面の裏側にも人が頭を下に向けて立っているなど、誰が理解できたでしょう。今の私たちは、それを理解できるほどには、大きなスケールでものを観る能力を身に着けたのです。
そのスケールの世界を意識しながら、空間についてもう少し考えてみましょう。
空間の中に物質があるというのは、ひとつにまとまろうとする力(引力)がまわりの空間よりも強いからです。
物の本質は、空間の中の、この力のかたまりなのです。内側の力が外よりも強いために、内側の空間は物質に見え、外側は空間に見えるのです。
小さな一つのかたまりは、隣のかたまりと引きあって、また一つの大きな塊をつくります。その大きな塊から見れば、小さな塊の外側である空間は、大きな塊をつくるための引力となって、それは物質に取り込まれます。
こうして次々と空間の中に大きなかたまりが現れ、私たちはそのスケールに応じて、物質と空間を認識しているのです。
スケールの軸は極小から極大まで無限に続くスケールの世界ですから、タイムマシンならぬスケール号に乗ってその世界を旅すれば、自分の中にある空間と物質の世界を無限に掘り進めて見ることが出来るわけです。
ところで現実は、今物の最小単位を素粒子と名付けて理解しています。科学の思索が届く最先端であって、そこから先は分かりません。
しかしこう考えることが出来ます。
私たちのスケールが素粒子の大きさになったら、その素粒子はどんな見え方をしているのかと。
もし最終単位であるなら、それよ小さなものがないということですから、当然素粒子の中は空間のない物だけの世界と言うことになりますね。
しかしそれは考えられません。もし素粒子の中が物だけだとしたら、この世界をつくっている空間と物の力の秩序が崩れてしまうのです。もし物だけの世界があるとしたら、それは空間がゼロの世界でしかありません、空間ゼロの世界とはエネルギーが無限大になる世界のことです。もしそんな世界があれば、一粒でも物だけでできている素粒子があるとすれば、世界はその素粒子に引きつけられて、宇宙のすべてのものが一つの身動きのつかないかたまりになってしまうでしょう。この世界は消えるのです。
つまり、私たちが考えているものの最終単位、素粒子もまた、その内部に空間を持っていなければなりません。
こうして物の最終単位は、スケールの軸を永遠に遡り、無限に先送りされていきます。過去と未来の先を想定できないように、私たちの能力ではスケールの軸のその先を想定することはできません。これが私たちの認識の最先端であり限界なのです。特異点と言う言葉がふさわしいのかもしれません。
ともあれ、私たちはスケールの系を概念として、空間の姿をはっきり認識することが出来るのです。これが5次元による人間の新たな世界観となるわけです。
空間を知ること。それは自分を知ることでもあるのです。
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