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空間をイメージします。何もない空間だけを私たちは認識することが出来るでしょうか。空間に向かって意識を向けるということは、禅宗の瞑想のようです。
紙風船。
はじめてそこに認識が生まれます。紙風船を介して、わたしたちは空間を認識することが出来るのです。空間の中に1なるものが生まれる。それが認識のスタートです。
無の空間から1なるものが生まれる。それはどいう仕組みなのでしょうか。そう考えると、ひとつのドラマが見えてきます。
無の空間、それはエネルギーが完全に均質に広がったものと想像できます。
そこに1なるものが生まれるというのは、均質なエネルギーが沸騰する水のように、動き始めたと考えられます。
均質だった空間が粗密のある空間に変わると、粗と密の境界が物質を出現させます。密なるエネルギーのかたまりは粗の空間に浮かぶように1なる存在をつくるのです。
1なる存在が物質としてこの世に生まれたドラマを私はこのように見ます。
地球も、その上にいる人間も、皆1なる存在として私たちは認識します。しかしその私たちが原子のスケールになって世界を見渡したら、私たちの認識出来る1なる存在は素粒子だけかもしれません。地球や、人間の体はただ見上げる宇宙空間にしか見えませんね。
私たちの認識は、自分のスケールを基準にした空間に浮かぶ1なる存在にしか及ばないのです。
その認識を超えて、空間は広がっています。そして強いエネルギーを蓄えたかたまりが物質に見えるのだと思います。
重要なことは、下図のように、空間はスケールの軸にそって1なる存在をつくり続けているということでしょう。
1なるエネルギーのかたまりは、それぞれのスケールの場で、原子に見えたり組織に見えたり、地球に見えたりしますが、どの場にあっても、粗の空間に密の物質が浮かんでいます。
言い換えれば、物質はその中に高エネルギーの空間を取り込んでいるということです。
つまり私たちの存在は、宇宙空間を取り込んで膨れた紙風船なのです。
「私」の体の組成は、互いに強く引きあい、まわりの空間より強くつながっているために、この世に1なる存在としてあるのだと思います。
私はこの空間をエネルギーそのものと考え、そしてこれを意識と呼びます。空間は意識そのものだと考えると、心の構造がよく見えてくるのです。
私たちの心は、この宇宙空間、つまり宇宙の意識を紙風船のように取り込み、そこに1なる存在をつくります。私たちにはそれが自己意識と見えるのです。
そしてこの自己意識が心の始まりだと考えることが出来るのです。
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