(5)
元気な赤ちゃん院は街と森の間に建っていました。まるでピンクのお城です。ここは赤ちゃんの総合施設で、赤ちゃんを宿したお母さんの宿泊施設もあり、そこでお母さんたちは安心して赤ちゃんを産む準備ができるのです。産後は赤ちゃんのための保育所から幼稚園まであって、望めばそこで一貫した子育てもできる国内唯一の施設なのです。
「そんなところですから、今まで早産するお母さんはほとんどいませんでした。私達には信じられないことが起こっているのです。原因が全く分かりません。」
院長先生が困り果てて涙を浮かべています。
院長先生は皆を赤ちゃんのところに案内しました。もちろん窓越しに見るだけですが、中央に小さな透明の保育器が置かれていました。その周りを透明のカーテンで仕切られ、厳重に隔離されているのが分かりました。そこに小さな赤ちゃんがチューブにつながれて寝ているのです。保育士さんたちがその隙間を忙しく立ち回っています。窓越しに見る赤ちゃんは、ぐったりしたかたまりにしか見えませんでした。
「赤ちゃんは夜も昼も一日中目を離せないのです。それでも保育士さんたちは頑張ってくれていますが、・・・・。」
遠目でもその緊張が伝わってきました。
「赤ちゃんは体重が500グラムもありませんでした。体温、養分、湿度、音、光、すべてを管理する必要があります。その上あかちゃんの状態はすべて保育士の観察に頼るしかないのです。感染は命取りですから、あの保育器は2重三重に防護されています。」
院長先生の目が、カーテンの中で働いている人影に注がれています。
「新種のウイルスが原因ではないでしょうか。」ぴょんたが口をはさみました。ぴょんたはスケール号のお医者さんですから病気には詳しいのです。
「ここは外と完全に隔離されています。あの子の母親は出産経験者で、当院の事前準備も万全でした。もちろんウイルス感染はありません。なんの異常もなく健康そのものでした。ところが20週を超えたころに急に産気づいたのです。流産してもおかしくありませんでした。」
院長先生は博士の方を向いて言いました。
「何を言ってるのかわからないでヤすよ。」
「艦長はしゃべれないダすが、院長先生はしゃべっていても分からないダすな。」
もこりんとぐうすかが揺りかごをはさんでこそこそ話をしています。
艦長が揺りかごの中でスヤスヤ眠っていました。なんてかわいいのでしょう。スケール号の乗組員達は艦長が大好きでした。時間があったら艦長の寝顔をうっとり眺めているのです。特にむつかしい話の間はね。
博士が揺りかごに近づいて、そっと艦長の首筋とお尻に手を入れました。そして静かに抱き上げたのです。その時だけはジイジと北斗です。博士は心の中でそう思いました。北斗はジイジの腕の中ですスヤスヤ眠っています。
「北斗はよく眠っているねぇ。楽しい夢を見ているのかな。」博士がジイジの声で語りかけました。
「スーはー スーはー」
北斗の呼吸が深い眠りを教えてくれます。リズミカルな運動が胸を上下させているのです。
「眠ったままお聞き。」
博士は北斗の呼吸に合わせながら言葉を続けます。
「あの奥のカーテンの中に北斗と同じ赤ちゃんがいるのだよ。」
「スーはー すーはー」
博士は自分の呼吸を、艦長の寝息に合わせて話続けました。
「北斗もあんな小さな保育器の中にいたんだよ。少しの間だけどね。頑張って出てこれた。偉かったね。」
すると艦長の口元が少し笑ったように見えました。
「あの赤ちゃんも、頑張って出てきてほしいね。」
艦長の目が線を引いたように開きました。
「まるで観音様ダすなぁ」ぐうすかが言いました。
ぐうすかはどこかでそんな絵を見たのでしょう。丸顔に薄目を開けている観音様そっくりだとジイジも思いました。
その線の目が動いているのです。白い線の上を黒いものがゆっくりと左右に動いています。
「話してごらん。あの赤ちゃんと。そうそう、北斗ならできるだろう?偉いからね。天才だからね、北斗は。」
薄目を開けた北斗の黒目が左右に動いています。
「何か言ってないかな。北斗なら助けてあげられるからね。」ジイジが博士の口調で言いました。
その時北斗の目が真ん丸に開きました。そしてまっすぐにジイジに目を向けて動きません。その目はジイジを見るというよりは、ジイジの背後を見ているようでした。
「はぷー」
「博士、艦長はなんて言っているのですか。」ぴょんたが聞きました。ぴょんたは博士の肩越しに飛び上がって艦長を見ていたのです。
「分からないらしい。」
「どういうことですか?」
「どうしてほしいのか、赤ちゃんは何も言わないらしいのだ。」
「がっかりでヤす。」
「助けられないのダすのか」
「いや、そうではない。」博士がきっぱり言いました。
博士は優しく北斗を揺りかごに戻しました。そして院長先生に向き直りました。
「先生、やってみる価値は十分あります。あの子の中をスケール号で探査する許可をいただけますか。」
「もちろんそう願いたいのですが、何か手掛かりがありましたか。」
「一つだけ分かりました。」
「何でしょうか。何か当院に問題があったのでしょうか。改善すべきことがありましたらなんでも遠慮なくおっしゃってください。」
「いえいえ皆様には感謝しかありません。院長先生」
「では何が原因だと?」
「あの子には宇宙語がないということです。」
「宇宙語ですか・・??」
「艦長が発見したのです。」
「この赤ちゃんがですか?」院長先生は博士の腕の中の艦長を見て不安そうに問いかけました。
「赤ちゃんだからこそ分かることがあるのですよ、先生。」
「そうですか、・・・それで何が原因で??」
「それを調べるのです。院長先生、あの子の中を探査する許可をいただけますね。」
「その前に一つだけお聞きしたいのですが。」
「なんでもお聞きください。」
「つまりその、スケール号の探査であの子に危害はありませんか。」
「ご安心ください、そんなことは全くありません。このスケール号はスケールの世界を自由に動けます。今はこの大きさですが、これは仮の姿といってもいいのです。太陽の大きさにもなれば、一瞬で素粒子の大きさにもなれるのです。」
「にゃごー」
足元でうずくまっていた銀色の猫が背中を伸ばして起き上がりました。その時、三毛猫サイズの大きさでしたが、急にライオンのような大きさになりました。院長先生は一歩引いて息をのみました。
「スケール号、ここだ。」
博士が手を出すと、スケール号はバッタのような大きさの猫になって手のひらに飛び乗りました。
「宇宙語がないということは院長先生、その原因を知るために宇宙の根源にある素粒子の世界を探査する必要があると思っているのです。スケール号で素粒子宇宙を探査するのは。ロケットで火星に行くのと同じです。体の中に入るといっても、あの宇宙空間を移動するのと同じです。この探査であの子に危害がないことを分かってくれますか。」
博士は空を指さして言いました。
「分かりました博士。どうかご無事で、あの子を救ってやってください。」
「原因が分かれば、あの子だけではなく、今後このような問題を解決できる経験となるでしょう。」
「そうですか。そうなればみなが救われます。どうぞよろしくお願いいたします。」
院長先生が深々とお辞儀しました。
「最後に一つお聞きしたいのですが」博士が言いました。
「何なりと。」
「あの子の名を聞いておきたいのですが。」
「つい先日両親がのぞみと名付けました。希望ののぞみです。女の子です。」
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