(1989年第3回個展より)
先日の、なにかが足りないという思いから、たどり着いた答えがここにありました。
今から27年前、私が本格的に個展活動をはじめた頃の作品です。
このころの作品はまだ、鉛筆に開眼していませんでした。糸の背景はアクリル絵の具で塗ったものです。
このころは、もっぱら、緊張感のある絵を描きたいと思い続けていました。
心がピンと張り詰める。意識がそこに集中して、切れる寸前で止まっている風景。
たとえばこんな絵
分かりやすいでしょ^う^。。。今見れば恥ずかしいですが^ね^
緊張感を糸に託して描いた訳です。この時の個展作品は他にもこんなものがありました。
しかしこんな絵は、当然行き詰ります。
私が行き詰ったのは、緊張感を描くと言いながら、結局追い求めているのは表面の形だけだと気付いたからでした。何枚描いても同じものしか描けない、作品と自分とのかかわりが浅いのです。
浅いという思いをどうすれば納得させられるのか。
考えているうちに、途方もないことを思いつきました。
当時の絵は糸の背景にアクリル絵の具と書きましたが、それをスプレーして定着させていたのですが、自分とのつながりの希薄感はそこにあると気付いたのです。
糸だけに意識が行っていて、背景はどうでもいいというのではいけない、この背景こそ描くべきだ。空間を描く。
その思いが私の全身を燃やすような決心となって、100号のキャンバスに向っていました。(若かったです^ね^)
それがこの作品です。私にとっては記念すべき作品です。キャンバスにシャーペン一本で空間を描く、すると糸は自然に生まれてくる。
どれだけ時間を要したのか、そのあたりの記憶は全くありませんが、スプレーで描いていたころの希薄感は、充実感に変わりました。
のしてんてん絵画の最初の一枚となった絵なのです。
前ふりが長くなりましたが、
27年経った今、私が足りないと思って足踏みしていたのを救ってくれたのがこの絵だったのです。
闇から生まれる光。
すべての無駄を省いて、そのエキスだけを取り出す。
すると作品は弱くなっていく。何かが足りないのだ。方向は間違っていないが、弱くなる作品はそのことを私に訴えている。
そうです。
足りないもの。それが、昔追い求めた緊張感だったのです。
その答えは、私の出発点にありました。
闇の中に光のエキスを捉える。
足らなかったのは、その光を受け止めるもの。
その最小単位がこの糸ではありませんか。
私は、目標に目を奪われ、それを達成する形だけにとらわれていて、自分の基本を忘れていたのです。
次回、その作品をお見せしましょう。
実は、この発見。27年前の自分との再会が、二股状態の私をひとつにしてくれることにもなりました。新作と共に、紹介いたします。
今、人のつながりのありがたさをしみじみと、感じておりま^す^。
私は若かりしころ、20字×20行で10枚程の掌編を主に書いていたのですけれど、その掌編を募集していた雑誌は同時にイラストの公募もしてました。そのイラストコンクールの、上位入選の常連だったものの大賞を取って卒業、にならない描き手さんがひとりいて、その人のことが印象に残っています。
その人に、選者の先生は繰り返し『色鉛筆ではなくアクリル絵の具で描きましょう』(その人は色鉛筆でイラストを描いていたようです。印刷だから私にはよくわかりませんでしたが。素人ですし)とアドバイスしてらっしゃいました。でもその描き手さんはずーっと、色鉛筆で描いていた、ようです。選者の先生は一年くらいずーっと、『色鉛筆ではなく……』とアドバイスし続け、ついに『自分を変えるつもりがないのなら、この先の進歩はありません。勝手にしなさい』という最期通告を出し……以来、その人のイラストは見かけなくなりました。
私には不可解でした。その描き手さんが、何故そこまで色鉛筆にこだわったのか、選者の先生のアドバイスを無視し続けたのか、わからなかったのです。今でもちゃんとはわかりません。
色鉛筆はその描き手さんにとって命、だったのかもしれません。でも……別に選者の先生は『一生色鉛筆を使うな』とは言ってないのです。ただ、あなたのイラストはアクリルを使った方が映えますよ、と言っているだけ(と私は感じていました)だと。なのに、何故?自分の殻を破って成長したいから公募にもチャレンジし続けているでしょうに、それなら違う画材でイラストを描くのもアリなのでは……とも。
絵描きさんにとって『画材を変える』のは、それほど怖いことなのでしょうか?
