(27)
「親分、あれは本当にスケール号ですかねポンポン」
「スケール号は銀色だったはずカウカウ?」
「色が違っても、あんな芸当が出来るのはスケール号しかいないだチュ。」
「親分の槍で確かに仕留めたポン。どうして生きているのだポンポン?」
「ええい、うるさいだチュ。あ奴は生きているだチュ。前にいる黒猫はスケール号だチュうのだ。忌々しい奴だ。」
「親分、スケール号は何処に行くつもりですカウね?」
「魔法の芯に決まってるだチュ。バカかお前たちは!」
「その前にポン、今度こそやっつけましょうポンポン。」
「ポンポンうるさいだチュ。たまには悪知慧でも働かせてみろチュウのだ。」
「へいポンポン。」
「悪知恵ならカウカウ、任せて親分、カ,カ,カ,カ,カウカウ。」
「まったく、お前達はわたチュの最大の失敗作だチュ!」
どうしたわけか、心がざわつくのです。魔法使チュウスケがこんなにも自分の心に迷いを見せるのは珍しいことです。それを認めたくはなかったのですが、否定しても、無視しても、どこかに湧き上がってくる不安を感じないわけにはいきませんでした。それがチュウスケの機嫌を損ねているのです。ポンスケもカンスケも、宇宙の塵をこねて作りだした子分たちですが、可愛そうに今日はチュウスケの八つ当たりの相手役です。
チュウスケの機嫌が悪いのは魔法の芯に踏み込まれているという居心地の悪い思いが原因だったのかもしれません。自分の心のどこかに気持ちの悪いものが生まれていると言うのに、それが払拭できない苛立ちとスッキリしない残尿感のようなものと言えばいいのでしょうか。それがスケール号だったのです。
魔法は、己の心が完全に優位に立っていなければなりません。自分の心には踏み込ませず、常に相手の心の中でエネルギーを変質させる。これが魔法の本質だったのです。ですから相手の心がなければ魔法は成り立たないですし、その心が無明、無知でなければ魔法自体が存在しません。つまりこちらの心が見透かされていては魔法は成立しないのです。なぜなら魔法というのは、自分のエネルギーを使って相手を打ち負かす武術とは正反対の、相手のエネルギーを使って相手を打ち負かすものなのですから。というのも魔法をかけられた者は、一から十まで自分の心のエネルギーを使った自作自演に、知らないうちに誘導させられているのです。つまり魔法使の暗示によって、作られた恐怖と転倒した夢想に、自分自身が恐れ苦悩しているというのが魔法の正体だと言えるのですね。
ところが、スケール号はやっつけてもやっつけても復活してくるのです。無明、無知を通り越した機械のようです。そのくせチュウスケの心にずけずけ迫ってくる厄介者なのです。人の心を手玉に取る筈のチュウスケが逆に自分の心に踊らされる、それは魔法使にとって最大の恥であり、危険な敵と言えるでしょう。
そのスケール号が目の前を飛んでいく。迷いなく目指している場所がある。おそらくその場所にチュウスケの不安と不機嫌の原因があるというべきなのです。
スケール号がフェルミンの心の空間に向かっている。これは自分の仕掛けた魔法の芯に行こうとしているに違いないのです。何もしないで見ている訳にはいきません。このまま行けば、己が仕掛けた魔法の中に己自身が入って行くことになるのです。それがどういう意味を持ってくるのか分かりませんし、どのように攻撃したらいいのか、妙案が浮かばないままスケール号の後を追うしかないこともまた苛立ちの原因なのです。今、背後から槍で攻撃するのは簡単です。しかし、それではまた復活してくるのは目に見えているのです。ここにきて子分どもは全く役に立たないのが腹立たしい。そう思えばまたいっそう腹立たしくなる。チュウスケは自分が自分の魔法にかかっていくようで、少しずつ冷静さを失っているのです。
「チュくしょう、今に見ていろ、スケール号め。」
結局チュウスケは、スケール号に手を出せないまま、その後を追って、己の作った魔法の芯に向かうしかなかったのです。
チュースケの作った魔法の芯。それは闇の中に横たわる鏡のような湖でした。石を投げて波紋でも見ない限り、それが湖だとは分からないのです。その空間が与えられたシナリオに従って無限に変化する。まさに心の舞台と言っていいでしょう。
その湖面で人知れず長い戦いが行われていました。それは自分以外には知るものさえいない心の中に巻き起こっている、嵐のようなものでした。
そうです。そこにピンクのローブを着た女の子が髪を振り乱して湖面を走り回っていたのです。
湖面には這うように靄が立ち込め、女の子の足元を隠しています。女の子は何かを探しているのです。その度に霧が舞い上がり足にまとわりつきます。よく見るとピンクのローブは胸のあたりから黒い血が滲み出ているのです。女の子は肩で息をして、屈めた腰も次第に力が抜けて膝が湖面についてしまいます。けれども眼だけは鋭い光を放って、足元に立ち込める霧の揺らぎを見つめているのです。
「負けはしないぞ!やってくるがよい!やってこい!!」
女の子は剣を腰に構えて身をかがめているのです。剣も同じローブの色です。
