「パルガ、私には怒りを抑えることは出来ない。何か方法はないのか。」
「まずはこのふだを渡しておきましょう。」ジルが初めて口を切った。そしてバックルパーに黄色いふだを渡した。
「しかしバックルパーよ、そのふだだけではユングと同じ目に遭うだろう。」
「そう言われても、俺には何も出来ない。」
「愛するのだ。」
「えっ」バックルパーは耳を疑った。
「悪魔から逃れる唯一つの方法は、愛することしかない。」
「悪魔を愛せよというのか。」
「そうだ。悪魔もまたこの身の一つなのだ。憎んではならぬ。」
「しかしそれでは、悪魔のなすがままになるではないですか。」
「それは逆じゃ、憎めば憎むだけ悪魔の思うままになるのじゃ。」パルガが言った。
「バックルパー、我らは悪魔を滅ぼす為に戦うのではない。二つに分断された世界を一つにする戦いなのだ。二つを一つにする力は愛しかないのだよ。分かるか。」
「分かります。」エグマがダルカンを見て言った。
「悪魔を愛するだと。」
バックルパーはその考え方に衝撃を受けた。しかしその言葉に抗する事は出来なかった。そこには言葉にならない真実の響きがあったのだ。ヅウワンの歌にはそんな力があったのかもしれない。はたして自分にそのような事が出来るのか。
「そうじゃ、バックルパー、そのように、ヅウワンの歌を心に浮かべるがよい。それがお前を救う最も良い方法じゃ。」パルガがバックルパーの心を読んで言った。
「分かりました。」バックルパーは素直にうなずいた。
「ところでエミーが王城に呼び出されたのです。」カルパコが言った。
「分かっておる。」パルマが言った。
「どうすればいいの、パルマ。」
「よい機会だ。行くがよい。」
「しかし危険ではありませんか。」カルパコが反対した。
「危険はどこにいても同じだ。」
「城はエミーに何をさせようとしているのだ。」バックルパーが訊いた。
「調べた所、王はかなり弱っているようじゃ。王が生けにえになる日が近づいているのやも知れぬ。王にエミーの歌を聞かせたいという王子の思いは純粋と見た。王子の側にいる限りエミーは安全じゃ。」
「しかし、」カルパコは納得しなかった。
「カルパコはそれが一番心配なのよね。」エグマがからかうように言った。
「それって?」とぼけたダルカンの声が続いた。
「だから、エミーが王子の側にいるってこと。素敵だったものね。そういえば今の王様も庶民からお后様を迎えたのでしょう。」エグマが続けた。
「ばかなこというな。」カルパコは真っ赤になった。
「おいエグマ、お前、王子のこと、そんなふうに見ていたのか。」ダルカンが言った。
「あっ、いえ、そんなつもりじゃないよ、その、」エグマがたじろいだ。
「本当か、この浮気者。」
「違うってばー、本当にそんなこと思わないよ。」エグマは何とか言い逃れようとした。 「醜い争いはそのくらいにしとくんだな。」ジルが笑いながら二人を止めた。
「子供が悪魔に読まれないゆえんじゃの。」パルガも笑いながら言った。
「ところで、よいか、話はこれからだ。」そう言ってパルマが再び話を始めた。
「我らは必死で、黄泉の国に入る道を探しておったのだが、ようやくその道を見つけることが出来たのだ。見つけられねば子供達だけで黄泉の国に渡ってもらうしかなかったのだが、もうその必要はなくなった。そこから我らも黄泉の国に入る事が出来るのだ。」
「黄泉の国に行けるのか。」バックルパーが声を上げた。
「その場所はどこなんですか。」
「王城の地下なのだ。」
「王城の地下ですって!」エミーが素っ頓狂な声を上げた。
「その入り口は、新月の晩に開くのじゃ。」
「でもどうやって王城に?」
「よいか、都合がいいのは、エミーが城に呼び出されている事だけではないのじゃ。実はこのパルガもまた、王城から呼ばれておるのじゃよ。」
「今度の新月の夜、わしは王城に行くと城に伝えてある。」
「本当ですか。」