でも……まったくわからない、訳でもナイです。
私も色鉛筆でイラストを描き続けてきたような部分があったなあ、と思います。色鉛筆でいろんな描線にチャレンジしたり、今まで使わない色を使ってみたり、ブッ飛んだ絵を描いてみたりと、試行錯誤しました。……でも。抜け出せない、で、苦しみました。
あんた、色鉛筆で描くのやめな。
マスターのアドバイスも友人のアドバイスも、結局、それに集約される気がします(笑)。
でも、色鉛筆でしか描いたことなかったので、他の画材をどう使ったらいいのかわからなかったのです。
まあ、今でもわかったと言い切る程の自信、ナイですけど。
絵を描く魂が命ずる通り望む通りに描く、画材ありきではない、という気がします。
魂が命ずる望む、画材を選ぶ、ということでしょうか?
私の画材、見えないから厄介ですけど(笑)。
アクリル絵の具で描けたかな?の卒論、下山後に楽しんでいただけたら幸甚に存じます。
ではまた来ます。アディオス、マスター!
こんにちは!
シャープペン一本で
宇宙空間の闇を、一筆一筆
心を籠めて丁寧に克明に描くことによって
自然に繊細な光の蜘蛛の糸☆
描かれているわけではない
光の蜘蛛の糸の顕現に!
驚嘆とともに感動しております♪
すばらしいです^ね^
様々な意味、深遠な意味が籠められています。
のしてんてんさんの絵画は
まるで☆宇宙神画☆のようです。
今日も貴重なお勉強をさせて頂いております。
いつも有り難うございます!
今日も善き日をお過ごしくださいませ。
感謝申し上げま^す^☆
場面が見えてくるようです。
何度もそんなやりとりがあった、その場面を双方から眺めて酒の肴にする(あれ、いつの間に居酒屋に?)
つまり、人生模様は客とマスターの心と言う訳です。
私なら、先生のアドバイス、ありがたく拝聴しますし、画材、素材を変えてみるのも勉強と思いますが、かたくなに自分を守るというのも、考えられるシチュエーションですよね。
面白いのは先生の捨て台詞。
自分の厚意は、進展してこそ自分に対する意味がある。それを無視されたのですから、さどかし腹が立ったのでしょう。
先生の負けですね。
次から姿を見せなくなったのは、その先生に選ばれなくなったから?
貫く人生もあるのですよ、先生。
思わずドラマにはまり込んでいました。
画材は探すものではなく
巡り合うもの。
そう考えてのんびり構えるのが一番ではないでしょうか。
答は自分の中にしかないのですからね。
お変わり、どうで^す^?
本当にいい記事を紹介していただきました。
それもタイムリーにホームランです。
おりしさんのブログに私と、その記事の作者が並んでいるってことは、ふたりとも同じ時期におりしさんのブログに興味を持ったということ。
面白いですね。
その中心にまかこさんがいらっしゃる。
こんなにうまくつながるものでしょう^か^
^
慶賀、^慶^賀^
その描き手さん、色鉛筆のイラストで選者の先生を唸らせたかった……のかも、とも、私は思います。
色鉛筆で描いてナニがアカンねん、ドコが悪いねん、くらいの気持ちだったのかも、とも。
私は素人ですから、色鉛筆イラストレーターさんのレベルがどうなのか、ちゃんとわかりませんが……大賞を取って卒業した描き手さんたちに比べれば、色鉛筆イラストレーターさん、ナニか『弱い』印象がありました。
訴えかける力が、印刷された小さなものですけども明らかに『弱い』印象が……ありました。大賞を取った人より。
色鉛筆イラストレーターさんのイラスト、私は個人的にキライじゃなかったです。繊細な感じで。
でも、たとえば黒井健先生のイラストほどのナニか……は、正直、感じませんでした。
選者の先生の言う通り、アクリル絵の具でメリハリのついた色彩にした方が映えるイラスト、画風、だったかもしれません、あくまで個人としての印象ですけど。
でもその描き手さんは、それをよしとしなかった、のでしょう。
それもひとつの道、でしょうね。
その描き手さんがそれからどうなったのか、私にはわかりませんが。
ただ、私がその描き手さんだったら……アクリル絵の具にチャレンジした、ような気はします。
ああそうかい、M先生がそこまで言うんやったら描いてやらあ、みたいな(笑)。
でも卒業したら色鉛筆に戻ってやるわい、エエ修行ちゅうヤツや、へっ、みたいな感じの、喧嘩腰かもしれませんけどね。
……なんでもいいんです、自分が伸びれば。
アドバイスが自分に合ってなかったら、引き返せばいいでしょう。
でも、試行錯誤は無駄にならないですし、ね。
長居、失礼しました。
では、また。
それが面白いですね。
大事なことは消化するするということでしょう。
自分を成長させるには食わなければならない。
食って消化する。
それが普通の生き方だと思いますよ。
偏食は伸びるチャンスを逃しますし、
消化不良は己を殺します。
消化酵素。
それが作家のいのちだと思います^ね^