霧の根元がかすかに黒ずみました。女の子の目はその変化を決して見逃しません。とっさにその黒ずみに向かって跳躍しました。同時に水面が盛り上がり大きな水しぶきを上げて黒龍が頭をもたげたのです。女の子の剣がちょうどその瞬間に向かって突き出だされました。
「ぎゃおーー!」
黒龍が悲鳴とも雄たけびともつかない声を響かせてそのまま大空に舞い上がったのです。女の子の剣は黒龍の首筋にあるウロコの隙間に食い込み、剣もろとも空に舞い上がりました。黒龍の首は女の子が三人がかりで一周できるほどの大きさで、上空に舞い上がった姿は、手足の生えた大蛇そのものだったのです。風に逆らいながら女の子は大蛇のたてがみをわしづかみにして身を立て直し、剣を再び黒龍の首に突き立てました。
黒龍は真っ赤な口を開けて火を吐き、暴れまわって女の子を振り落とそうと空をうねるのです。ところが女の子は龍のたてがみを手綱にして、暴れ馬を制するように身をこなし、龍の首に第三の太刀を深々と首に突き刺したのです。
「ぐぐぐおーー」
黒龍は突然頭を下にして急降下を始めました。そして一直線に頭から湖に突っ込んでいったのです。
大きな水の音が響き湖面が揺れ、そして再び鏡の水面に還っとき、湖面に丸く霧の穴が出来ました。
「ピユー」
その丸い穴の中央から女の子の顔が浮かび上がりました。女の子が高い喉笛を鳴らしたのです。その水面下には真っ赤な口を開いた黒龍の顔がぐんぐん近づいてきます。女の子はとっさに身をよじって龍の口から逃れ、顔を出した黒龍の角をつかみました。
ザザザザッと再び天に上る龍にしがみついて女の子は黒龍のたてがみを伝いながら首に刺さった剣を取ろうとしました。
しかしその時、龍の身体が大きくうねったのです。長い龍のしっぽがうねりに合わせてしなり、首筋にしがみつている女の子の身体を薙ぎ払ってしまいました。
まっすぐ落ちる女の子を追って、龍が再び急降下し始めました。龍は渦巻きになって推力をつけると、女の子はついに空中で黒龍の爪に捕らえられてしまったのです。
黒龍は霧の湖面にとぐろを巻いてその中に女の子を巻き取り雄たけびを上げました。そして歓喜のためか怒りのためなのか、中空に向かって勢いよく炎を噴き上げるのでした。
鎌首を持ち上げ、勝ち誇ったように女の子を見下すと、ぎりぎりと体躯を締め上げました。口が真っ赤に裂け、女の子を呑み込もうと頭を下げたのです。
「いやぁー!」
女の子は虚空に手を伸ばし、最後まで戦う意志を持って抵抗の姿勢を崩しませんでした。
まさにその時だったのです。
突然黒龍の頭上が白く輝き始めました。そしてその光と共に白い剣士が姿を現わしたではありませんか。剣士の頭上に差し上げられた白い剣が切っ先から光を放っているのです。
真っ白なローブで全身を包んだその剣士は黒龍の頭上に仁王立ちになって、天上に剣をかざしているのです。天に向けた切っ先からエネルギーがほとばしるように白いオーラが立ち上がりました。
白い剣士はその剣を逆手に持ち替えると、黒龍の頭上めがけて渾身の力を込めて突き刺したのです。
「ぐぐぐぐぐおーーー」
黒竜の身体が激しく揺れました。剣の白い光が黒龍の頭に吸い込まれるように消えると体を痙攣させてもがき始めました。女の子を巻き取っていた胴体が緩み長々と脈打ち身もだえすると、湖に身を隠しました。とっさに白い剣士は跳躍して首筋に突き立っているピンクの剣を引き抜くと両手に剣を持って黒龍の背中を切り裂いたのです。
黒龍の消えた湖面に、投げ出された女の子が横たわっていました。
白い剣士は女の子に駆け寄り助け起こすと、黒龍の消えた湖面を睨み据えました。しばらくして剣士は剣を納め、ピンクンの剣を横に置くと、女の子の胸に手を置いたのです。するとピンクのローブに沁みた黒い血が少しずつ消えて行くのでした。
「あ、あなたは?」
女の子が白い剣士の腕の中で気を取り戻したのです。
「龍は、龍はどうなりました。」
白い剣士は無言で湖面を指さしました。
「逃げたのですね。また来ます。戦わねば。」
女の子はそう言うと身を起こして自分の手を見、腰を探って、探す目を周囲に向けました。白い剣士がそんな女の子の前にピンクの剣を差し出しました。
「あ、ありがとう。これを探していたの。」
そう言って剣を受け取ると、女の子が真顔で言いました。
「どうして私を助けてくれたの?あなたは誰なのです?」
「はぶはぶ、うきゃー」
「ええっ・・・」
「うーばぶー、うばうばハブばぶ」
そう言って白い剣士は女の子に手を差し伸べたのです。二人は肩を並べて湖面に立ちました。さらに濃くなった霧が毛嵐となって二人の腰まで隠して漂っています。その毛嵐を通して湖面に二つの赤い色が見えました。その赤い光が左右に動き、二人をとり囲むようにゆっくりと大きな弧を描き始めたのです。二人は手を取り合ったまま背中合わせになって立ち、互いの剣を天にささげました。二人を中心にした大きな二重円が毛嵐の湖面に描かれました。二重の赤い円がゆっくりと、呼吸を合わせるように点滅し始めたのです。
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