「本当じゃ。そのおり、わしは皆を連れて行くことにする。わしの弟子ということでの。そこで王子を説得して、王城の地下から黄泉の国に入るのじゃ。」
「黄泉の国に入って何をするのですか。」エグマが訊いた。
「お前達が調べてくれた、青い玉を取り戻すのだ。そして赤い玉もろともに打ち崩す。それで封印された二つの力が一つに解け合うのだ。よいか、我らの目的は、悪魔や黄泉の国の人間を憎み戦うことではない。隔てられた二つの封印を解き放つ事なのだ。そのことだけが真に悪魔を封じ込めることとなろう。」
「もともと悪魔も天使もなかったのじゃ。二つは一つの体じゃった。じゃが、その悪の部分が自らをヴォウヅンクロウゾと名付けた。それが事の始まりとなったのじゃ。のう、姉様。」
「その通りだろう。そして、自分を名付けた事が逆に奴の弱点になる。我らにはありがたい事なのだ。ヴォウヅンクロウゾの名は永遠に葬り去らねばなるまいて。」
「外が何やら騒がしいようじゃの、姉様。」パルガはパルマを見て言った。
「お前も気づいたか。」
バックルパーが二人のことばに反応した。耳をすませると、確かに遠くの方で犬の鳴く声が聞こえて来るようだった。
「犬の鳴き声ですか。」
「調べて見よう。可哀想だが、ちょっと起こして飛んでもらおう。」
パルマがそういって、意識を集中し始めた。夜の屋根にカラスが一匹目を覚ましてもぞもぞ動いた。大きな欠伸をして首を振り、そして闇の空に飛び立った。カラスの目が赤く光った。
「男が一人、屋根にうずくまっておる。」
「黒づくめの、精悍な男ではないのか。」バックルパーが言った。
「そのようにも見える。」
「エグマ達がヴェゴジュに連れ去られた山で、会った男に違いない。素早い身のこなしだった。結局逃げられてしまったが。人間業ではなかった。」
「悪魔に支配された者じゃろう。もともと持っている動物的な本能を魔力によって引き出されておるのじゃ。」
「姉様、黄泉の国から何者かが侵入して来ておるのじゃなかろうか。」
「そうかも知れぬ。ヴェゴジュの変身は、間近に魔物がいる証しだろうの。」
「確かに、ヴェゴジュの魔性だけでは、残忍さはたかが知れているじゃろう。普通そこまでいくまい。気をつけねばの。」パルガが言った。
それから八人は車座に座ったまま、こまごまとした打ち合わせを始めた。黄泉の国に侵入するのはたやすいことではなかった。一歩間違えば大きな危険が待ち受けているのだった。しかしその危険を冒さなければ世界を救うことは出来ないのだ。バックルパーの冒険心はふつふつと沸き立っていた。
「愛さねばならぬ。」船乗りの時代に、様々な戦いを経験して来たバックルパーにとって、それは初めて経験する戦いだった。
打ち合わせが終わると、パルマが立ち上がった。
「今、外に出るのはまずい。こちらに来るがよい。」
そう言ってパルマはバックルパーと子供達を導いた。部屋のドアを開けて一人がやっと通れる地下通路に入って行った。中は真っ暗だった。先頭にローソクを持ったパルマが歩き、灯りはそれだけだった。後ろの者は前の背中をつかんで進路を確認するしかなかった。どれだけ歩いたか、時間の感覚はなかった。やがてパルマが床の板を押し上げ外に出た。そこはジルの店に隠された秘密の部屋だった。
「さあ、ここから帰るがよい。言っておくが、決して憎しみを悪魔に見せてはならぬぞ。憎む代わりに、悪魔の幸せを祈るのだ。よいな。」
「分かりました。誓ってそのように。」バックルパーはそう言って頭を下げた。
ジルの店を出ると、夜空に上半分の欠けた月が出ていた。あの月が次第に欠けて三日月になり、やがて見えなくなるとき、黄泉の国への入り口が開くのだ。そのときこそ、悪魔を我々の手で封じ込める時だ。そしてと、バックルパーは密かに思った。捕らえられたヅウワンを助け出さねばならない。バックルパーの手に自然、力がこもった
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