2016年、はるひ美術館での個展の話しを頂いてから、展示の構想を考えておりました。基本的には、出来のいい受賞作品と、他人の評価を考えず制作した、これまでの組作品「現世」と「浄土」を並べるというスタイルが頭から離れませんでした。美術館の壁面から考えると、組作品がもう一組並べられるスペースがあります。それをどうする?というのが残された課題だったのです。
ところが、ある日、わが師松田豐の仏壇に手を合わせて報告し、しばらく奥様と展示の話しをしていましたところ、
「この組作品をばらばらにしないで引っ付けたら?」と言葉を頂いたのです。
その言葉に、私の頭が反応しました。それは瞬間だったのですが、
その時、組作品「ナウイズムの夢」が突然完成したのです。
もちろん、その時はまだ、3番目の16枚組作品は影も形もありませんでしたが、
心は「 あ!」と叫んでいたのです。
「あ」は生まれ出る最初の母音。(昨日のコメントに引きずられているゎ 苦笑)
組作品は人の評価を意識しないで描いた、いわば自分の歴史。だとすれば今この作品の流れをそのまま受け止めて、ナウイズムとして昇華させるチャンスではないのか。
そう思い至りますと、この時期に展示の機会を与えてくださったはるひ美術館に感謝の思いが膨らみますし、何よりそこは組作品「ナウイズムの夢」を展示するためにつくられたかのようなぴったり空間であることに気付かされたのです。
新たな組作品「五次元宇宙」はまだ一枚も出来ていませんし、構図も全く白紙状態でしたが、
この瞬間にできたと思いました。展覧会まで半年ありません。
不安も焦りもない高揚感。
作品よりもこの心を伝えたい。金銀名誉でない本当の価値がここにある。そう叫びたい思いで鉛筆を動かし始めたのです。
第一作 4枚組作品「宇宙」
私の思い描く宇宙。それはスケールの軸を永遠に旅します。同じ風景が螺旋をえがくように何度も現れてきます。太陽であり素粒子である宇宙。しかもその空間はどこまで行って一つにつながっているのです。限りなく小さな世界に足を踏み入れても、その微細な素粒子を包む空間が1なる極大世界を約束してくれているのです。
第二作 4枚組作品「銀河」
素粒子は空間に組織集団をつくり、いのちの糧を生み出します。星は銀河をつくり、スケール宇宙の螺旋を私たちに教えてくれるのです。素粒子から地球。組織から銀河。それらはみな、螺旋を一回りした姿、相似の世界。
第三作 4枚組作品「いのち」
組織は円相を結びます。それはいのちのありのままの姿。円相は管になり喰、流、殖、のはじめとなる。中にとりこんだ空間は気となって、意識を生み出す。
円相もまたスケールの軸の中で、永遠に姿を変える。五次元宇宙の形が、ただ一つの空間の中で生かされているのだ。
第四作 4枚組作品「真理」
空間の中にいのちを生み出す真理は、空間そのものにある。それはエネルギーとしか言いようのないもの、永遠の振動だ。
その実体は、我々の目にはたわいない一本のひもに過ぎない。
そのあまりにも小さなさりげなさに隠れた真実が無限空間に宇宙を築き上げているのだ。
誰の手にもそのひもは握られている。この世にあって、今この瞬間を感じられるものはすべて、ひもを持って生まれてきた。
何をする必要もない。ただ、気付くだけだ。
それだけでナウイズムの夢は現実のものとなる。
ことばで現わすと、まさにこんな感じで、16枚組作品「五次元宇宙」が完成しました。
「ナウイズムの夢」最後の構想は、
この3組の組作品をシャッフルして、(44+2)枚のピースの無限にある組み合わせから意味を見出す姿と出逢うこと。
最後まで小我を排して大我に任せきること。
このウエブもいいけど、まだ何かがあるはず。
知らんけど。
無心と有心
無心で描いて、有心で覚悟を決める。
これですね。
しかし、演出としてはヘボ。
真剣になればなるほど、良くしようと手を入れる芝居が小さくなるジレンマを、当時から漠然と感じていましたっけ。
『丸を描いてみい』……すべての原点。
今だから、今しか、描けない丸。
それを積み重ね、はっと気付くと越し方に壮大な、丸、が……。
その境地には遠いですが、今しか描けない丸を無心で描くことは、今すぐ出来そうです☺。
嘘でないウソ
即興空間は台本なんかより楽しいし、自由奔放。
自分解放が自然にできた
不思議体験でしたね。
創作も人生も、すべてその原点は即興。
最初の〇です。
そういうと、あのころと私、変わってませんなぁ
ナウイズムの考え方です。
その積み重ね、振り返るとそれは過去となりますが、
それをそのまま受け入れて無条件に引き受けると、過去は今この瞬間に再生して実在になる。
過去が実在になる感覚、分かります?
創作にはそれが必要なのですね。
過去に引きずられるのではなく
いまここに、再生して作品とする。
トラウマは昇華して作品になる。
ナウイズムはそれだけの力があるのです。
(マジパターンのお返し)
こちらはお気楽モードのいつもの雑談です。
『あっ』のことで思い出したことを少し。
演劇部時代のメソッドで、我々の世代が好んでやったのが『即興』と呼んでいたメソッドでしたね。
役柄と状況、簡単なストーリーの流れだけを決め、後は各役者がめいめい勝手に、だけどひとつの芝居として舞台上の役者同士有機的に関わりながら演じる、とでもいうメソッドでした。
楽しかったです。
台本を覚えてきっちり演じる芝居より、正直、こっちのメソッドの方が私は好きでした。
『即興』だけでは行き詰まってしまいますが。
芝居の原点は『即興』……そんなことを思いました。
最初の部分の記述、行間から、創作へ向かうまでの苦しみが見えるような印象があり、やや苦しくなりました。
積み重ね、積み重ね、そして出来上がった『ナウイズムの夢』。
壮大さに息を飲みます。ぜひ現物で見たいですが……はるひへは色々な事情もあり、行けそうもないのが残念です。
大阪で展示の機会があれば……などと、今から勝手なことを思っています(笑)。
なにより、ここまでの積み重ねがひとつの形へ成ったことを、お慶び申し上げます。